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自然が最強

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僕は長いこと社会教育の領域に携わっていて、
このテーマはずいぶん考え続けていますが、
結局いまのところ、
自然の中でのあそびが最強だと思っています。

人間が生み出せる教材は
あくまでも人間レベルでしかないですが、
自然の楽しさや怖さに触れることが
人知を超える原体験になります。

とりわけ自然の不確定性に触れることが
大事なんじゃないかと思っています。

宇宙は不確定性で成り立っています。

量子論が成功した時代になってようやく
人類は科学的にそれを
証明するに至ったわけですが、
経験的には誰もがわかっていること。

思い通りにならない不確定なことと
うまく折り合いをつけたり、
怖いけど勇気をもって進んだり、
ときに諦めたりすることを教えてくれる
身近な教材は、やっぱり自然です。

人工物ではアウトプットが
おおかた予測できてしまいます。

それは人知の範疇にあるからです。
教育論的なロジックも
たしかに大事ですが、
無視できないのは、
僕らの体は原始時代から
そんなに変わっていないということ。

大事なことのほとんどは
遺伝子レベルで刻み込まれていて、
僕らは生得的にそれを「知って」います。

ヘビと出くわしたり
草陰にガサガサと物音がしたり
雷が鳴ったりしたときに
恐怖を感じれるように
僕らの脳はセットされています。

沢のせせらぎを聴いたり
落ち葉を踏みしめたり
焚き火を見つめたりしたときに
心地よさを感じれるように
僕らの脳はセットされています。

自然の中で恐怖と向き合い、
それらをどうにかコントロールして
安心領域を勝ち取る術を学ぶのが、
学習の根元なんだと思います。

そして現代の教育が目指すのは
その根元的な学習行動の先にある、
人間ならではのクリエイティビティですが、

安心を感じる状態でないと
人間はクリエイティビティなど
発揮することはできません。

これも僕らの脳に組み込まれた
大切な仕組みだからです。

安心領域にいないと、
脳は闘争or逃走の本能を優位に保つため、
僕らのIQは著しく低下して、
「闘うか逃げるか」の二択だけに
集中することになります。

この状態での教育もしくは学習は
非効率極まりなく、クリエイティビティとは
対極をなすもので、これはさながら
奴隷に仕事を叩き込むようなものです。

奴隷が仕事を覚えるのは、
痛みを避けるためでしかありません。

教育に関してもたくさんの有意義な情報が
容易に手に入るようになった昨今ですが、
それでも、信じ難いことに
しばしば教員による体罰の問題などが
取り沙汰されます。

暴力による調教は
サーカスですら辞めたこの時代においても。

もっと悪いことは、
逆説的ですが、暴力による支配は
一定の成果を出せてしまうということです。

やっぱり顧問が厳しい部活は、
悲しいかな、強かったりするんですよね。

だからこそそれが正当化
されてしまったりもするわけですが、
そこにもクリエイティビティはありません。

僕はこのことの本質は、
暴力以外の方法で
成果を出すことができる教育者が
育っていないことだと考えています。

そしてそんな人材を生み出すことは
仕組み上とても難しい。

ピラミッド型の学校組織や
リーダー君臨型の会社組織は、
まさにその構造自体が、
上から圧力をかけやすくするための力学で
デザインされたものですので、
これを覆すのは容易ではありません。

教員自体がこのシステムによって
教育されてきたわけなので、
システムに当てはまらない考え方は
スコトーマとなってしまい、見えません。

そもそもの社会構造が
ピラミッド型を脱しない限り、
「教育」は人間をその社会構造に
嵌め込むための洗脳システムでしかありません。

教員が
「奴隷を生み出すための奴隷」
として教育現場に君臨するシステムです。

そしてこの構造が一定の成功を納めているのが
今の先進国であり資本主義国家です。

強大なヒエラルキーによって
人々のクリエイティビティを押さえ込むことで
国家の繁栄と安定と得ているとも言えます。

もっと大きな視点で見れば、
先進国の人々は知らないうちに
第三世界の人々に対して圧力をかけています。

なんなら彼らの命と引き換えに
僕らは快適さを獲得しています。

知ってか知らずか、
こうして自身が巨大な資本主義ピラミッドに
加担してしまっているうちは、
巨大銀行を頂点とした世界と国の構造に
あらがう術は見えてこないのかも知れません。

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