物語の欠片 韓紅の夕暮れ篇 22
-レン-
フエゴでの仕事を終え、無事にアグィーラから戻って来たカリンの報告を、族長とシヴァと三人で聞いた。
アグィーラからガイアを駆って戻って来たばかりのカリンは、暖かい部屋の中で頬を上気させている。暖炉の火が話の途中で時折ぱちぱちと小さく爆ぜた。
カリンの話してくれたアキレアと子供たちのやり取りを聞いてレンは驚き、族長は目を細めた。
「アキレア殿らしい」
というのが族長の感想だ。確かにアキレアらしいとレンも思う。これまではそのアキレアらしさが裏目に出てしまうことの方をよく目にしていたが、今回の話を聞いて、何があってもそのアキレアらしさを貫いているアキレアの強さと覚悟を、初めて感じたように思ったのだ。
苦境に立たされた時、たいていの人間は少しでも早くその苦境から解放されたくてもがく。しかしアキレアは、苦境をじっくりと見つめる眼と忍耐力を持っているのかもしれない。その、強固な砦が背後にあることの頼もしさと安心感。
やはりアキレアは戦士なのだとレンは思った。
トレニアの処罰は、罰金でも懲役でもなく、降格に落ち着きそうだということだ。降格といってもいきなり中級官吏から下級官吏に降格するわけではないらしい。実は中級官吏の中でもいくつか等級があるらしく、トレニアの場合、今居る中級官吏の中程の位から最低位への降格なのだという。
レンは、カリンが中級官吏の中のどのくらいの位置に居るのかも知らなかった。
「……実際にやったことは器物損壊と公務執行妨害なのですが、何よりも中級官吏としての責務を果たさなかったことを重く見られたようです」
「現在の職位に値しない、という訳か」
族長が難しい顔で自らの顎を撫でる。
「はい。事実上の減俸でもありますので、一時的な罰金よりは重い処罰だと考えられます。懲役を科されなかったことと、下級官吏への降格は免れたので、表向きの体面は保てると思いますが、ご本人は悔しい思いをされるかもしれません」
また鬱屈した気持ちを募らせるのではないだろうかと、その場に居た誰もが考えていただろう。しかし、処罰しないわけにはいかない。アキレアの言葉ではないが、「悪いものを認めることになる」からだ。
いや、もしかしてアキレアならばそれでも、「悪いものも赦す」のかもしれない。「咎めなどしない。その代わり、これからはしっかり建築室に貢献すること」とでも言うかもしれない。
族長ならば……レンは珍しく族長の思考を読もうと試みた。
「それで、心を入れ替えてくれれば良いがな」
「はい。処罰と同時に、トレニアさんには珪石の流通について今後調整をすることも伝えるそうです。それで少しは気持ちを収めてくだされば良いのですが」
「アグィーラとしては妥当な処置だろう。当人の最低限の面子は保ちつつ、市井には交易室の思慮深さを示すことにもなる。これで家族が城へ詰めかけることもあるまい」
族長の考えは読めないとレンは改めて思った。今ここで族長が口にしているのはただの感想だ。今回の一連の出来事に対しての族長自身の考えではないし、ましてや賛同や批判でもない。このことに関して、それを口にすべきではないと族長は考えている、それだけはレンにも分かった。
族長が自分の考えを口にするのは、それが相手にとって必要である時だけなのだ。
「クコ殿はどうしておられる?」
「組織とご自分の在り方についてお考えになったようなことを話されていました。お話しする限りはお元気そうです。間もなく実証実験は終わるので、暖かくなって落ち着いたら休暇を取って、ご家族とマカニを訪れたいともおっしゃっていました」
「そうか。ではお会いできるのを楽しみにしていよう」
族長の家を出て訓練場へ戻る前に、カリンと一緒に新しい水車を見に行った。
二人で水車を眺めながら、レンは交換の過程を説明する。レンギョウと話したことについても告げると、カリンも嬉しそうな反応を示した。
「水車、クコさんにも見せてあげたいな」
「そうだね。今度いらしたら是非見てもらおう。それに、暖かくなってからいらっしゃるなら、鍾乳洞の調査も少しは進んでいるかもしれない。そういうものにも興味がありそうだよね」
「うん」
頷いたカリンはくすくすと笑いを漏らした。
「どうしたの?」
「うふふ、ごめんなさい。ノギクさんが言うには、息子さんがクコさんに似て好奇心が旺盛なようなの。想像したら可笑しくて」
「あはは。それは会うのが楽しみだね」
再びカリンを背中に乗せて第五飛行台まで送る途中、レンは谷川の傍の樹々の間に佇む人影を見た。
「あれ?」
声を上げたレンに、カリンがどうしたのかと尋ねる。
「谷川に人が居たんだ。三人、かな」
「この時期に? まだこんなに雪深いわ」
「多分見間違いではないと思うんだけど……でも、これまで見たことのないような珍しい格好をしていたな。どこの種族だろう……」
随分離れていたが、一瞬、そのうちのひとりと目が合ったような気がした。
あの、大鷲のような、静かで威厳のある瞳。
いや、やはり気のせいか……
「ポハク族の商人以外でこの時期に訪れる人も居るのね。そのうち見張りの誰かが気がつくかしら?」
