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★キャンピングカー生活まであと157日★「モチベーション」

あした何の日?

おはようございます。
今日はマインド系の話。
ビジネスチックになりすぎないように(というかそういうの私自身が苦手なので)割とラフな感じで書いてみようと思います。

タイトルにも書いたように「モチベーション」です。
やる気とでも言い換えられるのでしょうか。

私はこれまで「モチベーションで仕事をするな」という言葉を直接的にしろ間接的にしろよく聞いてきました。

この言葉って「確かにそうだな」と思う反面、「私には響かないな」って思うような言葉でした。

今すでに受けている仕事はやり切る必要があると思いますが、自分のキャパシティや気分的に限界(でなくともある程度の余裕がない状態)であれば今以上の仕事を抱え込むのは逆効果だと感じています。

モチベーションという言葉自体が、良い意味で捉えるか悪い意味で捉えるかでかなり見え方が変わってくるような気がしています。

「高いモチベーションを保ち行動する」といえば、意識高く快活で満足度の高い状態のように見えます。

「モチベーションが保てない」というだけで、仕事ができない風に見えるかもしれません。

仕事とかビジネスだけで判断するとそういう風に見えるのだろうと思っています。
ですが私は「仕事だけ」「私生活だけ」といった物事の一面だけでその人を判断するのが嫌い、というか関心がないので(笑)、モチベーションが生まれる業種やジャンルや環境がたまたまその人に合っていないのだろう、と思います。

その人が仕事でなく、趣味の方面でモチベーションが生まれやすい人かもしれないし、それが善でもありません。

そもそも、1億総クリエイター時代となって以来、何かにつけて得意なことや身の回りのこと全てを収益化しようという考えが私は好きません。
(社会人になってからそういう広告をよくみます)

純粋な自分の好きな気持ちだけで満足することは、全く悪くない。
「好きなことで自由な生活が送れる」というのは確かに素晴らしいことです。それを好きな状態でいることは重要ですが、それをどこか強制するような風潮が陰に潜んでいるような印象を受けます。

話が脱線してしまいました。

モチベーションというのは、波のような物です。
波は安定しないものであるから常に一定以上の質や内容を求められるビジネスの場では嫌悪されがちなのでしょう。

それをふまえて私の考えは「モチベーションの波」は人それぞれであり、それをコントロールすることは野暮でしょ。というものです。

人間なんだから心があります。
加えてこの人間関係が複雑化した現代社会の生活でストレスを感じないような人はいません(もしそんな人がいたらこの記事は不要でしょう)。

モチベーションの波がない人はいません。無いように見える人は自分で押さえつけたり、見せないのが上手い人だと思います。

押さえつける。それは本能に抗うこと。
あなたは本能のままに生きたい?理性で生きたい?

モチベーションの波が激しい人=悪ではなく、その人の特徴であり、素質である。

沈んでしまう分、モチベーションの高くなる度合いも大きく、一点集中の爆発力を持っている可能性がありますよね。

だから悲観する必要はないというか、むしろ逆に捉えるべき。自分が何に対してモチベーションが上がるのかを知ることで自分自身の力を引き出したりできますよね。
さらに、可能なら自分のモチベーションが上がらない状態の時は、無理して何かに取り組まないようにすることが良いのではと思ったりします。

根本の部分で考えれば、モチベーションが上がらない=本能が拒絶している状態なのだと考えています。

人間の脳は生まれた時から脅威を遠ざける、ないし脅威から遠ざかるようにプログラムされています。

であれば本能に逆らうこと(=無理にモチベーションが保てないものを取り組むこと)はストレスでしかない。
脅威に対してわざわざ近寄る行為をする必要があるのでしょうか?

それも趣味や仕事、活動方法の選択肢がめちゃめちゃ広いこの現代日本で、わざわざ一つにこだわる必要もないと思うのです。

自分が本能で求めているものに出会うことは、人によっては少し時間がかかることかもしれない。
それに出会うことを目的に色々な人やモノに触れて、体験して、挑戦することは非常に有意義だと思います。

もし自分の中で確信できれば、ひたすら自分の本心に従い行動する。その状態になればモチベーションなんか自覚する暇もなく突き進めるはず。

モチベーションのことで悩んでるなら一度、自問自答してみてください。

「「それはあなたが好きなもの?」」
「「無理して好きになろうとしてない?」」

<<<あと157日>>>
好きこそものの上手なれ

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