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「排除」のルール

このnoteは、『基本読書』の冬木さんが、noteに書いた私(椿りつ)のコメントを消してしまい。挙げ句の果てにはコメントができないようにブロックまでしてしまい、ショックのあまり試行錯誤しながら書き続けている、noteです。


次回は、どうして私のコメントが削除され、
申し込んだ読書会への問い合わせに答えがなかったのか、
見えなかったこのルールについて、考えてみたいと思います。

さて、本日は少し長くなります。
そうして、少し気をつけて読んでいただけると嬉しいです。

*マークの段落のようなことを前回に書きましたので、
お話しした通り、今回はこのまま、こちらを考えていきたいと思います。

まず、ここにあるのは、当事者の「私」以外には見えない
「排除」のルールだと思っています。

いきなり「排除」という強い言葉を出してしまい、読まれた方は、驚かれるかもしれません。ただ、私の感じていること、そのままの言葉です。

私は「横浜読書会」さんには一度も参加したことがないので、どうしてご連絡いただけなかったのかについては、わかりません。

もしかしたら以前一.二度お会いして、心象を悪くされてしまった方の主催かもしれませんし、直接、冬木さんからのお話しがあったのかもしれません。いずれにせよ、私のことをよく知らない方の主催です。

4月21日の夜は、冬木さんの10時ごろに終わるトークイベントの終盤で活動のお話を聞き、具体的な日付も分からずに調べたところ、日程が次の日に迫っていました。しかも締切られた後です。手短に要件だけをお伝えした内容であったので、いわゆる心を尽くした「ていねいさ」を感じられず、主催者のかたも、心象を悪くされたのかもしれません。

ただ、「横浜読書会」さんのHPを見る限り、8名の募集のところ,
当日の参加は3名のみ。次の日の夜、そのうえオンラインでの読書会であったため、お尋ねしても差し支えない内容ではあったことと思います。
決して、お答えをいただけないような失礼な書き方はしていないはずです。

公の場での募集である以上は、なぜかは分からず、ただ、「排除」だけが結果としてあるような現状は、「横浜読書会」さんにとっても問題だと思います。

つぎに、「冬木さんのnoteへ書いた私のコメントの無断削除」ですが、最初のコメントについては、私は削除されることを想定していなかったため、ここに再現することができません。

冬木さんが…。と、私は思っていました。

あれだけ『基本読書』で、困難な状況にある人物の背景に対して考慮する内容の本を数多く扱ってきている、冬木さんが…。と。

ていねいに、その背景をさぐり、どういうことかを解き明かしていくノンフィクションを数多く読まれ、困り事をもった中高生によりそう家庭教師のNPO法人の理事でもある、その、冬木さんが、です。

NPO法人で、冬木さんに授業をしていただいた方は、
何人いらっしゃるのでしょうか。

本を紹介する『基本読書』の中で、冬木さんは、ノンフィクションだけでも、薬物依存症、精神病患者、末期がん患者、死を目前にした人。時間が欠乏している貧困女性の現状。困難な状況にある他者への理解や洞察、について非常に理解のある言葉でていねいな解説をされています。

実際に、困り事を抱えたご家族の方が頼られ、上手にお付き合いできれば、
本当にnoteに書かれていたような継続した良い関係性が築けていけるでしょう。

私が冬木さんの信頼を失ったのは、子どもたちも小さかった当時、複数の困りごとの相談をしてしまったからだと思います。

けれど、困り事を抱えた方には、私のように、『基本読書』を読んでいたから、冬木さんだから、と信頼してお話しされて、それなのに、「排除」されてしまい、ショックを受ける。そういった方が、うまれてくるのではないかと、そう思います。
あとで考えれば、それほど問題のない内容でも、その時の自分にとっては、とても大きな問題です。

「何でも話してください。所詮、不完全な人間のコミュニケーションですから」からの、

「あなたは悪意のある存在だ”。あなただから話した”と頼ることで支援をうける成功体験を積み、依存し続ける。」といったレッテルを、困難な状況の中で、他ならぬ冬木さんや、その周囲の発する文脈から読み取り、「排除」されている現状を信じられず、かといって自分で動き出したり受け入れることすら困難でただ、混迷を深くする。

私は金銭的な負担をしていないわけではありません。
家庭教師のYURUMIさんにはもちろん報酬が発生し、8ヶ月間で30万円以上のお支払いをしています。
ご担当の先生にはお世話になりましたし、かつオープン・ダイアログの仕組みは本当に良いものです。
ただ、冬木さんご本人のお顔は一度も拝見したことがありません。

責任者の方に聞いても、冬木さんについては「サンクコスト」についてのお話があっただけでした。

『基本読書』は素晴らしい読み物ですし、とても感じがよく、好感が持てます。いまだに読むと、素敵だな。と思ってしまいます。
ついつい、読んでしまいますし、良いところは人に勧めてもいます。

ただ、本に書かれ、『基本読書』に書かれていることと、
ご本人の取れるキャパシティは、違います。そして、現状ではそれについての言及もなく、その責任を引き受ける配慮や、できることできないことへの説明も、一切ありません。排除は、暗黙のルールのうちに、決められます。

『実力も運のうち 能力主義は正義か?』というマイケル・サンデルの著作を、『基本読書』は何と紹介されていたでしょうか。

私は自分自身が間違うことを知っていますし、自分にとっての不都合が起こり、それに相手があることである時、冬木さんが言われるように「不安は見ない」と蓋をして、相手を見えないもののように。無視すればいなくなる敵のように、扱うことなど、できません。

冬木さんは、差別をしています。

cotenラジオの深井さんも言うように、どんなにそれに言及して理解を示そうとする人間の上にも、それは起こることでしょう。

だからこそ、私を差別をする冬木さん自身の表出を、ご自身のテリトリーで避けつづけられていることは、非常におかしなことであると思います。

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