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拝啓、小林元治日弁連会長さま 〜子どもの共同親権とデータプライバシーの話〜

新緑が目に鮮やかな、すがすがしい季節となりました。

先日、法制審議会(法相の諮問機関)の家族法制部会が、「民法第819条(単独親権)を見直す前提で今後の議論を進める」ことを明らかにしました(*1)。日本の家族法制が、大きな転換点に差し掛かろうとしている。少なからず小林先生もご同意いただけるはずです。

わたしは、個人的に体験したことを世間の皆さまにお伝えすることで、これからの社会のあり方について考えていただく仕事をしています。本日は、「社会における子どもや外国人をめぐる問題」や「これからのプライバシーやデータ政策」について、先生のご協力を賜りたくお手紙を書いています。


公と民のあいだの深い溝で

夫と家庭内別居中です。離婚をするために仕事を探していますが、なかなかうまくいきません。子どもにも悪影響があるので、子どもを連れて実家に帰りたいのですが、それをすると離婚協議の時に不利になるどころか、未成年者略取になると聞きました。(40代専業主婦・匿名希望)

「民事不介入の原則」のもと、事件として表面化するまでは動けない警察と、
「既存制度への適用にしか興味を示さない」行政窓口と、
「権限がないから話を聞くしかできない」多くの公的・民間相談窓口(*2)。

5年間地べたでわたしが感じたことは、「官と民の溝は深く、その間に落ちている課題がたくさんある」ということです。

例えば、家庭内で起こるさまざまな問題。
児童虐待、家庭内暴力、引きこもりや片親(その多くが母親)による子どもの「連れ去り」(*3)など、昨今報道される社会問題の多くが家庭内で起きていると言っても過言ではありません。

もちろん当事者の責めに帰する面もあるでしょうが、わたしは社会構造に起因するところが多いと見ています。戦後の民主化活動の流れを汲んで、家長父制(イエの中のことは男性家長が決める制度)を否定しながら、それに変わる統治の仕組みを作ろうとしなかった(人間の多面性を想定したものではなかった)と考えるからです。

戦後における離婚後親権のゆくえ

さて、これは離婚後に子どもの親権を夫婦のどちらが行なってきたかを示すグラフ(*4、やや古いデータですが2022年の調査でも「妻が子ども全員の親権者となる離婚は84.6%」)です。”妻が離縁をする時は子どもを家に置いて出ていかなければならない”慣例が、「もはや戦後ではない」と言わしめた東京オリンピック(1964年)頃を機に逆転していることがわかります。

厚生労働省「親権を行う者別にみた離婚件数構成割合の年次推移 -昭和25年~平成10年-」

「依然として子どもの養育責任は女性の肩にかかっている」。
”子の福祉のための養育環境”を重視する司法現場では、離婚後も「家族という名の”支配”」を懸念する立場から、共同親権に反対する声は決して少なくありません。

「家庭における男性の役割を矮小化し、労働者としての価値しか認めようとしない社会のあり方の表出である」
わたしは共同親権を推進する立場として、「ケアをめぐる男女の非対称性を目の前にするとき、男には共同親権を要求する準備がまだない」とおっしゃる上野千鶴子先生(*5)に申し上げたいのです。

なぜ、労働市場や経済界に変革を求めようとしないのか、と。

経済界とワガママな男女の共犯関係

家族の基本である夫婦は、「”利益でも損失でも何らかの影響を互いに及ぼしつつ、必ずしもその利害は一致しない”人生最大のステークホルダー(利害関係者)」です。

世間の分別もつかないうちに結婚したわたしは、日々の食卓と夫を支えてきた、と少なからず自負しております。しかし、孤独なワーキングマザーとして奮闘していたとき、「いざとなれば離婚しても親権が取れる社会的強者」だと内心驕り上がっていたことを、今ここで懺悔しておきたいと思います。

そもそも、「性別を問わずひとりで子どもを育てていける」自信は、恵まれた安定的雇用環境と周囲の理解が大前提です。「夫ひとりの収入でやりくりしている世帯もたくさんあるのに、なぜ夫と伍して働こうとするのかわからない」。中野円佳さんの『育休世代のジレンマ』(2014年)や「保育園落ちた日本死ね」(2016年)が世間で話題になったのも、政財界の本音が「保育園を増やせなど、分を弁えない女たちのワガママ」だったからでしょう。

では、誰が「子どもにとって望ましい養育環境」を提供すればよいのでしょうか。政財界の本音が「望むらくは母親が、母親も働くために”保育に欠ける”のであればその祖父母」にあることは明らかです。賃金労働の現場では、労働者一人ひとりの家庭事情など考慮することなく、36協定だけ管理していればいいのですから。母親とその親族にとっても、子どもの養育方針を”所詮は他人”とすり合わせる労力を考えれば、子どもの父親の存在感は薄くなるばかり。その皺寄せは、不安定な雇用で子育てに奮闘するシングルペアレントと子どもに集中する構造に目を背けてはなりません。

