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非合理への向き合い方

人間は合理的に動かない。だから合理的に示唆をしても動かない。これは一つの事実としてあります。

次は非合理を容認するか否かですが、事実容認はしてもいいが行為容認まではする必要はないと考えています。

たとえば窃盗する人はいつの時代もどの社会でも存在します。

だから制度を変えてもマインドを変えても程度はあれ確実にいるのです。しかしそれは「良い」とは判断できません。

「悪い」事です。

だから基本的には「合理面」に比重をあてて判断するのが「良い」と考えています。

ですが「合理」のなかから非合理渇望がでてきたり、合理が非合理に転じても修正できない「逆機能」が起こることがあります。

その場合はそれも「悪い」事だと判断します。なぜならもはや作用が合理ではないからです。

たとえばお役所仕事は多くの市民や国民を支えるために存在していますが、形式主義にこだわるあまりどこかで「逆機能」が生じ損害を与えることがあります。こうなると本末転倒です。

では「正論」をいえば人は動くかといえばそうならないです。「正論」は義務や責務が孕むので、個々人が納得する方向には進みません。むしろ嫌悪感を与える可能性もありますからね。

「我慢」をすればどうにかなるとも言えません。嫌々合理主義を注入する事は反動主義を生んでしまいますね。

結論としては、正論を控えめにしながらも、合理性を軸にしていく。非合理的なものは、必ず起こるが、深く容認する必要性はない。こんなところですね。

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