生きるって奇跡の連続なのかもしれない
わたしは、今が大事という思考の方が強いのです。
どうして、そうなったのか。
その理由を説明するエピソードをお話ししたいと思います。
あれは、いつだったか忘れましたがだいぶ前。
どこだったか忘れましたが、都内のどこか、割と大きめの交差点で歩行者として信号待ちをしていたときのことです。
信号が青に変わったので、もちろん歩き始めました。
わたしは、無意識に歩くくせがあるのでこのときもぼんやりしながら歩いてました。
すると、突然、前の列にいた何人かが立ち止まって右側を見たのです。
わたしは、「青信号なのになんで止まるんだよ」と思いました。
そのまま、気にせず歩こうかとも思いました。
だけど、なぜかあのときはたまたまじぶんも立ち止まって右側を見たのです。
そしたら、信号を無視した高級車がものすごいスピードでわたしたちの前を通り過ぎたのです。
わたしは、あまりにも驚き、心臓が飛び跳ねました。
これで誰かが巻き込まれてたら大惨事です。
だけど、このときは誰も巻き込まれることなく、そのまま何事もなくが交差点を渡りました。
これの恐ろしさが分かりますか?
まず、わたしはあのとき偶然立ち止まったのです。
本当だったら信号は青だし、渡っていいわけで、止まる必要はなかったのです。
でも、あのときなんとなく立ち止まったから巻き込まれずに済んだのです。
もし、あのまま気にせずに渡っていたら・・・死んでたでしょうね。
まず、ここで一つ目の奇跡が起きました。
だけど、もし、わたしの前を歩いてた数名の人たちが立ち止まってなかったらどうでしょうか。
みんなして、あの暴走車に轢かれていたことでしょう。
ここでも二つ目の奇跡が起きたのです。
わたしたちは、正しく生きようとします。
だけど、たとえじぶんが正しく生きようとしても周りに一人でも頭おかしい人がいたら、その巻き添えをくって死ぬ可能性があります。
人災だけではありません。
天災だってそうです。
地震や津波に巻き込まれて亡くなった方々は何の罪もない人々です。
つまり、青信号だからそのままじぶんが正しいと思って歩き続けていたら死んでたわけです。
まぁ、無意識に歩かずちゃんと確認してから歩けよ!というツッコミが来そうですが笑
つまり、何が言いたいかというと生きるということは偶然での幸運の繋がり、奇跡の連続が起こって生き続けることができるのだと思いました。
なので、わたしたちが今この歳まで生きてることが奇跡なのです。
この奇跡がずっと起こり続けるかもしれないし、どこかで終わってしまうかもしれない。
それは、誰にも分からないことなのです。
というわけで、わたしは、なんとなく今を楽しく過ごせてたらいいかなと思いました。
楽観主義すぎて痛いと思うかもしれませんが・・・。
死んでも天国までお金は持っていけませんからね。。。
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