見出し画像

私が子供の時のこと

私が7歳のとき、両親が離婚した。

母は私たち子供4人を引き取り、母の実家での新しい生活がはじまった。私が住み慣れた土地とは全く違う環境での、新しい生活。

まだ7歳だった当時の私の視点から言うと、正直親が離婚したとか、そういうことはまだ理解できていなかったと思う。

これからおじいちゃんおばあちゃんが住んでる県で暮らすから。という感じだったのかも。

母の実家には夏休みになると父なしで毎年長期で行っていたので、はじめはバケーション的な感覚だった。

***

春休みが明けて2年生になった私は、今まで7年間当たり前のように使っていた苗字の代わりに母の旧姓を名乗るようになり、転校生として新しい小学校に通いはじめた。

学校では、ときどきみんなの言っていることがわからなかったり、私の訛りをからかうクラスメイトもいたけど、耐えられないほど辛い思いは特にしなかったと思う。

というのは、あまり記憶にないから。

自分が周りのクラスメイトと違うことで、変に目立っているなーと思うことが何度かあって、みんなと同じように話せるようになりたいと子供ながらには思ったけれど。

苗字も変わって母の実家から新しい学校に通ってはいたけど、もしかしたらいつか父と一緒にみんなで暮らしていた町に戻るかもしれないと思ったり、この時期は、何だかふわふわしている感じだった。住み慣れた町での記憶もまだ鮮明だったし、母の実家での生活はまだバケーション的な感覚が残っていたから。

***

それからしばらくして、母からある男の人を紹介された。

その人と私たちで食事に行ったり、その人がたまに家に来たり、その人の子供たち3人と私たちで食事に行ったりという交流が数か月続いた。ほとんど記憶にないけれど、たぶん楽しく交流していたと思う。

2年生も終わり、3年生に上がる前の春休みに、母と私たち兄弟4人である宿泊施設に泊まりに行った。そこにその母がときどき連れてくる男の人とその子供たちも来ていたのかは記憶にない。

その宿泊施設に泊まっている間、母からその人と結婚することになったと聞かされた。

実際どんな言葉で報告されたのかまでは記憶にない。

特にショックを受けたとか、そういうことはなかったと思う。母が違う人と結婚するということに対して、あのときの私は特に嫌な感情は持たなかったと思う。

というのも、あのときの感情は全く記憶にないから。強い感情を抱いていたら記憶には残ってると思う。


その数日後、私たちはその男の人が子供たち3人と住む家に移り住み、私たちは家族になった。

新しい家族の誕生。


***

新しい学校で3年生に進級する日の朝だったか、母にこう言われた。

「今日から〇〇(新しい苗字)だからね。もう△△(2年生のときに1年だけ使った母の旧姓)じゃないからね。1年生まで住んでいた町のこと、お父さんが新しいお父さんだということ、誰にも言ってはダメだよ」

私は、学校に行く途中に心の中で自己紹介の練習をしていた。新しい苗字がちゃんと言えるように。間違えないように。そして、昔住んでいた町のことやお父さんが新しいお父さんだということも絶対に言ってはダメだと自分に言い聞かせた。


