見出し画像

拝啓、イーロン・マスクさま 〜クリエイターファーストと著作権の話〜

長らく愛用しているわたしのツイッターのタイムラインに、あなたの「あらゆるコンテンツのマネタイズを計画中」というツイートが流れてきました。なんという偶然でしょう。

今日は、わたしが長い間温めていたアイディアを共有させていただきたく、お手紙を書いています。

"Patents are for the weak"

わたしは10年以上「知的財産に関わる法律専門家」として働いてきました。だから、あなたのスターシップロケットの特許戦略に係る持論に、苦笑せざるを得ません。

「特許なんてのは、弱者のためのもの」
「特許の仕組みは、発明家個人よりも巨大企業の法律専門家をさらに利するだけ」

Nicolas Vega / CNBC
@ATNICKVEGA
Published Wed, Sep 21 20221:27 PM EDTUpdated Wed, Sep 21 

まさに、おっしゃる通りです。むしろ、特許は意図的に”弱者のための装置としての役割”を担えるはずだ、とわたしは考えています[0]。著作権だって、もっとコンテンツクリエイターのための装置になれるはず。

Too greedy, too noisy legal professionals

わたしは、かねてより現行の日本国著作権法のあり方に疑問を抱いてきました。

まず、「依拠」と「同一・類似性」を著作権侵害の成立要件とする現行判例基準は、デジタル流通が避けられず、また、デジタルだからこそ誰もがクリエイターになれる現代において、メディア資本の大きさによってクリエイターの権利が矮小化されてしまうおそれがあります[1]。

そもそも同時代を生きるクリエイターは、明らかな意図があったか否かに関わらず互いに影響を与え合うものです。思想の表現という人間による深淵な営みが、どのようになされたかを法廷で詳らかにしようとする判断基準は、致命的な瑕疵があるのではないでしょうか。

また、海外(主に米国)で目立つ、映像作品の背景としての写り込みにもクレームという形での権利行使を厭わない一部コンテンツホルダーや、侵害訴訟で多額の金銭的解決を求める著作権者の「遺族」らにも釈然としない気持ちを抱いてきました。

昨今喧伝かしましいクリエイターズビジネスが、侵害訴訟で糊口を凌ぐ法律家やメディア関係者ではなく、今を生きる市井のクリエイターに資するものであるために、新しい時代の著作権法のあり方と、それを実現するプラットフォームの創設を模索したい

Basic principle is "Creators' First"

基本思想は「クリエイターズファースト」
これまでの法慣習上、「著作権者の許諾なしの利用」[2]と看做されてきた場合(その多くは「著作物の引用」[3])にも相応のライセンス料が発生するように法改正を働きかけることはできないでしょうか。

クリエイター同士の模倣や偶然の一致は、当事者同士の相互ライセンス契約(お互いの作品がメディア露出をすれば相互にメリットがある)で解決することします。思想・心情的に相容れないのであれば、その旨当事者間(場合によってはファンも交えて)で争えばよろしい[4]。「利用」該当性や金銭対価の支払いについては、技術的に十分解決できる時代であるはずです。

Social benefits

大学や研究機関などアカデミアの世界では、研究者である論文の執筆者がその成果を発表するために、「査読料」を支払って権威ある研究論文誌に掲載を依頼するのが慣行だそうです。これを、市井の出版物と同じように、論文誌への「掲載料」と、他の研究者による「利用」毎に「利用ライセンス料」相当額が、論文を執筆した著作者本人に支払われるような仕組みを作ることはできないでしょうか[5]。

また、「私的使用のための複製」[6]とのボーダー上で長らく野放図にされてきた一般市民によるS N S上の映像作品の切り取り利用や、新進気鋭のアーティストによるアート作品を撮影した写真にも、“ファンの推し”や“インスパイア”を少額課金で表現することができるような仕組みはできないでしょうか[7]。誰もがクリエイターになれるデジタル時代においても、過去の著作物の積み重ねからなる創作の重みを、できるだけたくさんの人が感じ取れるコンテンツ文化を大切にし、次世代に継承していきたいと考えております。

もし、わたしのアイディアにご興味をお持ちでしたら、ツイッタージャパンの渉外担当ポストにわたしを採用いただけませんでしょうか。ご連絡をお待ちしています。

***

・・・という内容の手紙を英文レジュメと一緒にツイッター社に送ろうとしましたが、やめることにしました。

わたしのアイディアは、この日本の、国産プラットフォームとして実現させたい
これから、アカデミアやベンチャーキャピタルの皆さんに向けて行脚したいと思います。


[0] ちょっと言いすぎました。

[1] すでに世界の音楽業界では、Youtubeや Spotifyなどのプラットフォーマーとクリエイターが収益配分を巡って対立しています。また、広告やコンテンツ業界のコンペティション企画において、参加するクリエイターに応募作品の著作権の放棄を求める慣行は公正と言えるのでしょうか。

[2] 現行の日本国著作権法では、一定の「例外的」な場合に著作権等を制限して、著作権者等に許諾を得ることなく利用できることを定めています(第30条〜第47条の8)。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/seidokaisetsu/gaiyo/chosakubutsu_jiyu.html

[3] 公正な慣行に合致すること、引用の目的上、正当な範囲内で行われることを条件とし、自分の著作物に他人の著作物を引用して利用することができる(第32条)。

[4] 国内の著作権侵害事件の多くは、政治的背景によって生まれている印象があります(例えば、小林亜星さんと服部克久さんの「記念樹事件」など)。政争のタネは興行収入のタネ。司法に独占させておくのはもったいないと思います。

[5]アカデミアの世界における権威形成過程を、多くの研究者自身の手に委ねることは、アカデミアの自主民主化を図ることでもあります。もし、日本で実現することができたら、「学問の自由」という民主主義の基本的価値観を持つ日本の存在感を世界にアピールできるのではないでしょうか。

[6] 家庭内で仕事以外の目的のために使用するために、著作物を複製することができる。同様の目的であれば、翻訳、編曲、変形、翻案もできる(第30条)。

[7] 「庶民のささやかな楽しみとしての創作にもコストがかかる」ではなく、「どんなクリエイターの創作であっても創作支援予算(”色のついたお金”)がつき、マネタイズの可能性がある」という世界を作りたい。「日本語コンテンツ」は、その存在自体が「(富を築き富の流出を防ぐ防壁としての)特許」でもあります。ネットのロングテールとマスコミのパレート戦略の組み合わせで、マネタイズできないでしょうか。

「日本に寄付文化を」にご共感いただけましたら、サポートのほどよろしくお願いします🙇‍♀️💦