外国人の友達なんて一人もいなかった日本育ちの私がアメリカ滞在で体験できたこと
❏アメリカ暮らしも終盤へ
家族でアメリカ滞在を始めて2年弱。いよいよ来年明けに日本へ帰国することになった。ようやくこちらの環境にも慣れて英語でのコミュニケーションを楽しめるようになってきたところで最後はあっけない。もう頑張らなくていいんだなと思うと、ほっとする一方で少し寂しい気持ちの自分がいる。それでも日本へ帰ることのできる喜びは、それをも打ち消すくらいには大きくて。アメリカも楽しかったけれど、やっぱり日本は良い。
振り返ってみると、ものすごい勢いで色々な国の知り合いや友達が増えた。
アメリカの一番の魅力はダイバーシティだったと断言できる。日本で生まれ何十年と暮らしていて、外国人の友達なんて一人もいなかった私が、この2年弱アメリカの一都市で普通に暮らしているだけで、およそ20か国以上の人と会話した。それなりにじっくり話したり連絡をとりあった人だけ数えてみても10カ国近くにのぼる。会う人会う人との出会いが魅力的で、何気ない会話から知る、その国の日常が宝探しのように刺激的だった。
長い時間一緒に過ごしていれば、時には閉口してしまうようなことも時にはあった。でもネガティブもポジティブも含めて、多様な価値観や「違い」を感じることが新鮮でものすごく楽しかった。
日本へ帰ったらそんな記憶も繋がった人達のことも、ものすごい勢いで全部忘れちゃうんだろう。だから書き留めておこう。いつか読み返してこんなこともあったなぁって思えるように。
❏アメリカの伝統料理はハンバーガー?
何気ない他国の日常はこんな風にして現れる。
アメリカンフードと言えば「ハンバーガーとピザ」そんな漠然とした印象を持つ人も多いと思う。私もそうだ。実際アメリカではハンバーガーショップとピザ屋には事欠かない。
しかしアメリカ人と料理の話をしていた時「そういえば、そもそもアメリカの伝統料理って何?」と聞くと、「そうね。各家庭によるかな」と答えがかえってくる。陽気なウクライナ人の友人が横で「バーベキューでしょ!アメリカ人はなんでもグリルよね」とからかっている。
「アメリカ料理は様々な文化がミックスされて出来上がったものがほとんどだから、各家庭のルーツによってかなり異なるかも。例えばハンバーガーやホットドッグ、マッシュポテトはドイツ系移民の料理が起源だし、ピザはオリジナルからはだいぶ変化したけどイタリア系移民が持ち込んだよね。フライドチキンはスコットランド系移民の鶏肉料理が起源みたいだし。バーベキューは開拓時代にアメリカで生まれた料理よね。ちなみに私はドイツ系が起源なのでクリスマスにはジンジャークッキーを必ず作ってた」と話す。
アメリカはもともとヨーロッパからの移民によって発展した国だ。ピューリタン(清教徒)と呼ばれるイギリス人が渡った後にも、飢饉や不作、政情不安定などを理由に、アイルランドやドイツ、イタリア、ポーランドなどのヨーロッパ全土から毎年500万人ほどがアメリカに移住していたという。ちなみにアメリカの国勢調査で行われる「先祖の出身地」の自己申告ではドイツが断然の多数を占め、アイルランド系、イングランド系がこれに次ぐようだ。
これだけ歴史やカルチャーがミックスされていると、価値観や感覚が違いすぎて、だんだん細かいことが気にならなくなる。それはものすごくラクだ。
蛇足だが、ピザもイタリアで食べられているものからだいぶ変わってしまっているが、寿司もだいぶ変わっている。アメリカで売られている寿司はご存知カリフォルニアロール。生魚を積極的には使わず、スパイシーマヨがたっぷりかかって、アメリカ人が抵抗なく食べられるよう、海苔を裏巻き(酢飯の内側に巻き込む)にして見えないようにしている。
❏世界のニュースが対岸の火事ではなくなる
日本という島国で育った私にとって、海外ニュースで惨状を見ていると、どこか対岸の火事を見るような感覚と、そんな自分への罪悪感が混ざり、ソワソワ落ち着かない心境になることがあった。でもアメリカに来て色々な国の人と日常的に話す環境にいると世界のニュースがぐっと身近になる。
ウクライナ人の友人のひとりに「来年明けに日本へ帰国する」と知らせた。すると彼女は、「アメリカ生活はどうだった?」と聞いてきた。
「良い面も悪い面もある。ダイバーシティなところは好き。人々がオープンマインドなところも気に入っている。子供にとっても良い経験だったと思う」と私は答え、彼女にも聞き返してみた。あなたはアメリカ生活をどう思っている?
彼女はご主人や娘さんとアメリカに移住して3年経つ。故郷は戦災を大きくは受けていないエリアだが、継続的な治療の必要なお母さんはウクライナを離れることができず何年も会えていない。
「私には選択肢がない。アメリカにいるのはグリーンカードをもらえるから。ウクライナにいればもっと高い給料をもらえていたのに、アメリカでは以前のように評価されず給料が下がるので、ここでは貧乏を味わっている」と彼女は答える。
娘さんにとってはどう?アメリカで教育を受けることのメリットは?と私は重ねて尋ねる。
「正直分からない。娘は今4年生だけど算数はウクライナで2年生レベルのことしかしていない。しかもウクライナと違って宿題も出ないので不安。今は私が家で勉強をみている」と彼女は教えてくれた。
娘さんは、もともとロシア語(ウクライナ語は忘れてしまったらしい)を話せる。アメリカに来て英語を習得し、さらに彼女の小学校では中国語クラスがあり中国語も学んでいるらしい。「でも娘さんは3か国語を話せるんでしょ?それって将来ものすごい武器になるはずだよ」と私は素直な気持ちを伝える。
母として娘の教育や将来が心配。そして娘としては母親の病状が心配。祖国にいた頃のように万全な教育環境を整えてあげられないことがつらいし、育ててくれた病身の母親をいたわれないことがつらい。祖国が戦地になったことで、彼女の人生で大切なものや時間が当然のように日々奪われ続けている。いたたまれない気持ちになる。
「あなたが帰国したら寂しくなるわ」と彼女はハグしてきた。いたたまれない気持ちのままハグを返す。ふいに涙がこみあげそうになり、あわててお互い笑顔をこしらえて「またね」と別れを告げた。
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