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ある日の日記

7月25日 木曜日 AM9:30


今日は表参道駅での乗り換えに、久しぶりに千代田線からの上りエスカレーターに乗った。

いつもはなんとなく、となりの階段を登る。
階段を登った日にいいことがあったから。

だけど今日は電車から降りた瞬間に、エスカレーターにのろう、と思った。


前の人の足元を見つめると、ブラウンのブーツで、足首のあたりにぴょこんとした革がつけられている。

わたしの右足にはそれがない。


5年間履きつづけているお気に入りの靴は、酷使しすぎたのか、ほころびだらけだ。

左足のぴょこん革は未だに取れる気配が微塵もないのに、右足のほうは先月、まるで乳歯がとれるみたいに、ぽろりと取れてしまった。


永久歯は生えてこない。



ああ、案外気付かれないものなのかも。

エスカレーターを降りてすぐ人混みに消えていったブーツに、そう思った。


この駅に降り立つ人の足は、せわしなく動き続けている。

目の前から突進してくる就活生はギリギリでわたしの体を避ける。

電車から勢いよく吐き出された女性は、思い切りぶつかってきてわたしの歩みを止めたのにも気付かず、あっという間にわたしの視界から消えた。



*****


7月26日 金曜日 PM20:00


やっぱり今朝は、エスカレーターに乗るべきだった。

昨日は階段でも1日平気だったからって、調子に乗ってしまった。


朝ごはんは食べるべきだったし、会社の前の自販機ではジャスミン茶を買うべきだった。

服装はスカートじゃなくてパンツにして、昨日突然左のぴょこん革まで取れてしまったお気に入りの靴を履くべきだった。


昨日の晩、とろろご飯を食べすぎて吐いてしまったのもいけなかったのかも。


なんだか今日は、自分の身体と心の歯車がうまく噛み合わなくて、ふわふわとしたまま仕事を始めた。

案の定うまくいかないことばかりだったし、担当案件の時間が前倒しになっていたのに連絡をもらえなかったし、お昼ご飯は食べられなかったし、バタバタと始めた会議は緊張しっぱなしだった。


わたしはジンクスにとりつかれている。


けれど、ジンクスみたいなものが出来上がってしまうと、それに従わなかったときの恐ろしさというか、心に渦巻く言葉にしがたい「イヤな予感」が厄介で仕方がない。


できることならジンクスなんかで自分を縛りたくないのだけれど、今日みたいなことが起こってしまうと、結局。

わたしは少しずつジンクスの奴隷になっていってしまうのだ。



*****


7月29日 月曜日 AM9:00


たん、と軽やかな、しかし重力感のある音が鳴って、わたしの心にうれしさがじんわりと広がってゆく。

水を含ませた画用紙に、透明水彩が滲んでいくようだ。


新しい靴を買った。


5年間履きつづけたお気に入りの靴は、ついに壊れてしまった。

かかと側の革がべろべろに剥がれて、靴底も割れてしまい、もう履ける靴ではなくなってしまった。

ぴょこん革も両方取れてしまったし。


悲しいけれど仕方がない。


昨日、新宿に買い物に行ったついでに、似た靴を探すことにした。

5年前、気に入る靴を見つけるまでに3ヶ月かかっていたので、今日中に見つからなかったらどうしようかなぁなんて考えていたのだけれど。

探し回ったあの期間は何だったのかと問いたくなるほど、今度の新しい靴はすぐに見つかった。


わたしは、ときどきおかしなこだわりを発揮する。

鞄、服、時計、定期入れ、スマホケース、靴。

自分が身に付けるものは、どれも、心の底から気に入らないと買えないのだ。

9割気に入っても1割の「気に入らない」で購入するのをやめてしまう。もはや病気。

だからなかなか新しいものを買えなくて、とっても困っている。

今使っているものが壊れてしまっても、同じものがあればもう一度それを買う。

スマホケースに至っては今が3代目で、それも塗装が剥がれてきたので、4代目を購入しようとしているところだ。



あ、かわいい、これにする。

店に入った瞬間に思った。


なんとなく立ち寄った1軒目で一目惚した、つま先が大きく丸まっている人工皮革の紐靴。

前のものよりずいぶんとかわいらしく、数年前の私なら絶対に選ばなかったデザインだけれど、今の私はこれが欲しいと思った。


涼しくなったらこの靴を履いて、紺色のワンピースなんか着ちゃって、大好きな新宿御苑とか浅草とか、お出かけしちゃったりして。


ああ、とっても楽しそう。

わくわくする。



たのしく生きます