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非合理な特殊解 10

「あ、夏子、今どこ?何してるの?」
夏子が何度か着信に気付かなかった為か、エマは少し不機嫌だった。
「今御徒町かな、不忍池にも近いところだよ。」
「どうして?」
「ずっと前にバイトしてた居酒屋の店長がこの辺の店に転勤になったらしくて、1日だけどうしても人がいなくて、手伝ってって。」
「大晦日の夜に?」
「私は実家帰らないし、大晦日の予定はなかったから、喜ばれるし、いいかなって。エマ、明日は午後に行くね。」
「午前中じゃないの?」
「うん。近所の神輿のみんなと、水天宮で初詣する約束になってるから。」
「そう。」
エマの可愛い拗ねた相槌に、夏子はニヤけながら、それを悟られないように話した。
「エマもくる?」
「私初詣要らないよ。」
「初詣は私の横にいるだけでいいから。それが終わったらみんなで食事するの。楽しいよ。行こうよ。みんなを紹介するから。」
「神輿の人たち?」
「うん。」
「うーん、どうしようかな。じゃあ。うん。」
「じゃあ、朝7時半に私の部屋に来て。もし早く着いたら近所のファミレスにいてくれる?水天宮の交差点のところ。」
「うん。」
「じゃ明日ね!今仕事中だから切るね。良いお年を。」
「良いお年を。っていうか、8時間後ね。」
「うん。じゃあ。」

夏子はアメ横近くの繁華街の路上にいた。昼は人が多すぎて路地を通るのも気後れするくらいだが、夕方にはアメ横の多くの店が閉まる為人通りが少なくなる。しかし上野へ初詣に行く人でいつもより人通りは多いようだった。もう20分くらいで年も明ける。こんな時間でも中々の賑わいだった

大晦日の深夜の路上は流石に冷える。1日だけのお仕事とはいえなかなか大変だ。

夏子は目の前を通り過ぎる大人に居酒屋のチケットを渡していった。もう2時間ももお店のサービス券を配っていた。でももうそれも飽きてきた。

目の前を、スーパーの買い物袋を手にした男性が過ぎようとした。
「あ、あのお父さん、来年の抱負を教えてください。」
夏子は咄嗟に話しかけた。
「あ〝?何?」
急に話しかけられたその男性は不機嫌そうに答えた。
「だから、来年の抱負ですって。」
夏子は構わず続けた。すると、早く会話を終わらせたかったのか、男性は益々不機嫌な形相で言った。
「ここでそれを話すと1杯タダになるんか?」
「タダにはなリませんけどサービス券はありますよ。」
「タダにならんのか。つまらん。」
男性は怒りだしそうになった。夏子はこの人はどんな事を起こしてくるのか少しワクワクしながらこう言った。
「聞いたらダメでしたか?それはそれはすみませんでした。お忙しいでしょう?どうぞお帰りください。良いお年を。」
丁寧に頭を下げた。大声で文句を言われるか、すぐに立ち去るかのどちらかだと思っていたのにどちらでもないようだ。頭を下げている私の視界にはまだその男性の足が見えた。だからといって罵声もない。
顔を上げるとその男性は穏やかな表情に変わっていた。
「忙しくはないから。抱負は、来年74になるけど、麻雀仲間の64歳の女性へプロポーズしたい。以上。」
そう言うと、その男性は急にくるりと向きを変え、歩き始めた。
「おじさーん、頑張ってね!」
夏子が叫ぶと、背中を向けたまま右手上げてその男性は答え、上野の方へ歩いて行った。
74歳でも恋は大事なようだ。夏子はそう思った。

次に通ったのは4人の若者のグループ。
「あの、そこの皆さん、来年の抱負を教えてください。」
二人が気付いているが無視された。
「あの、急ですが、来年の抱負教えてください。」
「え、話すと奢ってくれるの?」
少しめんどくさそうな顔をしながら2人が渋々答えた。
「奢らないよ。サービス券はあるけど。」
「俺たちでも入れてもらえる?」
「いいんじゃない?暴れなければ。暴れたりするの?」
「しないけど。サービス券見せて。」
「はい。1杯目100円。でも1200円以上使ってねってやつよ。」
「どうも。みんなどうする?」
券を受け取ると、若者たちは話し始めた。

数分後、4人の意見はまとまったようだった。
「実は店探してて、3件追い出されてるからどうしようかと思ってたの。」
「追い出される?」
「未成年だから。僕たちみんな19歳。」
「そういう事か。ファミレスは?」
「いつも行ってるから、今日は違うところ行きたいと思っていて。」
「そう。ならね、秋葉原にお友達の店があって。昼は喫茶店で夜はバー。でも確か3時までだよ。どうですか?」
「うん。嬉しい。」
「ちょっと待って。」
夏子は携帯電話を取り出した。
「あ、そうだ、抱負は?」
携帯で連絡先を探す手を止めた。
「僕?」
「うん。」
「親孝行。」
その若者は間髪入れずに答えた。すると隣にいたメガネをかけた若者がニヤつきながら言った。
「嘘ですコイツ。」
言われた若者は明らかに嫌そうな顔をした。そこで夏子は真面目な顔で言った。
「お兄さん、本当は?」
「告白するんだろう?」
若者は友人を睨みつけると、下を向いてしまった。
「・・・。」
友人の若者は、全然この人大丈夫です、と身振り手振りで言った。夏子にも、その下を向いている顔が妙にわざとらしくも見えてきた。それでも一応励ますことにした。
「変なこと聞いちゃってごめんね。でも、みんな応援してるみたいだよ。たった今から私もね。」
すると下を向いていた顔が歯に噛んだような笑顔になった。
「うん。ありがとう。」
「じゃあ、電話かけるわね。」

