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なぜ窓が好きなのか その2

『なぜ窓が好きなのか その1』では、窓が好きだと思った出来事からはじまり、窓に関わる絵画や格言のエピソード、そして好きな窓の使われ方についてなど、とりとめもなく綴らせていただきました。今回は、窓の登場する歌詞を中心に、詩や小説で気になったものについても書きたいと思います。

"窓ガラス壊してまわった"

窓が登場する歌詞で、すぐ思い浮かぶのは尾崎豊さんの『卒業』

夜の校舎 窓ガラス壊してまわった

普通のこと(?)でも、歌詞になった途端、強烈なフレーズになりますよね。壊してまわったものが窓ガラス、というのが大事だと思っています。

理由1:机や椅子を壊してまわってもスッキリしなさそう。椎名林檎さんも『本能』でガラスを割っていますが、壊す、という破壊行為においては、分かりやすく破片が飛び散る、というのがポイントのように思います。

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理由2:その後の歌詞に、

逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった

とある点。"自由になるため"には、やはり机や椅子、黒板などでなはなく、「外側の世界」と「内側の世界」の境界線としての役割がある窓を壊す必要があったように思うのです。ただこの歌を聞いていると、校舎の外側から窓を壊してまわっているところを想像してしまいます。自由になりたいのであれば、校舎内から窓を割る方が腑に落ちるんですがね。教室の中から壊したのかな...... みなさんがどんな風に想像されているのか気になります。

さて、ではなぜ扉ではいけないのか......  扉を壊すって、なんだか『シャイニング』みたいに急にホラー的なシチュエーションになりませんか?笑。

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"キスしておくれよ 窓から"

RCサクセション『多摩蘭坂』ですね。

お月さまのぞいてる 君の口に似てる
キスしておくれよ 窓から

『なぜ窓が好きなのか その1』でも触れたように、窓というのは、本来の使われ方と違う使われ方がされたとき、その場が急にすてきな場面になるんですよね。これは、『ロミオとジュリエット』を思い起こさせる歌詞のように思いました。

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イギリスの寮に住んでいた友人(日本人)から、この歌詞に少し似たエピソードを聞いたことがあります。ある夜、その子の部屋の窓の外にイタリア人の男の子がきて、窓を開けてあげると、「おやすみ!」といって、ほっぺにチュッとして去っていったそうです。すごーさすがイタリア人!!と思った記憶があります。友人は、かわいらしかった、と言っていました笑。

"Traveling 窓を Traveling 下げて 何も怖くないモード"

宇多田ヒカルさんの『Traveling』です。「窓を開けて」ではなく、「窓を下げて」になっているところが、すごいと思いました。私だったら窓を開けてにしてしまいそうです。ミュージックビデオを観るとわかるのですが、舞台が列車なんですよね。たしかに列車って、四角い窓を下げて開ける下降式窓のイメージがあります。

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あれ、丸窓...... 全く開きそうにない笑。

んん......?あれ......そもそも「窓を下げて」を、勝手に「=開けて」と思っていたけれど、「閉めて」いた可能性もあるのか!?もしかして、窓を閉めきって、"何も怖くないモード"になっているのかな......?

いやいや、待て待て、そうなってくると、この下げられた窓は本当に列車の窓なのだろうか......。なぜならば、一番の歌詞に、

タクシーもすぐつかまる(飛び乗る)

とあるように、タクシーに飛び乗っているんですよね。タクシーの窓って、下げることで開きますよね。うーん...... ちょっとこの謎は課題として残しておこうと思います......。

"日なたの窓に憧れて"

スピッツ『日なたの窓に憧れて』ですね。このタイトルは一見、窓の本来の機能を果たしているように思うのですが、ここでまずご紹介したいのはこの歌詞ではなく、インタビューで草野マサムネさんがおっしゃっていた日当たりについてです。

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『空も飛べるはず』『涙がキラリ☆』は、すごく日当たりのいい部屋に引っ越してからの曲で、

その日当たりのいい感じも出てるかもしんない(笑) 
                                                   『スピッツ』©︎ 1998 rockin'on 

とのこと。インタビュアーの方も、それらの曲について、夕暮れというよりも太陽という感じがする、とおっしゃっています。逆に、

ぎりぎり日当たりの悪い部屋で作った歌が "ロビンソン" なんですけどね(笑)                                       『スピッツ』©︎ 1998 rockin'on 

だそう。

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そしてこの日当たりの話は、まさに前回ご紹介した、

採光や通風によって室内環境を調整し、眺望をもたらすもの
                  (『窓展』図録より)

という窓本来の機能についてになります。私は、創作をするときは、曇りや雨の日の方が捗る気がしています。窓から光が入ってこない方が、集中できる気がするのです。あと、家の中にずっといてもいい気がして笑。

つづいて、私が気になったスピッツの歌詞中に登場する窓をご紹介します。

膝を抱えながら 色のない窓を眺めつつ 『鈴虫を飼う』
すりガラスの窓を あけた時に
よみがえる埃の粒たちを 動かずに見ていたい 『サンシャイン』

これは、埃の粒がよみがえる様子が目に浮かんで、それがとてもきれいで、埃も書きようによっては綺麗になるんだなあ、と思いました。

でも あの娘だけは光の粒を
ちょっとわけてくれた明日の窓で 『あじさい通り』
君が住む街 窓から窓へ 見えない鳩 解き放す 『会いに行くよ』
桃の香りがして 幸せ過ぎる窓から 投げ捨てたハイヒール
『グラスホッパー』
きっと どこかで 窓を開けて待ってる 『心の底から』

