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辞書と現実のあいだ【てるてる坊主の呼び名をめぐって#3 通史編】

はじめに

 前回と前々回、近世(江戸時代)から近代(明治・大正・昭和前期)にかけての、てるてる坊主の呼び名について検討しました。具体的には、「てりてり」あるいは「てるてる」という形に注目して、時代ごとの使用頻度を調べることで、てるてる坊主の呼び名をめぐる流行の跡をたどりました。
 検討の対象としたのは辞書の見出しと文献資料に見られる表記です。前者の≪辞書見出し≫については、国語学者である松井栄一(1926-2018)の先行研究(『「のっぺら坊」と「てるてる坊主」』)を手掛かりとしました[松井2004]。いっぽう、後者の≪文献上の実例≫については私の管見の及んだものを整理しました。

 今回は、その整理作業を進めるなかで私が気になった、≪辞書見出し≫と≪文献上の実例≫をめぐる一つの法則のようなものに注目したいと思います。それは、≪辞書見出し≫に見られる傾向は、一時代前の≪文献上の実例≫に見られる傾向を後追いしているのではないかという点です。

1、近代の辞書と実例に見られる傾向

 前回明らかにした、近代(明治・大正・昭和前期)の≪辞書見出し≫と≪文献上の実例≫におけるてるてる坊主の呼び名の傾向について振り返っておきましょう(表1参照)。

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 明治期(1868-1912)には、≪辞書見出し≫では全12点のうち、「てりてり」が11点、「てるてる」が1点で、「てりてり」が圧倒的に優勢です。いっぽう、呼び名の記されている文献資料は8点、1つの文献資料のなかにいくつかの呼び名が列挙されている場合もあるので、実例数としては11点あります。その内訳を見ると、「てりてり」と「てるてる」がともに3点ずつ見られ拮抗しています(「読み不明・その他」が5点)。
 続く大正期(1912-26)には、≪辞書見出し≫では全5点のうち、「てりてり」が2点、「てるてる」が3点で、拮抗しつつも「てるてる」がやや優勢です。いっぽう、呼び名の記されている文献資料は6点、実例数としては9点あります。その内訳を見ると、「てりてり」が1点のみなのに対し、「てるてる」は6点を数えます(「その他」が2点)。「てるてる」がはっきりと優勢です。
 昭和前期(1926-45)になると、≪辞書見出し≫では全8点のうち、「てりてり」が3点、「てるてる」が5点で、「てるてる」の優勢が徐々にはっきりとしてきます。いっぽう、呼び名の記されている文献資料は増えて20点、実例数としては23点あります。その内訳を見ると、「てりてり」が2点のみなのに対し、「てるてる」は数多く20点も見られます(「その他」が1点)。「てるてる」が圧倒的に優勢です。

2、辞書は世につれ?(近代以降のこと)

 このように整理してみると、先述のように、≪辞書見出し≫に見られる傾向は、一時代前の≪文献上の実例≫に見られる傾向を後追いしていることに気づかされます(表2参照)。

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 すなわち、明治期に≪文献上の実例≫では「てりてり」と「てるてる」が拮抗していますが、それを反映するように、一時代あとの大正期の≪辞書見出し≫では「てるてる」がやや優勢ながらも、「てりてり」2点で「てるてる」3点と拮抗しています。そして、大正期に≪文献上の実例≫では「てるてる」がはっきりと優勢ですが、それを反映するように、一時代あとの昭和前期の≪辞書見出し≫では「てるてる」の優勢がはっきりとしてくるという具合です。
 近代(明治・大正・昭和前期)のあとさきにも視野を広げてみましょう。まずは近代以降について。これまでのパターンに従うならば、昭和前期に≪文献上の実例≫では「てるてる」が圧倒的に優勢であることを考えると、それを反映するように、一時代あとの≪辞書見出し≫では「てるてる」が圧倒的に優勢となることが予想されます。案の定、松井前掲書によれば、昭和30年(1955)を過ぎたころには大方の≪辞書見出し≫が「てるてる坊主」のみになるといいます[松井2004:18頁]。
 余談になりますが、昭和30年といえば、てるてる坊主の姿かたちが変化した時期と重なります。私はかつて本の挿絵に描かれたてるてる坊主について整理してみたことがあります(下記の【てるてる坊主動画#2】参照)。その姿かたちは、ちょうど昭和30年ごろを境に、着物を着て帯を締めた「着物型」から昨今見られるような「スカート型」へと変化しています。

 話を戻して、てるてる坊主の呼び名について、昭和中期以降の≪文献上の実例≫にも目を向けてみましょう。昭和20~45年(1945-70)の26年間において、本に登場するてるてる坊主の呼び名を拾ってみます(表3参照)。すると、私の管見の及んだ72点では全て「てるてる」であり、「てりてり」は全く見られませんでした。

