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日光浴や食事じゃセロトニン生成できないレベルだった

どうも、花のJKでパニック障害になってロクな青春を送れなかった30代ですʅ(◞‿◟)ʃ
今回は寛解のきっかけになった出来事を書き連ねます。
詳細は過去の記事を読んでね。

転職がきっかけで適当に調べた病院に転院したら…

数年前、なんやかんややり過ごしながら一般枠で仕事をしておりました。
で、色々あって同じく一般枠で転職をしたのですが前職より給料や福利厚生は充実している代わりに勤務時間が増えて、当時通院していた病院の診療日時が休みと合わなくなってしまい転院をすることにしました。
当時はまだまだ公共交通機関での移動に難を抱えていたので、近場で夜間や土日に診療している病院を検索しました。
何件か条件に合う病院が見つかったので、すぐに予約が取れそうなところを選びました。

余談ですが、当時の筆者の通院理由は「症状をマシにするために薬をもらう」ことでした。かつてはカウンセリングも受けていましたが、金が無いので3分診療の医者に適当に近況報告して処方箋を出してもらう。メンクリなんてだいたいどこもそんなもん、オプション料金でカウンセリングを受けないと話を真剣に聞いてもらうことは出来ないという認識でした。実際そうだったし。
なので新しい病院に行く目的も「処方箋を出してもらうため」で特に何も期待はしていませんでした。

通院日になったので病院に向かいます。初診なのである程度のヒアリングはありました。そのときに衝撃的なことを言われました。
「今のあなたの状態だと日光浴や食事療法ではセロトニンを作ることはできないですね」

自然療法は手遅れの人間を救わない

基本的に環境に左右され続けて、軽い寛解と憎悪を繰り返してきたので、諦めもありつつ、少しでも不快な症状を軽減したくて可能な限り陽を浴びるようにしたり、メンタルに良いとされる食事を心がけてはいました。
でも当時の筆者はそんな程度では症状緩和に至らないほどに酷い状態にあったということが発覚したのです。
既に発症から10年は経過していたので、もう調子が悪いことが常態化しており、自分も周囲も気づけなかったのですが、考えていたよりずっと自分の状態は深刻だったようです。

そこで提案されたのが薬の内容の見直しでした。
メンタルヘルスは本当に複雑怪奇なので、同じ診断名の方が必ずこの療法を行なって良くなるものではありません。なので今回処方薬の具体的な名前を出すことはしませんが、これまで服用していた精神安定剤2種に別の薬を1種類追加しました。副作用などの説明もしっかり受けた上で、自身の判断で一度服用してみることにしました。

服薬のおかげで移動が出来るように

新しい薬の服用を開始して、最初の数日は事前に説明を受けた副作用が出ました。ただ想定していたよりも短期間で副作用の症状が現れなくなったので服用を継続しました。
するとなんということでしょう!今までずっとあった漠然とした不安感や恐怖感が見事に軽減されたのです。
慣れた場所ならちょっと人が多くても今までより長時間滞在が可能になったので遊びに出かけることも以前より増えました。
筆者は2014年から2019年まで毎年夏に数日間みなとみらいエリアで開催されていた「ピカチュウ大量発生チュウ!」というイベントが好きなのですが、これまでは体調の良い日を厳選して、いつもより頓服を増やしたりしながら少し楽しんだらさっさと帰るという状態で100%楽しむことが出来ていませんでした。それがようやく全力でイベントを楽しむことが出来たのです。

でもまだ課題は残っていました。
今までの行動範囲は慣れ親しんだ横浜エリアです。
電車で都内に遊びに行きたい。都内に行ければもっと条件の良い仕事がたくさんある。オタクだから池袋に行きたい。コラボカフェとかライブとかだいたい都内で横浜ではなかなかやってくれないから都内に行きたい…!
名古屋飛ばしだと?人口考えたら横浜の方がよっぽど飛ばされとるわい!
「俺ら東京さ行ぐだ!!!」

友人の助けで行動療法開始

さて都内に行く練習開始です。
ただ1人では発作が起こった時に対処できないし、まだ不安が大きいので人の手を借ります。
障害に理解があり且つ対処も任せられる友人に付き添ってもらい池袋を目指します。
池袋までは何通りかのルートがあるのですが、自宅からの最短ルートは諸事情によりあまり使いたくありません(この辺りは身バレ防止でフェイクも入れています)よって時間がかかっても気持ちが楽な迂回ルートを使って徐々に慣れる必要がありました。
そうして成功体験を蓄積することで「電車=怖く無い」という認識に上書きしていくのです。ここは本当に慎重に行いました。
「今日は調子が良いから少しくらい無茶がきくのでは?」と思っても発作が起きてしまったら「電車に乗れない自分」に逆戻りする可能性は十分にあるので「数回出来たら少しルートを変える」「少しでも心配なら無理はしない」「行き先では楽しい思い出を作る」この繰り返しで現在では最短ルートで行動出来るようになりました。友人には感謝してもしきれません。

10年分の巻き返しのように働きまくって遊びまくる

こうして「10年間やりたくても出来なかったこと」が出来るようになり、イベントなどにも行けるようになりました。
行動範囲が広がったことで、望んでいた転職も叶いました(コロナ禍以前というタイミングもよかったのかもしれませんが)
収入が増えたことで趣味や美容にお金をかけることも出来るようになったことは何よりも嬉しかったです。
この後例のウイルスによって世界中が激変するのですが、それまではとにかく遅れてきた青春を取り戻すかの如く毎日のように出かけていました。
コロナ禍以降の過ごし方もそのうち書きます。
今回はここまで。

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