さて次は、窓が登場する詩をご紹介したいと思います。

窓の外の部分

詩人である峯澤典子さんの「袋」という詩が好きです。物語のような詩です。異国の地で学生寮をみあげると、部屋の窓の外に買い物袋がぶらさがっています。共用の冷蔵庫はあるものの、誰かに使われてしまいたくない人は、窓の外にさげておくのだそう。

駅の売店で買った水とオレンジを ビニール袋から出し
洗面台の鏡の前に並べる
ひとつしかない窓を開け
からの袋を
外の格子に結びつけると
たやすく風になびいた

それから
マットレスがむき出しになったベッドのうえに
荷物をひとつひとつ解いていった
窓の外の
誰とも共有していないこころが
どこかに飛んでゆこうとする音を聞きながら

この詩は『ひかりの途上で』(七月堂)という、H氏賞受賞の詩集に所収されています。ご自身のブログに全篇を掲載しておられます。

"窓の外の/誰とも共有していないこころが" という部分がとても好きです。自分の部屋の窓の外の部分、についてあまり考えたことがなかったのですが、この詩を読んで、とても特別な場所のように感じました。自分の部屋の窓、ではあるけれど、その外側の部分も、実は自分の場所であって、誰とも共有せずにいていいところなのだ、と思いました。

これもまた、扉ではなく、窓であることが重要に思います。扉だと、"どこかに飛んでゆこう"としそうにありませんし、"たやすく風に"なびきそうにもありません。どこか現実的で、不自由な印象になります。ドラマとかでもよくみますよね、風邪を引いている人の家のドアノブに袋をぶらさげておく......といった場面。

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この詩を読むと、改めて窓の持つ美しさや、透明感、自由さを感じます。それはきっと、"からの袋"の力によるもののような気もします。

つづいては小説・エッセイから、窓について少し考えたいと思います。

なんでも窓になる

『断片的なものの社会学』(朝日出版社)という本の中で、社会学者である岸政彦さんはこんなことをおっしゃています。

私たちはいつも、どこに行っても居場所がない。だから、いつも今いるここを出てどこかへ行きたい。
(中略)
実際に、どこかに移動しなくても、「出口」を見つけることができる。誰にでも、思わぬところに「外に向かって開いている窓」があるのだ。私の場合は本だった。同じようなひとは多いだろう。
四角い紙の本は、それがそのまま、外の世界にむかって開いている四角い窓だ。(中略)そして私たちは、時がくれば本当に窓や扉を開けて、自分の好きなところに出かけていくのである。
                 「出ていくことと帰ること」の章より

窓はそこらじゅうにあって、本だけでなく、人や音楽も窓になって、思いもしなかった場所へと連れ去ってくれる、とあります。そう思うと、たとえひとところに留まっていたとしても、人間の持つ「想像力」「創造力」によって、世界は身近でどこまでも広くなるのだな、と感じます。連続テレビ小説『花子とアン』(2014年放送)で、たびたび「想像の翼を広げる」というセリフがでてきました。想像の翼を広げると、そこらじゅうにある窓からいつでも、どこへでも飛んでいけるような気がします。

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そういえば、前回ご紹介した『窓展』に、壁にプロジェクションされたデスクトップに、リズミカルなクリック音やエラー音に合わせて、次々とウィンドウが開いていくという作品がありました。PC上のウィンドウが、一番身近な窓になっている人が多いようにも思います。

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窓のある正常性、窓のない異常性

最近、大型クルーズ船についての報道で度々、「窓がない」、もしくは「開閉のできない窓」というフレーズを耳にします。森博嗣さんの小説『すべてがFになる』(講談社文庫)では、天才プログラマである真賀田四季博士の研究所の異常性を、

建物のどこにも、外界を覗き見る窓はない

と描写しています。建築基準法があるにしても、人が生活する空間に窓はあって当たり前のもの、として認識されていることを改めて感じました。対照的といっていいかどうかわかりませんが、古市憲寿さんの小説『百の夜は跳ねて』(新潮社)では、ビルの窓ガラスの清掃員が主人公で、窓がたくさん登場します。本の装画を古市さんご自身がされているようなのですが、その絵をみて思いました。建物を建物たらしめるものって実は窓なのではないでしょうか。建物の絵を描く時って、窓を書かないと、ほぼただの四角形になってしまいますよね。

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私は普段、どうしても室内から見る窓について考えてしまうことが多いのですが、この小説では、外側から見る窓(そしてその室内)についてが描かれていたのが新鮮でした。あ、急に思い出しました。『古畑任三郎 第3シーズン』(1999年放送)の真田広之さんがゲストの回「その男、多忙につき」では、外側から見た窓がオチに使われていました。こうやって書いていると、色々なことを思い出すので楽しいです。

なぜ窓が好きなのか

GORO MATSUI presents Talk Gallery『売野雅男×松井五郎 作詞家二人が作詞を語る』(2017.12.25.)というトークイベントにて、松井五郎さんはこんなことをおっしゃっていました。

包丁が台所にあれば普通だけど、ベッドにあれば凶器になる。ありふれた普通の言葉でも、シチュエーションによって造語になる

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私は、これは窓にも当てはまるのではないかと思っています。そういう魅力があるから、きっと窓が好きなのだと思います。

今回も長くなってしまいました。取り留めのない記事を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。



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