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怒らない人の思考法

私はとても怒りっぽい。待ち時間は耐えられないし、人のミスにはイライラしてしまう。怒らない人はなぜ怒らないのかがわからない。
先日引っ越した際に、ある出来事があった。その出来事に対し、私は非常に怒ったが友人は全く怒らない。その時の私の考え方と彼の考え方を比較し、怒らない人の思考法について考えてみる。

引っ越しでの出来事

私と友人は隣の家に住んでおり、全く同じ日に退去する予定であった。問題は不動産屋の対応であった。立ち合いのもと退去する予定だったのだが(事前に手紙で通知した)、不動産屋は何時になっても来ない。そもそも何時に訪問する予定だ、という連絡すら一切受け取っていない。本来ならば当日以前に何時に訪問するかを連絡しておくのが筋ではないだろうか。また、昨夏には我が家にアリが侵入する事件が起きたのだが、不動産屋に連絡しても何も対応してくれなかった。そのような不満が溜まり、退去の日に怒りが頂点に達したのである。

友人も事前連絡を受けていなかった。しかし、事前に自ら連絡を行い来る時間を決めていたのである。我が家に不動産屋が来ず、私が怒り狂っていてもどこ吹く風であった。私は来た不動産屋に文句を言うつもりであった。しかし、彼の話を聞き、怒らない人の思考法に触れることで思いとどまった。彼曰く「こんなことに怒っても無駄、どうせ二度と関わらないし。来るのは管理会社だから言っても意味がない。不動産屋が連絡を怠ったのは事実だが、今怒っても何もメリットがない。」とのことであった。
私はこの思考法に怒らない人の真髄を見た気がした。

怒らない人の思考法

怒らない人はなぜ怒らないのだろうか。
そもそも怒らない人は問題が起きる前に問題の芽を潰している。今回の場合、先方からの連絡がないならばこちらから電話を掛ければよかったのある。これは他者に期待をしないと言い換えられるかもしれない。
加えて、怒らない人は問題の構造を把握する能力に長けている。今回の問題は不動産屋の伝達不足であり、管理会社は悪くない(推測だが)。私は来た人=不動産屋、悪いのはソイツと解釈していたが、彼は問題は立ち合いに来る人ではなく指示を出す立場の人間と分析していた。そのため来た管理会社の人に怒っても無駄であり、管理会社の人もある意味では被害者だと気づいていたのである。
また、自分の労力とリターンを想像する力も優れている。来た人に怒るメリットは何もない、と彼は冷静に計算した。実際、穏やかに対応したほうが相手の印象もよくなり、掃除費用は抑えられる可能性がある。労力をかけ相手を怒鳴り散らしても、自分のエネルギーを浪費するばかりか相手の心証を悪くし費用を多く請求される恐れもある。その行動の帰結を考え、損得を勘定することで怒りを鎮めることができる。

この話を聞き、私はおとなしく不動産屋に電話をかけ、立ち合いをしてもらった。もちろん丁寧な対応をすることを心掛けた。この不動産屋のミスのおかげで私は怒らない人の考え方という有益な思考法に出合えた。このような偶然も、怒ってしまえば手に入らなかったかもしれない。

怒らないメリット

一時の怒りに身を任せると、結果として自分の首を絞める。予想外の出費や時間の損失、感情の荒ぶりなどに繋がる。怒ることのメリットは瞬間的なストレスの解消のみであり、長期的に見れば怒ることが新たな怒りのタネになっている。怒りそうになった時は、冷静にその問題の構造を分析し、その各課題を解決をすべきなのである。また、その怒りを人にぶつけるのは逆効果である。怒らないことで得られる人間関係のメリットは計り知れない。いつでも丁寧な対応は信頼を生み、金銭的なメリットに繋がるのではないだろうか。もし怒りそうになったならば、一瞬で怒ることのメリットと怒らないことのメリットを比較してほしい。その計算をしているうちに怒りは鎮まっているだろう。

それでは、ごきげんよう。


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