やりたいことをおさらい3〜アートアートいうとります

頭の中がこんがらがってきたので
整理を兼ねて、アウトプット。
わたしのやりたいこと、なんでこの発想に行き着いたか。

↓前の投稿までで整理できたこと↓

三浦春馬くんの自殺をきっかけに内省をすすめるうちに、自分自身の思春期からのキーワードに「自殺」があったことに思い至る。
両親ともに精神を病んでいたことから、身近にあった「自殺」の2文字。でも、私自身は死がこわくて、理解できない。
死にたいほどの苦しさを取り除くには、生きづらさを生み出している社会が変わるべきなのでは?と考えていた。
もっと社会が寛容になるためには…?美術館にいくことが好きだった私は、アートにその答えを見出そうとする。

大学のころから、私の表現手段は文章で
アートは鑑賞の対象だった。
あくまで、アーティストの作品を美術館で見るという枠の中で
できることを考えていた。

精神病患者の絵を中心にアート界に新しい風を運んだアール・ブリュットは
今度は福祉の側からのアプローチで、日本で注目されていた。
私は、アート側から見ていたので、その「流行り」を苦々しく感じつつも、なにかヒントがあるはずだと気にかけていた。

とはいえ、専門的な勉強をしたわけでもないし
アートアートいってるけど、アートとは果たして?ってのもよく分からなかった。
アート好きの人たちの熱量や排他的なかんじや
中にはコミュニケーションが取りにくい人もいたりして
アートにどっぷりな人は、実は苦手だった。

私はアートの周縁にいるだけ。
でも、それだとアートは語れない?
私は何がしたいんだろう?

大学のころ、パリに短期留学して、
アートが好きという気持ちには偽りがないと確信したけれど
アート好きの人とは距離を感じる。
私自身、アートっていう言葉がうさんくさく感じてきた。

とにかくもう一度、パリに行って学ぼう、
ということで30歳手前でワーキングホリデーに旅立った。

この頃、私の中で「自殺」ということは動機ではなくて
「アートによる多様性を認める社会づくり」という、公文書のようなキャッチコピーに変わっていた。

また次回。

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