地方のアパレル店を観察して考えたこと

地方のアパレル店に行ったので、店内のマスク着用率を観察してみました。

先日のニュースでマスクの着用に関して「政府は、3月13日から屋内・屋外を問わず個人の判断に委ねる方針を決定しました」とアナウンスがありましたが、店内のお客さんは9割くらいマスク着用という感じでした。

「個人の判断に委ねる方針」
→え、これまでは違ったの?といった感じですが、どこもかしこも出口戦略がまったく機能しない感じが、日本の伝統芸やなと感じました。

第二次世界大戦のときも終わりを自分たちで決断出来ず、最後は沖縄戦での地上戦を経て、原子爆弾を落とされて、なし崩し的に「終戦」しました。この「終戦」には、自ら選んで終わらせたというニュアンスは感じられないように感じます。昭和の時代から主体的に選択したという意思がなかったのかもしれません。
「はじめることはできるけど、終わらせることができない」という事態は、日本の歴史の本を読むと結構出てきます。

マスクに関しても、自分の意志で着ける選択をしているのならまったく問題ないと思います。しかし主体的に選択ができないのであれば、なにかを始めるときには、終わらせるときの基準も決めておくことが必要でしょう。

先日市役所に行った際も、職員の方は見たかぎり全員マスク着用でした。
地方自治体はどのような地域共同体を運営すべきか、どのような意思で職員がマスクをしているか、明確に言葉にされているのか。

個人、または小さな地域のレイヤーから、選択し意思を集約していくことを、「地方創生」より先にやるべきじゃないかと考えた次第です。


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