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泣いた節分

真実はいつも一つとは限らない。
そこに関わった人の数だけあるのだ。

大人は美談が好きな生き物である。

テレビや新聞、近所の人の話、自分達が「美しい」と心を動かされた話に目を輝かせて「そうゆう人になりなさい」とせっせと子らに語る。
だが、それをしっかり見聞きし、内容を理解して「はいわかりました」と言える子もいれば、感覚の違いで「つまらない」といやになる子もいる。
子供は美談より、かっこいいとか、かわいい、もっと単純な話が好きなのだ。


保育園に預けられていた私は、1日の活動の中で一番「お昼寝」の時間に重きを置いて活動していた。
それ以外の時間はよく寝、美味い飯を食う為の待機時間と思う、ライオンの様な生き方をしている稀な園児だった。

私の通っていた保育所は年齢別に動物の名前でクラスを分けていた。
下からヒヨコ組、ペンギン組、ウサギ組、キリン組、ライオン組。
ヒヨコとペンギンは幼いので睡眠時間も長く、各クラスでお昼寝。ウサギとキリンはホールで雑魚寝。ライオンは年長なのでお昼寝は無し。

私はちょうどウサギ組さんだった。

各々の布団が敷けると、すでに薄暗く照明を落とされたホールの一角に集まり、先生の「読み聞かせ」が始まる。
年の離れた姉がいたお陰で文字は幼いうちから読めたが、本を読む集中力が無かった私はこの時間も大切にしていた。
物語自体は好きで、新しい発見を常に求めてたからだ。なので、昔からある童話や児童文学よりも、絵本作家の創作系を好んでいた。
だが、読み聞かせをする先生によっては、教訓や謂わゆる「美談」が多い児童文学を好む先生が少なくは無かった。

節分が近かったこともあり、その日は「泣いた赤鬼」だった。
鬼から発想を飛ばした選書と思われる。

この手の話は家でも繰り返し母親に読まれるし、幼児向け番組でも流れる。
だからこんな日は眠い、いつもより早く睡魔に抱き込まれるように体が傾き、瞼は自然とおちていく。
すると、見守りをしている先生が小突いて私を起こすのだ。
「いい話だから最後まで聞きなさい」

子供からすると地獄である。

大人にとって美談でも、眠い子供にはなかなか内容が辛い。
桃太郎や金太郎の様な豪傑ものでもないし、鶴の恩返しの様な「鶴が?人に・・・メタモルフォーゼだと?」なイベントも発生しないし、当たり前だが悪いじいさんの乱入バトルも勃発しない。
ただ、坦々と辛いのだ。

眠い、このままお布団に寝ころびたい。だが、先生が許してくれない。

私とて余力がない訳ではない。
だが、これは1冊目が思ったより早く終了し、子供の目がバキバキで2冊目にそのままコンティニューされた場合に置いておく。
それがペンギン組とウサギ組の違いってやつだ。

だがあろうことか先生は、赤さん(赤鬼)が村人に受け入れられた件で大号泣している。

嗚咽で先に進まない。

おい、やめてくれ。
そんな脆弱な涙腺で、青さん(青鬼)のハイパーエモいラストまで走れると思っているのか?私と睡魔はもはや虫の息だぞ?早めに引導を渡してくれないか?

あんた。
私が昼寝を気持ちよく過ごす事に胸を躍らせながら毎朝起きているか知らないだろう?
しっかりお昼寝するためにスッキリ起き、ウキウキと1日を過ごし、帰宅時は母に「今日何したん?」「お昼寝」と答え、夜の9時には明日のお昼寝に備えて寝る。
なぁ、あんた。わかっているのか?今一番辛いのは、青さんの影の努力でも、赤さんの為の自己犠牲の精神でもない。

目の前にいる睡魔と私!

泣きたい。心の底から眠気でぐずりたい。
だが、私はウサギ組に心臓を捧げている。眠いからとぐずるのは、ペンギン組までなのだ。
ウサギの誇りにかけて泣くなど、泣くなど・・・!!

うわぁぁぁあああ!!

辛抱たまらず私はウサギの誇りを捨てた。
今は誇りよりも人間の本能である睡眠だ、生きるために私は眠るのだ。
皆んな、すまない。
私はウサギに心臓を捧げられなかった。笑ってもいい、だが、私を嫌いになっても、ウサギの誇りを忘れないでくれ!

「なんて子なの!!」

辺りの様子がおかしい?
先生が電気をつけ、泣き崩れる私を皆んなの前に連れて行った。

やめろ、ウサギの誇りを汚した私を晒し者にする気か?ウサギの誇りは捨てたが、人としての尊厳はまだある!誰か!誰か!私に尊厳の自由を!

「泣いた赤鬼は、友達の為に行動し、それに泣いた優しい鬼の話です。その話の内容にいち早く気付き一緒に泣いたなみちゃんは素晴らしい心を持ってます」

言えないよ、眠いなんて 誰よりも睡魔が近すぎて

私は泣いた。
先生の美談を崩さないために。
私につられて泣いた人の為に。
そして、睡魔が遠くに行ってしまい、おおよそ気持ちよく今日のお昼寝を過ごせない私に。

美談の上に美談を重ねた私の美談は、卒園の文集的なやつにまで先生に書かれた、全て大人の妄想である事だけが真実である。


節分が来ると思い出す、そんな美談の話。

ちなみに、お昼寝後に開催された豆まきは荒れました。睡眠不足の子供の怒りを見縊ってはならない。近づく鬼皆、傷つけた。あの日の私は棍棒でした。
行儀よく真面目なんか出来やしなかった。節分豆、年の数より多く食ってやった。

せつぶん【節分】
狂言の一。節分の夜、鬼に口説かれた女が、鬼をだまして隠れ蓑や打ち出の小槌こづちなどを奪い、そのあげく「鬼は外」と豆をまいて追い出してしまう。

節分の夜の大辞林より

私は今日まで節分の真実を知らなかった。

泣いた赤鬼の方が美談でいいな、と恵方巻きをかぶりながら思うのである。

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