試合に負けたら運動場160週❢❢
中学校に入り、卓球部に入った。
ただ単に、卓球が好きだったからだ。
M顧問のもと、私達は“なんとなく”練習していた。
M顧問は転勤となり、途中からU先生が顧問になった。
このU顧問は、凄い指導者だった。
U顧問は、体が大きく、見た目も怖かった。
やることすべてが予想をはるかに超えて凄かった。
まず、練習メニューが発表された。
メニューはプロアスリート並と思うくらいハードで、分単位に細かく決められていて、何を鍛える為の練習か、それぞれはっきりしていた。
どんなことでも 成果を出すには 、目的に合った効果的な取り組みを、着実にやっていかなければならないと思った。
また、個別に呼び出され、(卓球には大きく、攻撃型と守備型に分類されるが)、型を1人ずつ変えていった。
日頃からよく観察し、個人の性格や特徴、適正をU顧問は見極めていた。
「お前はリーチが長いので守備型だ。」と 即決された。
私は攻撃型を希望していたが、とりあえずその指示に従った。
私は、みるみる強くなって、試合に勝つようになり 、2年生になる頃には 3年生のレギュラー枠に入ることとなった。
3年生が卒業する前、U顧問はキャプテンにYちゃん、副キャプテンに私を指名した。
3年生は 惜しくも全国大会に行く一歩手前で敗れ、卒業していった 。
全国大会に行くという夢は、私たち新3年生が引き継いだ。
先輩達の無念さを目の当たりにし、さらにパワーアップした。
3年になって 初めての区内大会で 優勝 。
ブロック大会でも、私達の学校のメンバーが上位を独占していた。
全国大会まであと一歩というレベルまで なり始め 、 U顧問は 負けたら 運動場 10週を累計する ルールを 作った。
最後に、160週までなり、走る日が来た。
私は、持久力がなく、 他のメンバーより4週遅れで走っていた。
160周目を終えたメンバーたちは、次々と校庭に倒れ込んでいった。
一人暗闇の中を知っていると、後ろから足音が聞こえてきた。
Yちゃんだった。
お互い何も言葉を発さなかったが、 私は涙が止まらなかった 。
いつか私が死ぬ時がきたら、この感覚を必ず思い出すだろう。
人生で、心が震えたはじめての体験だった。
Yちゃんは、 いつもストイックで冷静で、短所を分析し直していくような チーム思いのキャプテンにふさわしい、尊敬するべき存在だった。
走り終わった後、体はボロボロだったが、 このチームで戦える感動で、胸がいっぱいになった。
U顧問は、「あいつ、見上げた根性だな…」
と、つぶやいた。
私達のチームは、この後、念願の全国大会に出場した。
私にとっては、全国大会に出ることができたことよりも、部活を通して得られた感動の方が大きかった。
この経験が、私の生き方の根底にあり、今でも私を支えてくれている。
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