夫婦の”相互扶助”のための3つの提案

憲法第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
民法第752条 夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない。

法の規定は易し、その履行は難し。ここで、3つの提案をさせていただきたいと思います。

(1)配偶者は、「労働者の付帯物」ではない

わたしは今、"伝統的な専業主婦”の慣習に従って、「地域の見守り」という無償労働をしています。世間には、日本語も英語も不自由な外国籍の方がいます(*6)。見知らぬ土地に配偶者ビザで移住し、夫だけを頼りに子どもを育てることがどれほど心細いことか。

これは、外国人に限った問題ではありません。はっきりとした統計はありませんが、日本企業の転勤制度は少なからず、配偶者の職業選択や配偶者の選択そのものにも影響を与えていることでしょう。今は高度経済成長期ではないのですから、「第3号被保険者の壁」や(主たる家計を担わないことを前提に極度に安価な)「業務委託」による”安価な調整弁”としての役割固定化は、日本社会全体の疲弊につながります。来春にも困難女性支援法が施行されるとのことですが、「”付帯物”として自主的な自立を阻みながら、庇護の必要な立場に追いやる一部の社会構造」を見直す必要があるでしょう。

(2)労働組合は、労働者一人ひとりの働く権利に向き合って

「なんだか新手の社会保険料みたい…」。
転職を機に労働組合に加入し、給与から源泉徴収される”労働組合費”に釈然としない気持ちになったのは、わたしにとってそれが「ここなら出産できそうだ」と選んだ4回目の転職先だったからでしょう。政治の世界に入ってからも、どこか"組織票"の存在を認めたくないのは、氷河期世代のトラウマの姓。

そもそも、労働組合の仕事は「定期的な団体交渉」や「解雇などの労働争議(*7)」にとどまっていてよいのでしょうか。リスキリングと副業推進が盛んに喧伝される中で、管理職と被管理職を硬直的に分断する労務管理のあり方は今のままでいいのでしょうか。労働監督基準署の権限を強化しつつ、キャリア形成と評価基準のあり方、社員の労務・健康管理について、管理職との職務分掌を再定義することを提案したいと思います(*8)。

(3)社会全体で、家庭内の利害調整を

「大黒柱とそれを支える配偶者」を前提にした社会において、わたしと夫は”どちらが大黒柱になるか”をめぐって、そうとは知らず争ってきたのでしょう。家庭裁判所の実務では「高葛藤(夫婦が離婚を決めるまで揉めている状態)」という言葉まであるそうです。大人の”都合”に子どもが巻き込まれる悲惨さは、わたしたちの世代で終わりにしなければなりません。

戸籍上の婚姻関係に安住し”相互扶助”の義務を果たさない傲慢さや、家庭での居場所を危うくさせるほど労働者を酷使する貪欲さを、わたしたちは見過ごしたままでよいのでしょうか。暴力や無視という形で表出する家族間の過度な権力勾配を、周囲から変えていく方法はないでしょうか。行政機関が担う仕事は、天田ある「相談窓口」ではなく「民間事業の管理監督」に立ち返る必要があるのではないでしょうか。

公と私の間の新しい世界

だいぶ、大上段に構えたことを長々と申し述べてしまいました。

「東京オリンピックを機に大きく変わる政治経済体制を、世間の皆さんに説明する仕事を担ってほしい」。地べたから声を上げるこの仕事をすることになったきっかけは、15年前のネット上の匿名非公開日記の検閲(*9)です。まさに「思想信条による差別」、「職業選択の自由の侵害」。小林先生なら、権力による理不尽に怒ってくださるのではないでしょうか。

しかし、わたしの努力がなんらかの実を結ぶことができたら、15年前の「非同意のプライバシー侵害」は一転して「教育データの適切な利活用」(*10)となる可能性を秘めています。偶然か歴史の必然か、わたしの経験は日本の政治的課題やこれからの社会のテーマが凝縮されています。夫婦別姓を含む家族法をめぐる諸問題(*11)、ジェンダーとケア労働をめぐる不公正な労働市場、データプライバシーと著作権法。他にも、たくさんあります。

例えば、わたしたちは、公と私の間に横たわる課題を過度に「医療化」(*12)していないでしょうか。膨らみつづける社会保障関係費を背負う現役と次世代の負担をこれ以上増やさないよう、これからは、「脱・医療化」の方法を模索できないでしょうか。

また、経済界と女性たちの「(ある意味)分を弁えないワガママ」は、人工子宮など生殖医療技術のさらなる進歩を渇望するでしょう。それらが、男性たちのリプロダクティブ・ヘルス・ライツ(性と生殖に関する健康と権利)と、社会における"夫や父や祖父としての役割と価値"を毀損するものであってはなりません。

