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こんにちは。

 「映画ドラえもん新・のび太の日本誕生」や「ワンピース」に奴隷のシーンが出てくるのですが、実はあまり奴隷について知識がないことに気づいたので、いろいろ調べてみることにしました。

 まず日本の憲法や刑法には次のような規定で、奴隷を禁止しています。

<憲法18条>
 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
<刑法226条の2>
➀ 人を買い受けた者は、3月以上5年以下の懲役に処する。
② 未成年者を買い受けた者は、3月以上7年以下の懲役に処する。
③ 営利、わいせつ、結婚又は生命若しくは身体に対する加害の目的で、人を買い受けた者は、1年以上10年以下の懲役に処する。
④ 人を売り渡した者も、前項と同様とする。
⑤ 所在国外に移送する目的で、人を売買した者は、2年以上の有期懲役に処する。

 アメリカの奴隷制度は、1862年9月にリンカン大統領が奴隷解放宣言をしたことで終焉を迎え、現代においては奴隷制度を合法化している国はありません。しかし、奴隷制度が社会に与えた影響は大きく、その名残はいたるところに見られます。

 そもそも、人が人を所有できるとする奴隷制度は、いつから始まったのでしょうか。

 古くは、古代ギリシャ時代に奴隷制度があったとされています。戦争による捕虜が奴隷として、主に農業や家事を行っていました。ギリシャの有名な哲学者たちは、奴隷に仕事をさせて空き時間ができたことから、後世に残る哲学を発展させることができたのです。

 古代ローマでは、ギリシャ以上に奴隷制度が発達しました。家内奴隷だけでなく、家庭教師や医師、会計士などの専門職につく奴隷もいました。またコロッセオで戦う剣闘士(グラディエーター)の多くも奴隷でした。

 剣闘士のスパルタクスは、「見世物のために戦って死ぬよりも、自分たちのために戦って死ぬ方がましだ」として、仲間の剣闘士たちと脱走し、反乱軍を結成してスパルタクスの乱を起こしたのです。それだけ、奴隷の待遇が過酷なものだったことを示しています。

 中世になり、ヨーロッパでは奴隷貿易が始まりました。1441年に、ポルトガル人のアントン・ゴンサウヴェスが拉致したアフリカ人をポルトガルのエンリケ航海王子に献上したのが始まりとされています。

 実は当時の日本でも、日本人奴隷がポルトガル商人によって海外に連行されていたという事実が明らかになっています。これに気づいた豊臣秀吉は、伴天連追放令を出すことで、日本人の奴隷化を食い止めたのです。

 時を同じくして日本の裏側にあたるブラジルでは、サトウキビを中心とした農業を発展させるために、大量の労働力を必要としていました。そこで、ブラジルを植民地としていたポルトガルは、アフリカから黒人奴隷を得て、ブラジルに送り、農園で強制労働をさせていたのです。

 時として、奴隷たちは支配者から理不尽な暴行を受けることもありました。そこで、奴隷たちが自らの身を守るために身につけた格闘技がカポエイラだと言われています。

 アメリカの南北戦争が、奴隷解放を宣言した北部の勝利に終わると、その波がブラジルにも広がり、1888年にブラジルでも奴隷制度が廃止されることになります。すると、それまでアフリカ大陸からの奴隷によって支えられてきたブラジルの大農園で労働力が不足する事態に陥りました。

 一方、日本は日露戦争に勝利したものの、経済的に疲弊し、雇用を創出できない状況にありました。そこで、仕事を求める多くの日本人たちは、1908年に、希望を膨らませながら神戸港からブラジルに渡りました。しかし、理想には程遠く、日本人たちはブラジルで苛酷な農作業に従事することになったのです。

 日本からブラジルに渡った移民が日系2世、3世となった1990年に、日本の入管法が改正され、日系ブラジル人は滞在期間や就労に制限がない「定住者」として認められるようになりました。こうして「デカセギ」として日本に帰ってきた日系ブラジル人は、バブル景気に沸いていた日本の製造業を支える存在となっていたのです。

 とくに浜松には多くのブラジル人が住んでいて、柔術の道場もたくさんあったそうです。マウリシオ・ダイ・ソウザも、2004年にブラジルから来日し、出稼ぎとして浜松の工場で働いていました。マウリシオに関しては、「ブラジルからすごい柔術家の先生がやってきた」とうわさが広まり、マウリシオのレッスンが開かれると、周りの柔術家たちをボッコボコにし、その様子をクレベル・コイケも見ていたそうです。

 その後、マウリシオの弟のマルコス・ヨシオ・ソウザが来日し、さらに「マルコスよりもすごい弟がいる」という評判で、ホベルト・サトシ・ソウザが来日しました。

 彼らがアルバイトをしていたバイク工場での仕事はとても過酷な環境下にあり、体力的にも日に日に疲弊していきました。また金銭面でも、リーマンショックの影響で短期契約の非正規雇用のブラジル人が派遣切りで職を失うという辛い時期が続きました。

 しかし、そのようなつらい時期を乗り越えて、2021年6月に開催されたRIZINイベントで、ようやく世間の注目が彼らに集まりました。これを契機に、日本とブラジルの移民の歴史についても理解が深まると良いですね。

 奴隷の歴史をたどっていくと、剣闘士、奴隷制度廃止、労働力不足、移民といったつながりが見えてきました。また、日本の武道がブラジルで進化し、さらにそれを逆輸入することで日本の格闘技のレベルがアップしていく様子を見れるのがとても楽しみです。

では、今日はこの辺で、また。

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