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五十三話「たまご」

「夢枕に誰かが立った体験ってない?」

これは怪談好きならどこかで一度は聞いたことのあるシチュエーションの一つである。
不思議なことに、そのとき飲み会で集まった面々はそんな体験を一人一つは持っていた。


誰しもが怖がっている様子はなく、なにか懐かしむように淡々と自身の体験を語るなか、Aさんという女性だけが嫌そうな顔をして押し黙っていた。

誰かが「Aさんはこういう話が嫌いなのかい?」と聞いたところ、「そういう話じゃない」と答える。

いつものAさんとは違う、えらくぶっきらぼうな態度に軽い押し問答が起きたのち

「じゃあ私のも話していいのね?」

・・・と、Aさんは重々しく話してくれた。



Aさんの祖母が亡くなったときのこと。
夜中、気づけば眠っていた彼女の枕元にその祖母が立っていた。

「でも、枕元に立ったばあちゃん、みんなの話に出てくるような形じゃなかったんだ」

『そっくりそのまま』だとか
『透けていた』とか
『嬉しそうな顔をしていた』なんてことはなかった。

おばあちゃんの顔が、枕元、仰向けで寝ているAさんの頭上からすっ・・・と覗きこんでくる。
その表情、というよりおばあちゃんの全体像は、まるで遊園地や科学館に置いてある『映すもの全てを不可思議に変形させる鏡』、いわゆる『おばけ鏡』でみるような酷く歪んだ姿をしていた。

それだけならよいのだが、それが更に波打つかのように、ところどころ縮んだり伸びたり縮んだり・・・と、とめどなく歪んでいた。


眠気からぼけーっとしていたAさんに恐怖心はなかった。

むしろ何故か一瞬でソレを祖母と認識したうえで

(あー、おばあちゃん、このままじゃ天国にいけないなあ)

と、思い、祖母の安らかな眠りを祈りつつ、心のなかで覚えたてのお経を何度も唱えたのだという。


そんなさなか、眠気に耐えられず、ぱちり、ぱちり・・・と何度かまぶたがゆっくりと落ちていく。

するとお経のおかげか、まるでラジオのチューニングが合っていくかのように、まぶたが閉じるたび、おばあちゃんの姿はだんだんと歪みが小さくなり、形が整っていった。


そしてしまいには、お葬式のときにみた、遺影通りのあの顔に戻っていった。
これでおばあちゃんも天国にいけるなあ・・・と寝むりこけたそのとき


ガッ!と両頬を捕まれる。
そのまま口のなかに何か冷たくてヌラヌラとしたものが流れるように入ってきた。

Aさんは反射的に目を開いたが、暗闇が広がるばかりでなにもみえない。
だが、目の前に誰かが覆い被さっているのは分かる。
振りほどこうとするも、布団のうえからナニカにグーッと押さえつけられていて体を動かせられない。

すると口のなかに入ったナニカは、舌を伝って喉の奥まで滑りこんだ。
そして今度は口のなか一杯にまた別のものが、なにかまるっこくて生温いモノが詰め込まれる。
そのまるっこいものは、つるりと喉元を通りすぎると、気道のなかをごぼり、ごぼり、と無理やり流れ込んできた。

そんな気道に伝わる不愉快な感覚が三、四回続いたところでAさんの意識は途絶えた。


朝、目覚めると同時に吐き気を覚えたAさんは、トイレに駆け込んだ。
何度も、何度も便器のなかに吐き続けたが、出てきたのは透明な胃液だけだったという。

トイレで吐き続け、顔と寝巻きは胃液まみれ。そして布団と枕を涎だらけにしていた彼女をみて、家族は大急ぎで病院に連れていったが、医師は首を傾げるだけだったそうだ。


「結局ね、あのとき捩じ込まれた『ゆでたまご』みたいな物がなんだったのかは、いまでも分かんないのよね」


「そもそも、あれって、本当におばあちゃんだったのかな」

そんなことがただ一度だけあったという。