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六十九話「山群」

よくわからない、現在進行形の話。

数年前、Yさんが通勤電車に乗っていたときのこと。

携帯の電池が切れそうになっていたため、視線を手元から車窓の方へと移した。
陽の光を遮るどんよりとした曇り空。
似かよった色形の家宅を切り貼りしたような住宅地。
灰色のつまらない光景が広がっていた。
そんな光景でも、いつも携帯をいじってばかりで見逃していたせいか、新鮮味があってぼんやりと眺めるにはちょうどよかった。

そこから電車はぐんぐんと沈みはじめ、真っ暗な地下線路を潜航する。
それも束の間、電車は地上へと再び浮上した。

車窓には、またあのつまらない灰色の街並みが広がっていたが、それだけではなかった。

さっきまでは曇り空しか浮かんでいなかった地平線に、まるで城壁のような岩山がどっしりと座していた。
秋の中旬。その朝。山肌に生い茂る木々が赤々と色づいているのか、それとも赤銅色の岩肌が広がっているのかは遠目では分からない。まるで山だけが夕焼けを浴びているかの如く赫赫かくかくとしていた。(※)
さらには山頂の部分だけが白く冠雪しており、それが山の雄大さを物語っていた。

そんな光景を一目にしたYさんは、無性にその山が気になって仕方なくなった。
次の駅で下車すると、会社に休む旨を伝えて各停電車で引き返した。
そして彼の山がみえる駅で電車を降り、まるで熱に浮かされるまま住宅街を突っ切って山のほうへと歩みを進めたという。

灰色に広がっていた光景にちらちらと木々が目立ち始め、やがて視界の大半を赤々とした林が占め始めた頃。そこから本格的に山へと続く道がみえてきたのだが、それは黄色いプラスチックの鎖で閉ざされていた。そして鎖のまえには簡素な立て看板があり、そこには手書きの文字で「〇〇年△月△日 土砂崩れにより封鎖中」とあった。

唖然とするYさん。しかも看板に書かれていた日付は数日前のものであり、そのことが余計に悔やまれた。

「もっと早く、この山のことを知っていれば・・・」
そんな後悔の言葉を頭のなかで延々と繰り返しつつ、赤々とした風景を目に焼きつけるため、何度も山のほうを振り返りながらYさんはその地を後にした。


翌日、いつも通り通勤電車に乗りこみ、会社までの時間を揺られながら過ごす。
ただ、Yさんはいつものように携帯をいじることはなかった。目が覚めても、あの山への情熱を捨てきれずにいたという。

そうして車体が地下線路に進入し、電車は減速から加速に切り替わり、ガクッと体にかかる負荷も変化する。すると同時に外の光が差し込み、車窓にはまたあの街並みが広がる。
しかし、あの山がない。

山が綺麗になくなっているわけではない。
あの赤い山肌が広がっていた箇所には、明らかに麓の住宅地とは年季の異なるマンションが、何棟も、何棟も建ち並んでいた。

Yさんは状況を飲み込めず、混乱していると、電車はあっという間に目的駅についていたという。


「そりゃ、出勤してすぐ調べましたよ。当時できたばっかりのマンションだったんですけどね、どの棟のどの部屋も、全部契約済みだったんですよ」

まるでのろけ話でもするかのように、そう口にしたYさん。
それから何度もマンションへの入居を狙っているが、決まって先に他の人物が入居しているという。


「そうなると、麓のほうの物件じゃダメなんですか?」

うっかりそう口にした途端、温厚そうな印象であった彼の目つきが180度かわったため、「なんていう人もいると思いますが~~」と、茶を濁して私は逃げるように取材を終えた。


今でもYさんはまだ彼のマンションに入居できずにいるそうだ。

一方の私は
「件のマンションにはどのような人々が入居しているのか」
そのことは、なんとなく調べる勇気がないまま今に至る。



 「赫赫」
  【読み】かっかく かくかく
  【意味】赤く照り輝くさま