借金とモルヒネ生活の始まり
こんにちは。
丘咲 つぐみです。
20回目の記事になります。
電卓を初めて手にした日から3か月後、日商簿記検定1級を取得することができました。
当時まだ、病院のベッドで仰向けで寝た切りだった私は、鏡に電卓とテキストを映しながらできる勉強方法を編み出し、最初の目標がクリアとなりました。
これで、税理士試験受験のための資格を手にすることができたのです。ここからが本番です。
時期を同じくして、この頃、6か月に及ぶ入院生活から退院することができました。
残念ながら、痛みの程度は殆ど改善しないままでした。200m程度の距離であれば、杖を使いながら歩くことができ、20分程度であれば座ることができる、という状態です。鎮痛剤の投与やブロック注射を行うことで、この距離や時間をいくらか延ばすことはできました。
でも、この身体の状態でも目的を可能にしてくれる職業を見つけたのですから、そこに向かって邁進するのみです。嘆いていても、痛みが軽くなるわけではないですから。
ただ、身体の状態のこと以上に、大きな問題がありました。
それは、息子との生活のことです。私の退院まで、息子は両親の元で生活していました。
実家で息子と共に生活をさせてもらうことは、経済的な負担は軽くなるでしょう。でも、それ以上に心理面に圧し掛かる負担は、想像するだけでも心が破裂しそうでした。もう暴力を振るわれながらの生活には戻りたくない、自分の心がこれ以上蝕われたくない、もう母の奴隷としての自分からは解放されたい。まして、息子まで私と同じ状況にしてしまうことになったら、自分が許せなくなってしまいます。
だから、退院して一度は実家に戻ったものの、すぐに引っ越しを決めました。
引越のための費用は、何とか捻出することができたことが、唯一の救いです。
引っ越し先は、築50年近くの古い団地です。どこからともなく壁伝いにゴキブリが表れるような部屋でしたが、息子と安心して生活ができる安住の場所を手にすることができました。
ただ、引っ越し費用と入院費用で貯金は底をついてしまいました。まだ、到底働ける状態では無い中で、税理士試験受験のための学費と、その間の生活費が必要です。
でも、慌てません。なぜなら、入院中から周到に準備は進めてきていたからです。母子家庭を応援してくれる制度を行政が準備してくれていることを見つけていました。「母子父子寡婦福祉資金貸付制度」というものです。就職に必要な知識技能を習得するための資金(技能習得資金)と、その習得期間中の生活費用(生活資金)を貸してくれるという内容でした。
平たく言ってしまえば、ただの借金で、利息の支払いも発生します。それでも、金融機関のようなところでは審査が通るはずもない私にとっては、これ以上ないほどに救いとなる制度でした。両親から保証人としてのサインをもらうという、高い壁を除いては。借金をするということは、「返せるかどうか」を計画的に考える必要があるのでしょうが、「返せる」という思い込みだけで突っ走りました。税理士になることは決まっているのです。なぜなら、税理士は目標でも目的でも無くて、子どもと笑顔で生活するための手段でしかないのですから。その手段を失ってしまったら、目的も何もなくなってしまいます。だから、手段である税理士になれないなどという考えは、全くありませんでした。税理士にはなるのですから、当然に借金を返せる程度の収入は得られるだろう、と信じて疑いませんでした。
ただ、この制度にはリミットがありました。リミットは、2年です。
税理士試験の全科目合格は、平均で8年~10年と言われています。これを考えると、私の挑戦は無謀だったのでしょう。でも、幸いなことに、この情報を私は持っていなかったのです。無知が幸いとなり、「2年で税理士になる」という強い信念が揺らがずに済みました。
いよいよ税理士試験に向けた勉強が勢いよく始まりました。
1年で全科目合格する意気込みでのスタートです。
10年以上振りに「教室」という風景を見られる喜びから、初日には無意識のうちに涙してしまったことを覚えています。中学生の当時以来の光景です。
ところが、すぐに先行きが曇り出しました。身体の痛みのコントロールができないのです。
鎮痛剤を服用しても、痛みが引かない、ブロック注射をしても効果が長続きしない。
通学の形で始めた勉強でしたが、あっという間に通えない日々となりました。
痛みのコントロールがどうにもできないことから、整形外科と並行して、麻酔科でのペイン治療も始めることをお医者様より提案されました。ペイン治療とは、痛みを緩和させる目的の治療のことです。
麻酔科での治療が始まって間も無く、モルヒネの投与をスタートすることになるのです。モルヒネというと、末期癌の患者様の疼痛管理に使用する薬として有名です。そのような薬を使わないことには静まらないほどに痛みは強く、コントロールできないものになっていたのです。それでも、効果のある薬があることは、まだ有難いことでした。この薬が無かったら、ただ痛みに耐えるだけの毎日となり、勉強どころではありません。でも、今思うと、モルヒネ投与の治療は、私の身体には合っていなかったのです。お医者様は、慎重に薬の量を調整してくださいます。少量からスタートして、少しずつ少しずつ、段々と私の身体にとって「適量」となるところまで増やしていきます。そうして身体に慣らしながら増やすことで、薬の副作用を減らすことができるそうです。それでも、私に起こる副作用は大きく、嘔吐のためのそら豆型トレー(「膿盆」というそうです)を手放せない生活が始まりました。倦怠感も強く、インフルエンザに罹ったときのそれとはまったく異なります。
病院へ行くと「一日に何度くらい嘔吐しましたか?」と聞かれるのですが、いつもその答えは持っていませんでした。24時間吐き気が収まる時間は全くなく、数十秒おきに黄色液体がそら豆に流れる、そんな毎日です。「回数」を数えるなんて、できないのです。激しい痛みとは10年以上の友達として過ごしてきましたが、嘔吐と友達になることも、痛みとは比べられない別のしんどさがあることを教えられました。痛みと嘔吐と激しい倦怠感の三重苦で、いつも意識がどこかへ飛んで行ってしまいそうでした。
勢いよく始めた税理士試験のための勉強とも、距離が離れていきました。借金までして始めた勉強なのに、これから私はどうなってしまうのだろう、息子と生活を続けることはできるのだろうか、息子が両親によって取り上げられてしまうのではないだろうか、不安ばかりが頭の中を占めるようになりました。でも、この頃は、目的を失うことだけは無かったことが、私自身を奮い立たせる力になりました。「子どもと笑顔で生活する」、この目的を実現させる。
モルヒネの副作用は、1.2週間すると、数日だけ落ち着いてまた激しく始まる、ということを何度も繰り返し、その内、落ち着く期間が1週間に延び、1か月に延び、というように徐々に慣れて来たかと思えば、また激しい期間が数か月も続く、というように、とても不安定でした。
(つづく...)
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