例えば、わたしたちは、生成AI技術やマイナンバーカードなどのデジタル基盤をどのように社会実装していけばよいでしょうか。欧州とも米国とも中国とも異なる、"公と私の境界"のあり方を模索できる社会的素地が日本にこそある、とわたしは考えています。先生がご懸念されている"プロファイリング"(*12)とは異なるデータ活用の可能性です。

抗いがたい技術革新の波は、社会構造を刷新するチャンスです。もはや国家戦略として避けられない以上、法曹界が担うべき役割は「データ利活用の監視監督」、「オプトアウト権や異議申立方法の確保」等を通じて、「民主主義と法の支配による”公”への信頼を取り戻すこと」ではないでしょうか。

先生の胸に燦然と輝く向日葵が、普遍的価値を守る法のあり方を照らすものであり続けることを願ってやみません。極めてわたくしごとで大変恐縮ではございますが、諸事情ご賢察いただき、ご配慮賜りますようよろしくお願い申し上げます。

(*1) 法制審議会家族法制部会第25回会議(令和5年4月18日開催)議事速報よりhttps://www.moj.go.jp/shingi1/shingi04900001_00191.html
タイトル画像は、映画『取り残された人々:日本におけるシングルマザーの苦境 / The ones left behind: The plight of single mothers in Japan』より。

(*2) 「誰もが自分にできる範囲のことを真面目にやっているのに、(例えば虐待問題があったときなど真っ先に)”児童相談所が悪い”と非難される」状態は、法制度だけでなく組織構成や予算などを含む社会構造を変えようとしない政治の不作為にほかなりません。

(*3) 「連れ去り」とは、「配偶者のどちらかが相手の合意なく、子どもを連れて勝手に別居してしまうこと」を表す一般用語です。親権を決める際の監護実績やDVなどと複雑に利害が絡み合い、「国際結婚における子供の”連れ去り”」は国際問題となりつつあります。

(*4) 厚生労働省 平成11年度人口動態統計特殊報告「離婚に関する統計」親権を行う子の数別にみた離婚より。
https://www.mhlw.go.jp/www1/toukei/rikon_8/repo5.html

(*5) 特別寄稿・上野千鶴子「共同親権の罠ーーポスト平等主義のフェミニズム法理論から」、梶村太市・ 長谷川京子・ 吉田容子 編著(2023年)『離婚後の子どもをどう守るか-「子どもの利益」と「親の利益」』、日本評論社より。

(*6) 親を支える外国籍の子どもたちは、厚生労働省が課題として挙げる「ヤングケアラー」の一類型でしょう。「民間」での”さりげない見守り”を可能にするために、子ども家庭庁移管済のようです。https://www.mhlw.go.jp/content/12602000/001045777.pdf

(*7) ビジネスインサイダー「グーグル社員の告白「退職する以外に選択肢はなかった」。育休中社員が語ったこと」https://www.businessinsider.jp/post-268498 子どもを抱える労働者は不利な立場に置かれやすいものですが、他方で、出産と乳児を育む期間の生活を支えるお金が、「雇用保険から拠出される育児休業給付金」という構造も、子どもを育てにくい社会の一端ではないでしょうか。

(*8) 未経験の仕事に参入するための自立支援の場も必要でしょう。例えば「お金がないなんて自己責任。今は誰でも簡単に小遣い稼ぎができる世の中だろ」と思う方もいらっしゃるでしょうが、Uber Eatsなどのプラットフォームワークにも携帯電話や自転車など初期投資費用がかかります。「身一つで世間に放り出されてもなんとか独り立ちできる足掛かり」が少ないことは、教育費用の高騰、ひいては子どもを持つことの責任の重さにつながります。

(*9) 当時、「ここはあなたの職場ではない」と言われた記憶があります。 現状変更の異議申立がこれほど無力感を伴うとは体験するまで知りませんでした。

(*10) やまもといちろう「戸田市教育委員会の教育データ利活用における期待と課題」 https://note.com/kirik/n/nc682ab4e63a2

(*11) 夫婦別姓をめぐる議論に決着がつかない原因は、政府の意図的な不作為によるものでしょう。夫婦別姓反対論者が根拠とする「戸籍制度に立脚した社会保障制度」の実態として、スタートアップ界隈では政治的背景から特定の姓が目立つ(“姓”による参入障壁がある)ことを指摘したいと思います。

(*12) 「医療化は、それまで何らかの「悪」としてとらえられ、宗教、司法、警察、教育などの社会セクターの管轄とされていた現象を「病気」として再定義する過程であると言える。」上野千鶴子(2001年)『構築主義とは何か』勁草書房より。

(*13) 日本弁護士連合会「『マイナ保険証』取得の事実上の強制に反対する会長声明」https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2022/220927.html


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