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怪談掌編 逢魔話④『僕の方が先に好きだったのに』

 僕と妻の理恵は二カ月前に籍を入れたばかりで、来月に結婚式が予定されている。自分で言うのも何だが、まさに人生における幸せの絶頂というやつだ。今日も式に向けて二人で晴れ着での写真の撮影をしに行ったところである。理恵は生粋の写真嫌いで、これまで二人で写真を撮ったことは無く、デートの際にも撮ろうとすると本当に嫌がるため、彼女の写真はこれまで一枚たりとも僕の手元に存在しなかった。

今回の撮影も、嫌がる理恵をなんとか説き伏せて写真屋へ連れて行ったのだ。ただ、どうしてそこまで彼女が写真を嫌がるのか、理由を聞いたことが無かった。毎度尋常ではない嫌がりようなので、何某かの事情はあるのだろう。まだ彼氏彼女の関係であった頃は深く詮索するべきではないと思って敢えて聞かなかったが、夫婦となった今となっては知っておきたい気持ちが強くなっていた。

「なあ、前から気になってたんだけどさ」
「ん、どうしたの?」
「なんでいっつもあんなに写真嫌がってるの?今回だってあんな剣幕で嫌がってたし」

 僕は隣で一緒にソファに腰かけてテレビを見ている理恵に長年の疑問をぶつけた。理恵は一瞬心底嫌そうな顔をした後、平静を装うように元の表情に戻った。

「えー、言わない」
「なんでさ」
「私が思い出したくないから。話しても雄太も絶対信じないし」

 その言葉は心外だ。夫として自分の妻を信じないと思われていることは非常に不本意であった。

「いやいや、絶対信じるよ。約束するから。言ってみてよ」

 僕は理恵の目を真っすぐ見据え、理恵の両手を握った。理恵は僕から目を逸らした。

「いるんだよ、男の人が」
「男?」
「うん、男の人。私の写る写真、全部同じ知らない男の人が写ってるんだよ。だから写真に写りたくないんだ」

 いや、そんな馬鹿なという言葉が喉元まで上がってきたが、なんとか飲み込んだ。ただ、あまりにも現実離れしている。

「ほら、信じてない目してる。だから言いたくなかったんだよ」

 理恵は憮然としてソファから立ち上がり、自分の部屋に戻ろうとした。

「いや、ごめん、ちょっと驚いちゃった。信じる、信じるよ」

 僕は慌てて理恵の手を掴んだ。自分で信じると言った手前、それを反故にはできない。何も言わず疑うような目でこちらを見つめている。

「たださ、何か、俺が一発で納得できるような証拠があれば、何があっても理恵を信じられると思ってさ。何かそういうのはあったりする?」

 理恵は目を閉じ、眉間に皺を寄せて少し考え込んでいた。そして口を開いた。

「……あるよ。持って来る」

 理恵は自室に戻り、何やら分厚い冊子を持って来た。それを何も言わず僕に渡し、顎で中を見るように促した。それは幼少期の理恵の成長を記録したアルバムであった。誕生から高校生時代までをまとめたもののようだ。

「これに、写ってるの?」
「いいから見てみなよ。私は見たくないからあっち行ってるね」

 理恵はそう言ってすたすたと自室に戻り、バタンとドアを閉じた。僕は写真を一枚一枚目を通した。赤子の理恵、幼稚園児の理恵、小学生の理恵、中学生の理恵、最初は微笑ましさすら感じながらパラパラとページをめくっていたが、途中から徐々に違和感を覚えるようになり、高校生の理恵の写真に至った段階でその違和感は確信に変わった。

───いる。本当にいる。

どの写真にも男が写っている。黒い服を着た五十歳前後の痩せぎすの男が必ず写真のどこかに写り込んでいたのだ。赤子時代の写真では理恵の実家の窓から、幼稚園児時代のお遊戯会の写真では舞台袖から、小学校の運動会の写真では背後の校舎の窓から───男が顔を覗かせていた。そしてそれら写真の尽くにおいて、男はニチャリとした笑顔で理恵を凝視していた。十数年に渡る写真にも関わらず、男の外見年齢は一切変わっておらず、服装にも変化が無かった。これは確実にこの世のものではない。僕は震える手でアルバムを閉じた。

 その時、僕の携帯電話が鳴った。じっとりと汗ばんだ手で携帯電話を手に取ると、発信元は先ほど写真を撮りに行った写真館であった。

「もしもし、飯塚ですが」
「あ、飯塚雄太さんですか。私、先程お二人の撮影を担当させていただいた徳田写真館の徳田ですが」
「どうも、先程はありがとうございました。どうかされましたか?」
「一つご報告といいますか、申し上げにくいお話がありまして。奥様にお話しする前にまず旦那様のお耳に入れておきたく……」

 電話の向こうの初老の男性の声が震えているのが分かった。

「と、いいますと?」
「ええ、先程のお写真なのですが、実は式で使うことが出来るようなものが一枚も無く……登録いただいているメールアドレスに今回の写真のデータをお送りしますので実際にご確認いただけませんか?お代は返金させていただきますので」
「えっ、さっき確認した時は問題無かったですよね?」
「そうなんです。いざ加工の工程に移ってデータを開けてみると変なものが写ってまして、そちらも一度ご覧いただきたく……」

 わかりました、とだけ返事をして僕は電話を切った。この上無い嫌な予感に呼吸が荒くなり、ソファで治したはずの癖の貧乏揺すりをしていると、再び携帯電話が鳴った。今度はメールの着信で、先程の写真館からのものであった。

『先程の件、写真をお送り致します。ご査収の程、宜しくお願い致します。返金については別途ご相談させてください』

 という本文に、写真が四枚添付されていた。写真を開くことに強烈な躊躇を感じたが、なんとか鉛のように重くなった指で写真を全てダウンロードし、一枚目を展開した。

二人の晴れ着の写真に、赤い靄のようなものが薄く広く写り込んでいた。確かに、これでは式で使い物にならない。だが、懸念していた例の男が写り込んでいるというものではなかった。僕は少しだけ安堵した。不可解な現象ではあるが、これならば、返金して貰った上でもう一度取り直せばよい。少し軽くなった気持ちでもう一枚、もう一枚と写真を開いていった。やはりどれも赤い靄が写り込んでいるといったものであった。やはりどの写真にも男は写り込んでいない。

ただ、やはり気味の悪い写真であることには間違いが無い。先程の四枚を削除するために携帯電話の写真フォルダを開いて写真一覧が表示された瞬間、僕は思わず声を上げた。

写真一覧で四枚の写真が繋ぎ合わされた状態で表示された状態で、そこに現れたのは真っ赤な巨大なあの男の顔面であった。それは目を見開いた憤怒の表情でこちらを見据えていた。赤い靄と思われていたのはこの巨大な顔面の一部に過ぎなかったのだ。僕はすぐさま写真を削除し、携帯を向こうに放り投げた。

「ほらね?」

 振り向くと、笑みを浮かべた理恵が自室の扉の向こうに立っていた。そして彼女はこちらにつかつかと歩み寄り、僕の耳元に顔を寄せた。

「僕の方が先に好きだったのに」

 それは紛れもない中年男の声であった。

 それ以来、特に何か実害があった訳ではないが、もちろん式で写真撮影は行わず、以後もお互いに写真を撮ることは無かった。あの晩のことは理恵は覚えていない様子だった。それからしばらくして子も生まれたが、我が子の成長は自分たちの目だけに焼き付けておくことにした。理由は言うまでも無いだろう。今度あの男が映っていた時、何が起こるかわからないのだから。

(おわり)

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