夏子は少し揶揄われなような気持ちで携帯で話し始めた。
「あ、すーさん、お忙しいところすみません。今日お店やってます?あ、本当?朝まで?常連さん二人しかいない?じゃあ、今から若者4人、酒はダメだけど、ジュースがコーヒー飲みに行ってもいい?真面目そうだよ。抱負は親孝行などなどだって。安全に宜しくお願いします。はーい。宜しくお願いします。また遊びに行きますね。失礼します。」
夏子は電話を切った。

「というわけだから。」
サービス券の後ろにお店の名前を書いた。
「秋葉原駅の近く。」
そう言って、若者にそのサービス券を渡した。
「そのお店の人ってどんな人?」
メガネをかけた男の子がごもっともな質問をした。
「とても良い人。面倒見が良いよ。鳥越神社のお祭りの神輿で出会ったの。どうかよろしくお伝えください。」
「神輿?」
「うん。祭よ。興味があればすーさんに聞いてみて。入れてもらえるよきっと。」
「はあ。」
若者たちは不思議そうな顔をした。夏子は想定外に勧めてしまった神輿のことが気になり始めた。この若者たちは、人と繋がっていくことを面倒と思う人なのかもと思うと、余計なことを言ってしまったと心配になってきた。
「行ける?行けないなら、電話しとくけど。」
夏子は4人の顔を順に覗き込んだ。意外と何とも思っていないようだった。
「行きます行きます!」
意外と4人ともこれから行く店を楽しみにしているようで、夏子は安心した。
「じゃあ、良いお年を。」
夏子は手を振った。
「さようなら。あなたも風邪ひかないで。」
4人は秋葉原の方面へ向かって行った。
その背中を眺めつつ、自分はどこの店の宣伝しているんだったかな、と夏子は思った。

4人の後ろ姿を覆うように、近所のマクドナルドの店員さんが歩いて来るのが見えた。この近くに更衣室でもあるのだろうか。
道を空けようと一歩下がると、店員さんは夏子の目の前で急に立ち止まった。「これどうぞ。寒いけど、頑張って。」
店員さんは小さな紙を夏子に差し出した。コーヒー無料券だった。
「いいんですか?ありがとうございます。」
夏子は券を嬉しそうに受け取った。
「大晦日のこの時間に外で1人で立ってるこの仕事をすごく楽しそうにやってる感じが、何とも言えなかった。」
店員さんの言葉は、絞り出してやっと出てたような、そんな言葉だった。
「側から見たらかわいそうだなとか思われるのでしょうか。」
夏子は直球で質問した。
「そんなんじゃないよ。何だろうな、まあ、僕も楽しく頑張ろうと思ったってこと。」
その店員さんはニコッと笑った。
「それなら良かった。」
夏子もニコッと笑った。
「それじゃ。」
「良いお年を。」
「もう明けましたよ。おめでとう。」
店員さんは携帯の時刻表示を夏子に見せた。
「あ、0時6分だ。明けましておめでとうございます。コーヒーありがとうございます。帰りに寄りますね。」
「僕はもう退勤だから。頑張って!」
「ありがとう。あなたも。」
店員さんは数件離れたビルへ入って行った。

夏子は街路を行き交う人へ、再び元気に声をかけ始めた。

マクドナルドの店員さんが立ち去った頃から、どんどん道を行く人が増えていった。ここからは怒涛のお客様ラッシュとなり、お店へ25組ほど案内すると、3時半を回っていた。

人通りが減り、話しかけられそうな人もなかなか見つかりにくくなると、鈍痛のような重さのある強い寒さが夏子の身を襲ってきた。

「私はただ、もっと長くみんなと一緒に働きたかっただけなのにな。」

夏子はそう呟いた。正直な本音だった。銀座の夜の仕事は予定通りに退職できたが、昼に働いていた派遣の仕事は、この年末に退職になった。去年の今頃は全然想像もしていなかったような展開になった。

去年も働き詰めの一年だったが、それをとても楽しんでいた自分に、夏子は改て気付いた。

「近藤さん、行く行くはエンジニアになって。派遣じゃなくて、ウチへ入って。」
昼に働いていた会社の社長の言葉を思い出した。そしてその日の社長室の光景も頭にふと浮かび、泡のように消えていった。

「あなたはね、弱い。弱すぎる。無防備。もっと命を大事にしろと思う。けどね、強い。律の強さはね、何と言うかね、泥に入て泥に染まらず、と言う強さね。」

宮本と最後に会った日の言葉も、車窓から見える皇居周辺の夜景と宮本の優しい笑顔とともに頭の中に浮かんだ。

近くのいくつかのお店の看板の灯が消え、街路は一層暗くなった。

深夜はエマがしていたというデータ入力のお仕事ができそうだが、これから昼や夜に何の仕事をしようか。夏子はそんなことを考えていた。


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