【読書感想】句点。に気をつけろ(尹雄大)
今回は尹雄大さんの「句点。に気をつけろ」を拝読した。
書籍の帯に書かれていた、「言いよどんだり、つっかえたり、冗長だったりでいいんだ。」というコメントに惹かれて本書を購入した。
本書では、論理的かつ端的に自分の意見を述べることが世間的には是とされているが、それって本当に良いことなのだろうか?ということについて考察されている。現代、特にビジネスの場面においては、明瞭かつ論理的、端的に自身の意見を述べる、いわゆる句点で区切ることのできる言い切り型のコミュニケーションが是とされているいるが、それは本来自分が感じている揺らぎや、自分の中でうまく言語化できていない違和感などを無いものとしてしまっているのではないか、もっとそういった揺らぎを丁寧に見つめ直すような良い意味でノイズを含んだコミュニケーションが重要なのではないかという筆者の考察が記されている。
また、こういったコミュニケーションスタイルが世間的に良い物であるとされている背景には、「こうあるべき」といった社会的通念や、ビジネスやプライベート両方であらゆるものごとが「コントロール」されているべきであるという考えが一般的になっていることも影響していると考察されている。
自分自身の生活においても、今働いている会社がコンサル関係ということもあり、相対的に見てもロジカルかつシンプルな物言いが最良とされているカルチャーがあり、そこにものいえぬ居心地の悪さを感じていた。
つっかえたり、だらだらと結論の出ない話をしたり、感覚だけでものを話したりすることは基本的にNGであるため、コミュニケーションも丸みを帯びたつるっとしたものになっている感覚がある。そこではざらつきや凹凸といったものはすべて排除されている。
でもそれって、自分の本心に近いコミュニケーションをとれていないのではないかということを本書を読んで感じた。たしかにビジネスを進める上で、様々なステークホルダーの合意を得て物事を推進していくためにはそのようなローコンテキストなコミュニケーションが必要となるかもしれない。
でも、そんなコミュニケーションスタイルを続けていくうちに、私生活や自分の思考においてもそのようなスタイルになってしまっているのではないかと感じた。また、そのような言い切り型の言葉を発していると、最初はあくまで便宜上での発言だったとしてもだんだんそれが自分の本当の考えであるかのように錯覚してしまう現象もあると思う。言語の持つ力とは良くも悪くも強大だ。
プライベートで、流れるような言葉がすらすらと出てくる人よりも、朴訥でどもったり冗長な話し方になってしまう人の方がなんだか信頼できるように感じるのも、うわべの言葉ではなく、その人のオリジナルの言葉を発しようとしていると感じられるからなのかもしれない。
確かにビジネス上でそういったコミュニケーションが求められのは一定避けられないかもしれない、でも、プライベートや自分との対話においては、そういった冗長なコミュニケーションをとることをもっと許容していきたいと感じた。
自分の中に理性的な人格と、本能的な人格がいて、大体において、本能的な自分から湧き上がってくるうまく言語化できない感情を、理性的な人格が言い切り型の言葉で封じ込めてしまう。「それじゃ社会でやっていけない。」「そんな考えは甘い。」「そんな非論理的な考えは認められない。」といった感じで。でも本書を読んで、そんな本能の発する言葉をきちんと拾い上げて丁寧に見つめてあげたいと思うようになった。
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