緊張しながら新しい教室に入ると、みんなが一斉に私を見た。

「□□小学校から来た、〇〇☆☆です(フルネームで)。よろしくお願いします」

すると、担任の先生がこう言った。

「あれ?△△じゃないの?前の小学校から届いてる印鑑には△△☆☆ってあるけど」


!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


頭が真っ白になった。


母から古い苗字は言わないように口留めされていて、〇〇と新しい苗字を言いなさいと言われていたのに。。。

クラス全員の視線を感じる。

私は

「〇〇です。」

と言い張った。


自分の席に向かう途中、クラスメイト数名に、

「苗字変わったの?」

と聞かれた。でも私は

「〇〇だよ」

と言い張った。

予想外のハプニングに心臓バクバクして頭が真っ白になって、冷や汗をかいていた。

とんでもない初日だった。

何よりも嘘をつかないといけなかったことが嫌だった。みんなが見ている前で。

転校生として新しい学校で、新しい環境に慣れるまでも大変だというのに。過去のことを訊かれたら嘘までつかないといけないなんて。。。

家に帰って、その日起こったことを母に言った。

何と言われたのかは記憶にないけれど、多分さらっと流されたと思う。

新しい父には娘1人息子2人いて、つまり私の新しい兄たちは私の1歳、2歳上だったので、私が転校してきたばかりの3年生のときには、4年生と5年生だった。

ずっとその学校に通っているその兄たちと転校生の私が兄弟なんて、どう考えても不自然。

新しい兄たちと私が兄弟だということを気づかれたくなかった。

4年生のはじめにあった宿題が家族に関してのことで、渡されたワークシートに家族の名前を全部書くというものだった。しかもそれを教室の後ろの壁に張り付けるらしかった。

一瞬にして頭の中が真っ白になり、心臓がバクバクした。この世の終わりか、ぐらいの衝撃だった。

これで家族の名前全部書いたら、この学校にずっと通っている兄たちと兄弟っていうことがバレちゃうじゃん。そしたら確実にみんなに何で?って訊かれる。しかも兄弟7人だなんて不自然。顔も全然似てないし。

さすがにこれには困って、母に相談した。家族全員の名前書くっていう宿題があるんだけど。。。これ絶対やりたくない。って。

そしたら、母はさらっと

「書けばいいじゃない」

と言っていた。

「だってみんなの名前書くと、学校のみんなにいろいろ訊かれるよ。何であの2人がお兄ちゃんなの?って。ずっとこの学校にいた人と転校生の私が何で兄弟なの?って。そしたら何て説明したらいいの?」

そのとき何と言われたかははっきり覚えていないけど、助けてはもらえなかった。

その宿題をなかなかやらない私は先生に毎日怒られていたけど、私にはできなかった。どうしてもできなかった。

結局そのあとどうなったのかの記憶はない。


3歳上の姉(私が3年生のときに6年生)は、学校の人たちに家族のことを訊かれてもうまくかわしているようだった。

「兄弟が多いからしばらく2つに分かれて別々に暮らしていたけど、今またみんなで一緒に暮らしている」

とかなんとか。。

私も学校の人たちに家族のことを訊かれたら、そんな風に答えればいいのかなと思いながらも、でもいろいろ詳しく突っ込まれたら何て言えばいいのか、さっぱりわからなかった。私には臨機応変に嘘をつける器用さは持ち合わせていなかった。

過去のことを訊かれて、また転校初日のようにみんなに注目されてる中で、嘘をつかないといけない状況に陥ることが恐怖だった。

新しい学校での生活に慣れてきて、友達もできたし楽しく過ごしてはいたけど、常に恐怖心と隣り合わせだった。

もちろん毎日過去の話がでるわけではないけれど、クラスの人たちがたまに幼稚園のときの話や小2以下の話をすることがあって、その話になると身体が硬直して頭が真っ白になった。

なるべく自分に話が振ってこないように、存在を薄くすることに意識を集中させて、じっとおとなしくしたり、その場を去るのが不自然でない状況ならその場からそっと去ることもあった。

それでも時々自分に話が振られてしまうこともあった。

「そういえば小1のとき何組だった?」

「幼稚園は何組だった?」

など、訊かれることがあって、聞こえていないふりをしたり、頭が真っ白になりながらも、

「この学校にいなかったから。。。」

と答えるのが精一杯だった。

どうかお願いだから、これ以上何も訊かないで、と心の中で叫んでいた。

その状況に陥ると、頭上から爆弾を落とされたような衝撃が走り、心身共に粉々に砕けたような気持になった。


「この学校にいなかった」

というとたまに

「どこの学校だったの?」

と訊かれることもあって、私はしどろもどろになりながらも、小2のときに母の実家から1年間だけ通った学校に幼稚園から通っていたふりをしていた。

1年生まで住んでいた他県にある町に住んでいたことは言わないようにと、母から口止めされていたから。

でもいつしか、過去のことに対して嘘をついている自分に違和感を覚えるようになってきた。苦痛に感じてきた。

そして私が他県で生まれ育った過去を持っていることが重荷になってきた。

あの過去がなければ、こんなに苦しい思いをしないですむのに。

もうこれ以上嘘をつくたびに感じていた罪悪感のようなものから解放されたかった。

そして私は、1年生までの過去7年間の記憶を消してしまおうと思いついた。父のことも含めて全て。

それから私は新しい父のいる今の新しい家族の元に生まれ育ったんだと自分に思い込ませた。

そうすれば、嘘をついている罪悪感から解放される。

だってあの生活はもともとなかったんだから、これが真実。

だから嘘ではないよね。

***

当時の私は、表向きは普通に楽しく学校に毎日通って、家でも普通に過ごしていた。

もちろん家や学校で楽しいこともいっぱいあった。

でも不安な気持ちや恐怖心を心の奥底で抱えていたことはずっと誰にも言えずにいた。

(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?