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薄らぐあなたにさよならを

夜、どうしても眠れないときに限って、忘れたつもりになっていた人のことを思い出す。

たぶん、あの人が彼女と喧嘩したって言ってこんな時間に訪ねてきたらいいのにとか、あの人がどうしても家に帰りたくないときに来たくなる場所がここならいいのにとか、彼女と別れて家を追い出されてここに住むことになればいいのにとか、そんなことをずっと考えては眠れない日々を数年前に送っていたからかもしれない。

たくさん考えたもしもはひとつも現実になるはずもなく、あの人はもうその頃の彼女と結婚してしまったし、私にはあの人とは似ても似つかない恋人ができた。

あの人は私の救世主だった。

さみしくて、むなしくて、食べたものを全部吐いてしまって私が泣いていると、あの人はすぐに気がついて電話をしてきてくれた。
わんわん泣きながら話して、ちょっと落ち着いた頃に「大丈夫になるまで電話繋いでるから、むりして落ち着かなくていいよ」とやさしい声色で言ってくれるのか好きだった。
「もう大丈夫」って私が言っても、すぐに切らないでしばらくなんでもない話をしてくれるのが好きだった。

私の心が全然ダメなときは、ケンタッキーのボックスを持って、私の家まで押しかけてきてくれた。私があまりにもケンタッキーのスコーンが好きすぎるので自分たちで作ってみようとしたけれど、ふたりとも粉まみれになったあげく膨らまなくて失敗した。おいしくなさそうだったから、全部食べてもらった。

私の感覚全てを感じ取ってくれる人で、私がずっとひっそりと感じていた疎外感とか、言葉の奥に込めた意図が伝わらない虚無感とか、あの人はそういう私の微妙な部分をていねいにやさしく包んでくれた。
私が言われたくないと想っていることはピンポイントで避けてくれたし、それを弾丸のようなスピードで展開されるLINEで発揮できるところも好きだった。

でも、どんなに好きでも、私はあの人とひとつになりたいと思えなくて、そうしているうちに、あの人には恋人ができていた。
私に似た背丈で、私と似たような服を着て、でも私よりもはるかにしっかりした女の子だった。顔は私の方がかわいかったとおもう。
というのは冗談だけれど、あの人は私に向けていた笑顔で彼女を見つめて、私の知らない顔で彼女を抱きしめていた。

私がずっととなりにいるつもりだったし、それをあの人もわかってくれているのだと思って油断していたけれど、ひとつになれないことがこんなに大きな障害になるなんて思ってもみなかった。大好きなのに。あの人も同じだと思っていたのに。
「触れられない」のはいけないことなのかな。でも、触れられる人を選んだってことは、そういうことなんだろうね。

そのあと凡人になってしまったあの人は、彼女に怒られて私とは連絡できなくなって、繋がっていたSNSからもいなくなって。
徐々にあの人の痕跡は消えていってしまった。
共通の友人も全て彼女の手の内だったから探りを入れることもできず、結婚したと知ったのもその友人たちのSNS投稿がきっかけだった。

これまでの誰よりも深く太く心が繋がった人が、いともたやすく、こんなにあっさり私の目の前から「繋がっていた証拠」ごと消えて、「繋がっていた事実」すら怪しくなるなんて思ってもみなかった。もしかしてあの頃のしあわせだった時間は全部夢だったんじゃないかと思ってしまうときもある。
だけど、私の部屋の本棚にはまだあの人に返してない小説が3冊あるし、あの人が誕生日にくれた入浴剤は今つくえの上に花瓶として飾ってあるし、なんなら玄関に吊り下げてるオーナメントはふたりでドライフラワーショップに作りにいったときのものだ。もうクリスマス終わってるんだから片付けなきゃ。

私の目の前にだけ、あの人との思い出がある。
私の目の前にしか、あの人と私が心を通わせた証がない。
確かに夢ではないけれど、現実だった自信がない。

あの人がいなくても生きていけるようにならなきゃいけないと思って、何もやりたいことがなくても外に出るようにしていたら、私にも恋人ができた。
触れてみたら私はどうなるだろう、とおそるおそる近づいてみたら、その人には触れることができた。なんだ、私ちゃんとできるじゃん。そう思って安心した。

その裏では、あの人には触れられなかったという事実から目を背けたくて、恋人と過ごす時間で毎日をいっぱいにした。
今ではちゃんと毎日たのしくて、毎日愛しくて、好きじゃないと思う日もあるけれど、それでもずっといっしょにいたいと、そう思える時間を過ごしている。
私の心が満たされていくのに反比例して、私の中のあの人は薄れていった。
今の今まで思い出すこともなかった。
あの人は今、しあわせだろうか。

元気ですか。
あたたかいお家で
おいしいご飯をたべていますか。

私は元気です。
ちゃんと、自分で自分のしあわせを
見つけられるようになりました。
もうあなたを思って泣く日はないし、
あなたを思い出す日もほとんどありません。
でも、今の私がいるのは、あなたがあの頃
私のとなりにいてくれたおかげです。
ありがとう。

あなたがずっと、
しあわせでありますように。


たのしく生きます