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兆し

私と彼と。

「私には10以上、年の離れたの夫がいる」
この台詞だけを誰かに伝えると、大抵の方が
「そうなんですか。ではもう定年なさっているという事ですね。」
と言う。面白いものだ。私は上だとも下だとも言っていない。
「いえ。まだまだ現役で海外ストリッパーのような体をしております」
そう返すと、皆さん面を喰らう。体目当てだと思われようが、そこは私にはどうでもよい。どのように述べても、人は自分の好きなように物事を解釈する。

一言で、10以上も下であると言うと、若い人間が家にいるといいでしょ!とカラッと返される事もあるが、10年という年月はなかなか長いものだな……と痛感する事も多々ある。当たり前か。だって彼が小3のころ、私はもう成人していてバリバリ働いていた。親子連れに向かって、可愛いお子さんですね、と声をかける年齢でもあった。そのお子さん側が彼であり、私はお姉さん、下手したらおばさんとその子に言われる側だ。その距離は埋まらない。

その為、私の中で彼は(最近の若い子)側に分類され、私は彼らから見ると(年配の方)に分類されるのだろう。昔はそんな事なかったのに、最近はとんとひどいね、と言いたくなる、その最近の側の人でもある。昔はよかった等と言うつもりもないが、違いを感じるのもまた、事実である。

ドライさと自己責任


"あの頃"と比べて明らかに変わっていったのは人間関係の築かれ方であろう。どちらの時代も一長一短あるには変わりはないが、今の時代には昔ほどの助け合いも見られなくなり、関係性は非常にドライなものになった。

現に何かが起きても自己責任の時代である。何かの危険に気づいていても、一言もかけずに知らない顔をしたとして、何かが起きたら(気づかなかった側が悪い)のであり(そうなったのは仕方がない)というような考え方が大きく見てとれる事が、会社でも家でも年の離れた友達感、様々に垣間見られる。

私はある程度の経験も積んでいるので、何が人を一番に苦しめるのかを知っているつもりだ。人は自分の無力さにのみ、本気の後悔をし、絶望する。何かしていれば助けられたのに、なんにもできなくても何か、できた事があったのではないか、と。人はみな、誰かの子であり命もあり、それらが傷ついては欲しくないと思いながら、その命を育む。自分が気づいていたのに、すべき事もせずして

「それは気づかなかったあの人が悪いよ。そんなん自己責任でしょ」

だなんて、あっけらかんに言える事の方が恐ろしい。責任の回避など、他責でしか埋められないからだ。自分に芽生えた罪の意識は自分にしか拭えないし、その棘は誰かに抜いて貰う事なんて不可能だからだ。まぁ確かに、今も昔も変わりなく、一定数の何が悪いの?な人もいる。この場合は、その話は除外して、誰かを責めて回復を図ろうとするような愚か者になる種を自分自身の畑に撒くな、という事が言いたい。

一緒に出掛けた先で、何かがあれば私がふと見知らぬ誰かのアシストをする、その様子を黙って見ていた彼は
「すごいねぇ。そういう事が自然にできて。俺はだめだな。厚かましくないかなー?とか、かっこいいと思われたいんだろって受け止められないか、とか、そういう事、ふっと考えちゃって……」
と言っていた。ここだろう、と思う。他人の受け取り方まではコントロールなどできないのだ。でも、だから手を貸さない、というのは違う。それとこれとは話が別である。

「私も多分いくつかは、そう思われてるとおもうよ!(笑)でも、誰も傷つかないで、誰かが助かる可能性が1ミリでもあるんなら私は動くわ。だって、私、後悔したくないもん。たまにあるよ?大きなお世話!みたいに言われること。でもそれって、私が差し出がましくしたから悪かったんだなってのよりも、相手側のもつ意地みたいなもんでしょう?(笑)

あらそれはすみませんでした、と謝れば済むし、そういう生き方で責められるのは私じゃなくて、相手だからね。私はすべきことをした、それだけでそれ以上も以下もない。仕事みたいなもん。すべきことをする、そんだけ。」

尊敬するわー……と一言残し、日々が過ぎる。そういう事は見て学ぶ。だからその時の即時判断で、こいつはダメだな、とは思わない事にしている。人には順序という物がある。それを見て、どう捉え、もし自分ならどうするか、これを相手に考えさせる時間も必要で、こちらはそれを最後まで見届ける事に意味がある。それを待ってもダメであれば、それは切り捨ててしまってもいいかもしれない。

これら考えさせる時間をも相手に与えずに、だめだ使えねぇと切り上げてしまう早急さとドライさもまた、現在によくみられる部分だなぁ、とも思う。人生の戦いは思った以上に長いのに、だ。持久戦には向かない。

ある日の兆し

ある日の事だ。
ジムへ行き、家に戻って犬の散歩、とバタバタしていた彼が階下から私の名前を呼ぶ。どうした事だと尋ねてみると、ここは大都会、少し暖かくなると変わった人も増えるもので……。

隣の家の前に立って、防犯カメラに手を振ったりしている不審者がいた。との事。お隣の家の自転車は、ちょっぴり良い自転車で、いつでも持って逃げられるような止め方をしてあった。

防犯カメラが作動しているかどうかを確認するような素振りで、距離をとって眺めていたが一向にその場を去ろうとしない、あれは自転車泥棒ではないか、という話になった。そうすると、間髪おかずに

「ちょっと俺、行ってくる!」

という。

「行く……ってどこに?警察に?」
「お隣さんに。伝えてくる!!」

そう言い残して出て行った。心の中で、変わったね♡と、よいことだ♡と、成長したな坊主!が沸いてでたが、私がそれを褒めるより、彼が実感する事の方が先であろうと思い、気にもとめていないフリで台所仕事を続けていた。顔はニヤけてはいたけれど。

しばらくして、また走って戻ったので、伝えられたのかを聞くと

「いや、俺、自分のこの感じ忘れてたわ!!ピンポン鳴ってさ、カメラ覗いたらガチムチの男が立ってたら、そりゃ怖くて、居ても出てきてくれないじゃんってことを……!!」

と、一気にまくし立てるのでおかしくて笑ってしまった。確かにそうだ。それはそうかも。面白すぎて笑っていたら、内容は自分が伝えるからピンポンだけ押して呼び出してほしい、との事。

炊事中だった濡れた手だけを拭いて、言われたとおりに外に出た。面白いもので、何度鳴らしても出てきてくれなかったらしいお隣さんは、私が鳴らすとさっと対応して下さり、外へ出てきてお話を聞いて下さった。

夜分にお邪魔しました、と挨拶をした後の、彼の晴れ渡った顔は見ているこちらも嬉しくなった。家に戻り、ご飯も食べて暖かいお風呂に入り、弾む会話に少しの休息。翌朝も仕事で早い。この時代は忙しさもセットだ。

翌仕事中、私は彼にLINEをした。

『昨日のことだけど。とても善いことをしたと思うよ。偉かったね。
善いことをするにも、勇気のいるものだけど、私といる事であなたが少し成長してくれたんだなぁと思うと、私は嬉しかったです。
誰も褒めなくても、私は褒めるよ!立派だった。

誰も傷つかず、自分もそれで満足が行くなら、そういう事はたくさんして行くべきね!あなたが男として人として、よい人生を歩めるように願っています。

これからも、どうぞよろしく------------』






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