「まだマカニに向かっているかは分からないよ。まあ、他に目的も思い浮かばないけれど」
「あ、ねえ、あそこ」
カリンの指差す先には、悠然と飛ぶ一羽の鴉の姿があった。
「モミジだわ。族長様の所へ行くのかしら」
「そうかもね。だったら同じ方向だ」
レンは、モミジの後を追い駆けるように羽ばたいた。
陽が落ちた後も、レンはしばらくの間訓練場で弓を引いていた。訓練場の静止的の位置は時折変わるが、今の配置もすでに身体に染みついているので、陽が落ちていてもほぼ問題は無い。
そんなレンに対して、シヴァは今日は何も言わなかった。
自身は飛行台に立ち、空なのかレンなのかを見つめて考え事をしているようだった。
やがて、雪が舞い始め、レンはようやく弓を背中に仕舞った。マカニは今夜も安定の雪模様だ。
結局、昼間谷川で見かけた人々に対しての報告は入って来ず、あれがレンの見間違いだったのかどうなのかはっきりとしないままだった。引き返して確かめてみれば良かったのだが、これで良かったのだとも思う。
「ごめん。お待たせ」
「いや。それにしても、よくやるな」
「僕の一番の取柄だからね」
「そうだとしても、だ。……お前が居て、本当に良かったよ」
「いきなりどうしたの?」
「時々は言葉にして伝えないとな」
「そんなこと言ったら、僕はシヴァさんに助けられてばかりだよ。そうだ、昼間、僕は珍しく族長の考えを読んでみようと思ったんだけど、全然無理だった。やっぱりシヴァさんは凄いと思う」
「ははは。それは凄いところが違うだけさ。自分で言うのも何だが、俺とお前はお互いを補い合っていると思う。だから、このまま頼む」
ああ、これは、この間の話の続きなのだとレンは気がついた。
シヴァはレンがまだ子供のうちから気にかけてくれていて、そのおかげで今のレンが在る。万が一この先レンが居なくなったら……実際に少し前に命を落としかけたこともあり、先日の族長の話と重なったのだろう。
シヴァこそ失われては困ると思ったが、レンとシヴァでは、レンの方が危険に身を晒す可能性が高い。
族長がレンとシヴァの二人に族長の知識を継承しようとしているのも、もしかしたら、万が一どちらかが失われた際の危機回避策なのかもしれない。
自分の後継か……。これまで、そんなことは考えたこともなかった。
とはいえ、自分の下に居る戦士といえば、今のところココとセージだけだ。二人とも自分が育てようと思わなくとも真面目に訓練をしている。レンにできることは、せいぜい自分の戦士としての姿勢を見せることと、二人が困っている時に手を差し伸べることくらいだろう。
今回のアヒの事件で、レンは妬みというものの恐ろしさと組織というものの複雑さを感じたのだが、クコは反対に組織というものの有難さを感じたらしい。レンも、マカニの村人という集団に対してはこれまで有難さを感じることの方が多かったので、クコの考え方も分かる。
しかし、実際に自分が村を守るという立場になったらどうだろう。
レンはずっとマカニの村を守りたいと思って生きてきたが、それが本当はこんなにも複雑なことの上に成り立っているとは思ってもみなかったのだった。
それでも、レンはやはりマカニの村を守りたいと思うのだ。少なくとも自分のできる限りのことはしたい。
「もちろんだよ。僕はマカニを……僕の大切なものを守りたい」
だからそう答えた。
シヴァは、レンの頭をポンと軽く叩くと、「じゃあ、行くか」と言って自らが先に羽ばたいた。レンは後を追う。
自分はずっとこうしてシヴァの背中を追い駆けてきたのだ。
族長の背中は、ようやく、少しだけ見え始めたばかりで、それまでは追い駆けようとも、追い駆けるものだとも思っていなかった。そのことを考えると、自分も少しだけ成長したのかもしれないとも思う。
それでも、まだまだだ。
しかしレンにとっては、自分がまだまだであることの焦りよりも、この先まだ成長の余地がある喜びの方が大きかった。追い駆けるものがあることの喜び。
そして再びシヴァの言葉を思い出す。
族長は何をもって族長として立っていられるのか。
族長が追い駆けているものは……そんなものがあるのだろうか。
眼下に、村の家々の灯りが見える。どの灯りも、暖かそうな色をしていた。
その中に、ひと際大きな灯りを点す家。
族長の家には、万が一夜中に誰かが尋ねて来ても困らないように、門の脇に大きな常夜灯が点されていた。
族長の在り方そのもののようなその灯りに、レンはいつも以上に感じるものがあった。
自分も、マカニを照らす灯りのひとつになりたい。ただしそれは、星空を邪魔しない程度の灯りでいい。
そんなことを考えながら第五飛行台に降り立ち、族長の家の呼び鈴を鳴らした。
***
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このお話に登場する、レンが目撃した「三人」はこちらの三人。
まさか自分の書いた話以外と世界線が繋がるとは思わなかった。
穂音さん、稀有な経験をありがとうございました。
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