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いっそのこと、思いっきりフラれたい

つぶだてる代表のデビです。

僕が最近感じていることがある。
しょうもない話しかもしれないけれど、メールやチャットの返信をくれない人がとても多い。

僕は転職エージェントのキャリアコンサルタントとして、日々たくさんの方のキャリア相談を行なっている。

相談をして、今後のスケジュールを共有して、次のアクションの約束をしたあと、返事が来なくなる。

応募していた企業から内定をもらい、一緒にこれまでの軌跡を振り返って喜んだあと、返信がこなくなる。
電話をしてもLINEをしても連絡が取れない。

ひと言、ひと言でいいから「やっぱりやめときます」と言ってほしい。

「もう、これ以上連絡しないでください」
「他のところで決まりました」と言ってほしい。

僕の勝手な推測としては、コミュニケーションが軽くなっている。
LINEやチャットで指一本で会話ができる。
連絡をとりたくないと思ったら、指一本でブロックにも非表示にもできる。
うるさいと思ったらその人の存在ごと画面上で消してしまうことができる。

おそらく僕は、
存在を消されてしまっていると思う。

最後のひと言さえも、言ってもらうことができないのかとモヤモヤが募る。

僕のコミュニケーションのどこが悪かったんやろうと内省する。
連絡が取れなくなってしまった人とのコミュニケーションについて、共通項が見出しきれずにいる。

人間同士、相性もあるので連絡が取れなくなる人は一定数はいるのだろう。

「面談後にこんなにやりとりが発生するなんて、めんどくさい」と思われているのだろうか。僕の説明が足りていないのだろうか。


入り口と出口のハードル、低くなってない?!

最近では、オンラインでのキャリア相談が多くなり「ちょっと話してみようかな」と連絡をもらえるようになった。転職相談に対する入口のハードルは低くなったのだと思う。
僕も入り口のハードルは下げて、できるだけたくさんの人の相談にのりたい。

ただ、僕のモヤモヤポイントはその後だ。
「やっぱり連絡取り合うの面倒だな、ブロックしちゃおう」と、関係を断つことへのハードルも下がったように感じている。

多くの情報に触れることができる今、人は自分で選ぶことができる。
1社で長く働き続けるのが善とされた時代から、誰もが自分でキャリアを選びとっていく時代に変わってきた。日本の外に目をやると「ジョブホッピング」と言われるキャリア構築が当たり前の世界が多い。日本もようやく世界に追いついてきたのだろうか。

世界基準で考えると、僕の考え方が時代に追いつけていないのか。
今やコミュニケーションだって軽やかなものが良いのだろうか。

僕はそこは譲れない。
縁あって面談させてもらった方の人生が豊かになるといいなと思って向き合うので、連絡が取れなくなって「こんなもんか…」と思う自分もいるけど、やっぱり諦めたくない。だから難しい。

合理的なコミュニケーション って?

たくさんの情報に触れて、合理的に取捨選択する。
無駄なことに時間を割かない。
自分がとる行動の先に思いを馳ることはしない。
「デビさん困るかも・・・」って思ってもらえない。
自分には関係ないと思われている。

保険や不動産の商品を比較して探す時って、年齢や場所や金額とかの数字を入れて自分で絞り込んで探すことができる。もし家族が増えたら、病気したらと、ある程度の揺らぎも考慮して商品を探す。

でもキャリアって、勤務地や年収とか数字で表せるものもあるけど、10年、20年っていう長期スパンで見た時に、その人自身もそうだし、時代も環境も「揺らぎ」が大きいと思っている。

僕は、その「揺らぎ」を一緒に考えたい。
あつくるしいだろうか。

今や退職交渉を代行するサービスもある時代。
断ることに対して心理的ハードルがあるのだろう。

恋愛においても相手から「さよなら」を告げられること、こちらから「さよなら」を告げることがしんどくて、敢えて深い関係にはならない人がいるという。

僕はハッキリと振ってくれた方が気持ちいい。
これさえも、贅沢なのだろうか。

                                                                            (インタビュー・文=さおりす



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