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小説『緑』

『緑』第五話
風が緑なら、光が緑なら、声が緑なら、『夕』の入る余地はない。そこに『夕闇』は、ないから。青く晴れ渡った空に白い雲の広がる『朝』もないし、光り輝く六月の『緑』の『昼』もない。『闇』と言っても『夜』ではないし、そうなると朝も昼も夜もない。また勝手なことを言っている。声も言葉もないのなら、どうしてこれが書けるというのだろう?いや、むしろ、書かないことの方が可能だ。書かないっていうのは、どんなに楽なことか。だけど、その場合、楽しみもないのだった。辛くても、書いている時、書き終わった時、書こうと必死になって考えている時、ふとした時に書きたいと思っていた時、どんなに一人でも、それはとても楽しかった。いつまでもぐだぐだと書いて、ストーリーが一向に進まなくても、実はその間にストーリーも進んでいるのだった。書くということ自体が、ストーリーの次元の中に包まれて、もがいて、見えないところで着実に物語は膨らんでいっているのだ。「意味のないことなんてないよ」は、そういう意味なのかもしれない。息が詰まるような『闇』の中でも、そうしてもがいて、きっと『光』を生み出すことは、可能なのだと思う。どうにかして、繫げなくちゃ。どうにかして繋げなくちゃ。無造作に生み出され続けるエントロピーを、ある種の形に繋ぎ合わせて、物語の世界を作っていく。今は上手くできなくても、これも
たくさんの経験を積み重ねていけば、きっと上手くなっていくはずだ。『声』が聞こえるようになるには、まだ時間がかかりそうだったが、「そんなゴタクはどうでもいいわ」と笑っているような、怒っているような、呆れているような、『夕』のその声が聞こえた気がした。「それでも、書き続けるなら、物語は進むのよ」と、やっぱり笑っていたような気がした。

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