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私とGR

私が初めてGRに触れたのは、2007年、まだ京都アヴァンティ内にソフマップがあった頃だった。

3万円の予算を握りしめ、初めて自分用のカメラを買おうと近隣の家電量販店を探索していた時、店頭のデモ機の中に端正な姿のGRが並んでいたのを今でも覚えている。

GRの隣に掲示されていた金額は完全に予算オーバーだったけれど、両手でデモ機を持ち上げシャッターを押した時、その写りの美しさに衝撃を受けて、以来13年、私はGRを忘れられずにいた。

(その時は結局、予算内に収まる中古のNikon coolpix P5000を購入した)


話は変わるが、私の写真歴を少し振り返ってみたい。

私が初めてカメラを持ったのは、多分小学校6年生の修学旅行の時。

写ルンですをひと班に一つ支給され、それで広島を撮った。(もちろん、私以外の班のメンバーも撮ったので、私だけが撮ったわけではない)

写りがどうのというより、押せば写るというそのギミックが楽しく、その後自分のお小遣いで自分用の写ルンですを買い、お店でプリントしてもらった記憶がある。(暗くて写っていない写真ばかりだったのでがっかりし、それ以来写ルンですは買わなかった)

それから時は経ち、高校生になって携帯電話を持つようになると、携帯のカメラで空を撮ったりした。

数年経って機種変更をする時には、当時ではハイスペックの300万画素のカメラがついた携帯電話に変え、京都の街やテーブルフォトを撮るようになった。

それから冒頭の話に戻る。

大学4年生の時に買ったcoolpixを、卒業旅行先のフランスにも持って行った。

就職後もcoolpixを愛機として絞りやシャッタースピードを変えて写真を楽しんでいたが、一眼レフが欲しくなり、PENTAX K-m を購入。

夫(当時の恋人)と旅行に行く機会が多く、二人で代わるがわる旅行先で写真を撮った(人はまったく撮らなくて、動物園や水族館の生き物ばかり撮っていた)。

その後長男が生まれて単焦点レンズを購入、散々息子を撮った暁にK-mが壊れたのでPENTAX KPに買い替え、憧れのPENTAX FA 43mm F1.9 limitedレンズに手を出し、2020年のコロナ禍に突入した。

写真は完全に独学の素人で趣味の範囲だったけれど、良くも悪くもコロナ禍があったおかげで、オンライン化の機会を活かして憧れの人から学びたいという欲求が湧き出し、写真の基礎講座や、オンライン写真部で学ぶきっかけを得た。

そして、ある程度マニュアル撮影ができるようになり、「こう撮りたい」と思う写真が撮れるようになってきたことで、「じゃあ次は?」という疑問が首をもたげた。

それを思案する過程で、ふと、これまで自分が積み上げてきたものを壊したくなるという私の悪い癖が発動した。

発展や進化ではなく、無謀にも革命を起こしたくなってしまう。おとなしい性格なのに、私の人生は時々ロックだ。それは自覚している。

その革命が向かう先は、あの日のGRだった。

盲信かもしれないけど、私の写真を壊してくれるのは、GRだと思った。


GRⅢを購入してから、1ヶ月が経つ。

28mm単焦点の写りは私が写したいものの少し外側まで取り込み、正直それは私の無意識を視覚化して突きつけてくるような鋭さがある。

GRは、無意識まで写る画角というか、自分の視点の外側ーーたとえば状況とか時代とかーーが写るカメラだと思う。

今でこそ、自分の足でフレーミングし、露出やシャッタースピードやISOを操作できるようになったけど、もしも2007年の私がGRを買っていたなら、全く使いこなせなくて写真自体ここまで好きになれなかっただろう。

そう思うと、出会ってから13年、運命のタイミングで手にすることができたカメラだと思う。


もうひとつ、GRを手にして不思議な体験をした。

無意識が写る画角と言ったが、私はGRを手にしてから、亡くなった祖父母の家を撮りに行きたいという衝動に駆られた。

もう7年も誰も住んでいない、母が時々掃除をしに行く空き家。

そこを記録しなければならない、残さなければならないという使命感と、今行けばきっと撮れるものがあるという確信をもって、母に頼んで写真を撮りに行かせてもらった。

古く、雑多に物が積み上がった、映え要素など露程もない祖母の家は私にとって懐かしく、PENTAX KPとGRⅢ、写ルンですの3台持ちで行った結果、ほとんどをGRⅢで撮った。

かつて自分が見た視点で祖母がごはんを作っていた台所を、祖父と一緒にお茶を飲んだ部屋を、いとこと遊んだソファを、そして遺影が並ぶ仏壇を撮る。

黙々と撮り、プレビューで確認すると、思った通り普通はそこに届かないはずの白い光が写っていた。

一緒にいた母には見せなかったけど、私は嬉しくなって、もう少し撮る。

目には見えないものがカメラでなら見えると思っていたので、私はその使命を果たすことができたように感じた。


今はもう、子どものかわいい写真を撮りたいとは思っていない。(自分はそう思うだけで、かわいくお子さんを撮られる方の写真を見るのは好きだ)

かわいかろうが、かわいくなかろうが、一緒に暮らした記憶を記録できれば、それは自分の使命を果たしたことになると思っている。

写真は楽しい。楽しいけど、切なさも孕んでいる。

そう遠くないうちに、祖母の家や実家はなくなり、親や自分は老い、子どもは大きくなる。

なんだか切なくもなるけど、次の瞬間に喪われていく(あるいは、百年後にはもう存在しない)愛しい世界を写真で閉じ込められるなら、少しは自分の心が救われるように思う。

一緒に暮らした記憶や、自分の視点を残せるのは自分しかいない。

GRⅢは、私にとって自分の視点を記録するための相棒だ。