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3、明治期の辞書と実例のずれ

 次は近代以前について。松井は前掲書のなかで興味深い指摘をしています。すなわち、先述のように明治期には、≪辞書見出し≫(12点)においては「てりてり」(11点)が「てるてる」(1点)より圧倒的に優勢であるのに反し、≪文献上の実例≫においては「てりてり」はなかなか見つからず、むしろ「てるてる」のほうが多く使われているといいます[松井2004:18-19頁]。
 繰り返しになりますが、私が試みた集計では先述のように、管見の及んだ明治期の≪文献上の実例≫(11点)においては、「てりてり」と「てるてる」がともに3点ずつ見られました(「読み不明・その他」が5点)。≪辞書見出し≫では「てりてり」と「てるてる」の登場頻度に圧倒的な差があるのに比べ、≪文献上の実例≫では「てりてり」と「てるてる」の登場頻度は拮抗しています。
 このように、明治期における「てりてり」と「てるてる」の登場頻度をめぐって、≪辞書見出し≫と≪文献上の実例≫のあいだには齟齬が見られます。もとより、こうした齟齬が生じるのもまた、先ほど掲げた「≪辞書見出し≫に見られる傾向は、一時代前の≪文献上の実例≫に見られる傾向を後追いしている」という法則の表れの一つと言えるのではないでしょうか。そこで次に、明治期の一時代前にあたる近世(江戸時代)の≪文献上の実例≫に目を向けてみましょう。

4、辞書は世につれ?(近世以前のこと)

 前々回に整理した、近世(江戸時代)における呼び名の傾向を振り返ってみましょう。「てりてり」あるいは「てるてる」といった形が見られる近世の文献資料は、管見の限りでは30点あります。そのなかから≪辞書見出し≫である3点をここでは除き、残る27点について年代を仮に3区分して整理します(表4参照)。

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 「てるてる」の初出は享保12年(1727)、「てりてり」の初出はそれから35年遅れて宝暦12年(1762)です。第1期(1727-90)には「てるてる」がはっきりと優勢(対象12点のうち9点。75%)です。しかし、第2期(1791-1829)には「てるてる」と「てりてり」が同数(対象9点のうち4点ずつ。ともに約44%)となり、第3期(1830-68)には「てりてり」がはっきり優勢(対象6点のうち4点。約67%)となります。
 このように、近世には「てるてる」から「てりてり」へという変化が見られました。当初は「てるてる」のほうが優勢でしたが、やがて18世紀も末になると「てりてり」が徐々に登場頻度を増します。そして、1830年ごろからは「てりてり」のほうがはっきり優勢となります。すなわち、先述のように明治期の≪辞書見出し≫で「てりてり」が圧倒的に優勢であるのは、それより一時代前の近世終わりごろ(上記の「第3期」)に「てりてり」がはっきりと優勢であった名残と見られます。
 さらに、同じパターンが当てはまるならば、近世における≪辞書見出し≫もまた、一時代前の≪文献上の実例≫の傾向を反映しているのではないかと予想されます。そこで、先ほど除いておいた近世の≪辞書見出し≫3点についても、近世の年代3区分に基づいて整理してみました(表5参照)。

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 しかしながら、その結果は期待どおりとはいかず、近世においては≪辞書見出し≫と一時代前の≪文献上の実例≫とのあいだに、明らかな関連を認めることはできませんでした。もとより、近世の≪辞書見出し≫で管見の及んだものは目下のところ3点と数少ないため、まずはその数を増やすことを今後の課題としたいと思います。

おわりに

 てるてる坊主の呼び名は、近世(江戸時代)と近代(明治・大正・昭和前期)を通じて、一本化されることなく多様でした。たとえば、「てりてり」あるいは「てるてる」という部分の違いに限ってみても、長い時間のなかで緩やかな紆余曲折が見られます。
 そうした「てりてり」と「てるてる」という形の違いに注目して時代別に整理するなかで、≪辞書見出し≫と≪文献上の実例≫をめぐる法則が浮き彫りになりました。ある時代の≪辞書見出し≫に見られる傾向は、一時代前の≪文献上の実例≫に見られる傾向を後追いしているのです。
 「明治期(1868-1912)」「大正期(1912-26)」「昭和前期(1926-45)」および「昭和中期(1955過ぎ)」といった時代の≪辞書見出し≫は、それぞれに一時代前の≪文献上の実例≫に見られる傾向を如実に反映しています。そのため、同時代における≪辞書見出し≫と≪文献上の実例≫とのあいだには齟齬が見られます。
 「てりてり」と「てるてる」という形の違いを発端として、本稿で導き出されたような≪辞書見出し≫と≪文献上の実例≫をめぐる法則は、どれほど一般化できるものなのでしょうか。てるてる坊主以外にも、歴史的に一定せずに揺れが見られるような言葉をめぐって、同じ法則が当てはまるのでしょうか。私にはまだ力不足でわかりません。たとえば、てるてる坊主の語尾に付く「坊主」あるいは「法師」についてはどうでしょう。

参考文献
【全体に関わるもの】
・松井栄一『「のっぺら坊」と「てるてる坊主」 現代日本語の意外な真実』、小学館、2004年

【表5に関わるもの】
(二重括弧内は原典にあたることができなかったための参照元。)
・太田全斉〔編〕『俚言集覧』 ≪村田了阿[編]井上頼国・近藤瓶城〔増補〕『俚言集覧』中巻 増補、皇典講究所印刷部、1899-1900年≫
・清水浜臣『語林類葉』5
・『和英語林集成』初版、1872年


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