tsugumi178

山陰地方の砂丘がある市に住んでいます。

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最近の記事

一年前に借りたLeica Qが忘れられず、とうとう買った。カメラを変えたからいい写真になったとか、良いカメラなんだから撮れて当たり前とか言われたくなくて「買いました」と言わなかったけどこれだけは言わせてほしい。Leica 買うほど私は写真が好きだしもっとうまく撮れるようになりたい

    • 撮影のご依頼について

      はじめまして。フォトグラファーの森安美穂と申します。 この度は撮影についてお問い合わせいただき、ありがとうございます。 自己紹介 子どもの頃は、小説を読んだり絵を描いたりするのが好きでした。 初めてカメラを買ったのは大学生の頃ですが、本格的に写真にのめり込んだのは2020年のコロナ禍が始まってからです。 写真好きのパパママが集うオンライン写真部で写真の知識を学び、その後も好きな写真家の写真集を買い集めたり、写真展に足を運んだりしながら、独学で写真を学んでいます。

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        写真が好きなあなたへの10の質問

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          ファインダー越しの感動との再会

        一年前に借りたLeica Qが忘れられず、とうとう買った。カメラを変えたからいい写真になったとか、良いカメラなんだから撮れて当たり前とか言われたくなくて「買いました」と言わなかったけどこれだけは言わせてほしい。Leica 買うほど私は写真が好きだしもっとうまく撮れるようになりたい

          群れない羊

          群れない羊、という言葉が私を言い表すのに最も相応しいキャッチコピーなのではないかと思い続けて、もう20年以上が経つ。 昔流行った動物占い。 本当かよ、と半信半疑で占いに対峙するスタンスの私だけれど、群れない羊という言葉はどこか自分を言い当てているようで嬉しくもあり、別にありがたくもない言葉だった。 ところで、羊とはいかなる存在か。 これは私の勝手なイメージだけれど、平和主義者で草食系、動きはゆったりとしていて多くの羊が集まって群を作って動く。 満たされていれば大きな

          群れない羊

          音楽と文学と写真と

          喪(うしな)うという感覚は、大人になった今よりも子供の頃にずっと頻繁に感じていて、「未来ある若者のはずなのに、なんで私はあんなに喪失感ばかり感じていたんだろう」と不思議だったけれど、過ぎていく時間や留め置くことのできない時間の無常さ(そして無情さ)に抗えない無力感が、あの喪失感の正体だったように思います。 喪ってから気付くんじゃなく、もう既に予感で解っていたから、美しいものを見ると哀しくなってた。 美しいものを見たとき、どうかこの幸せが少しでも長く続きますように、という祈

          音楽と文学と写真と

          私とGR

          私が初めてGRに触れたのは、2007年、まだ京都アヴァンティ内にソフマップがあった頃だった。 3万円の予算を握りしめ、初めて自分用のカメラを買おうと近隣の家電量販店を探索していた時、店頭のデモ機の中に端正な姿のGRが並んでいたのを今でも覚えている。 GRの隣に掲示されていた金額は完全に予算オーバーだったけれど、両手でデモ機を持ち上げシャッターを押した時、その写りの美しさに衝撃を受けて、以来13年、私はGRを忘れられずにいた。 (その時は結局、予算内に収まる中古のNiko

          フォトブック紹介

          オンライン写真部に入部してから、これまでに1冊のフォトブックを作り、今回2冊目のフォトブックを作った。 2冊目のコンセプトは素材を撮る前から決めていて、「1冊目と対になるもの」とした。 2冊目が完成したので、両方を比較しながらフォトブックに込めた想いをご紹介します。 vol.1 『I’m 』 1冊目は、オンライン写真部1期の期間に撮影した写真を組んで一冊にしたブック。 素材を集めながら自分の「好き」ってなんだっけを考え、最終的には趣味全開で作った(子ども受けしない、

          フォトブック紹介

          ゆるく、繋がっていたい

          オンライン、オフラインを問わず、多くを発信するよりも受け止めることの方が私は向いていて、ただ隣で沈黙を共有するとか、話している人に向かってやわらかな(あるいは興味や尊敬をもった)姿勢でいるとか、言葉以上に「なんとなく居心地よいこと」をコミュニケーションを取る上で重要視している。 ただ、それはオンライン上だと途端に効力を失くし、発信がない=存在しないと認識されてしまう。 仕事柄、言葉を発することができない、体を思い通りに動かせない、経管栄養だったり、呼吸もままならない小さな

          ゆるく、繋がっていたい

          最期の一枚、何を撮るか

          究極の質問をすると、自分の本性が炙り出されるように思います。 では早速。質問は、表題のとおりとしましょう。 人生最期、残り一枚のフィルムカメラで写真を撮るとしたら、あなたは何を撮りますか? おそらく私は、自分の手に持っているフィルムカメラを誰かに渡して、家族と一緒に撮ってもらうことを選びます。 その答えが出たとき、自分の写真観と言うのでしょうか、私の写真に対する想いが明確になりました。 写真は、ツール 私にとって写真は、二つの役割をもつツールです。 一つは記録とし

          最期の一枚、何を撮るか

          同じではない、ということを前提に

          私にとって、仕事の話を書くことは、多少覚悟が必要です。 趣味の話は、好きなことを語っていいと思うんです。自分の考えや意見を自由に話しても、誰かの利益や不利益になることが少ないから。 でも、仕事に関して自分の考えを話すときは、それを聞いた(読んだ)相手にどういう印象を与えているか、常に相手のリアクションを観察し、誤解されていないか確認しながら、丁寧に伝える必要があるように思います。 そういう理由で、実はオンライン上で文章を書くことは避けていました。相手のリアクションがリア

          同じではない、ということを前提に

          撮りたい写真、撮らない写真

          あけましておめでとうございます。 note書き初めにしては大きすぎるテーマを掲げましたが、おそらく時間をかければかけるほど終わりが見えない話になってしまいそうなので、さらっと書くことにします。 撮りたい写真【子どもの成長記録】 子どもが生まれてからずっと撮っている。長男の育休から仕事に復帰した年は、母子ともにしょっちゅう病気にかかり、ゴールデンウィーク、運動会、発表会、誕生日くらいしかカメラを持つことがなかった。「あれ、私このとき何してたんだろう?」と思い出せない。ぽっ

          撮りたい写真、撮らない写真