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TRAPEのこれまでとこれから〜well-beingという言葉で専門職の枠を外せ!〜

前編では、独立をするまでの間をお伝えさせてもらいました。後編となる今回は、TRAPEという会社が出来上がっていく過程やこれからに向けたメッセージを記事にしています。

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最初からTRAPEという会社を立ち上げたのですか?

-鎌田-
いいえ。最初はTRAPEという会社ではなく、個人事業主からで、屋号が「ダイケイ」でした(笑)。最初から株式会社はハードルが高かったので、個人事業主から始まって、屋号を登録するときにダイケイにしたんですよ。社会の土台だ〜って思って。土台っていうと台形(ダイケイ)の形しか思いつかなかったですよね(笑)。

ダイケイという屋号に、鎌田さんの下の名前(大啓)も関係あるんですか?

-鎌田-
っあ!それはね〜、誰かに言われて、後で気づいたんですよね。それからは、「そうなんですよ〜」って言うようにしてました(笑)。

当時(個人事業主時代)、描いていた計画やvisionは、現在と変わっているのですか?

-鎌田-
全然違います。でも社会の課題をつなげるとか、可能性を生み出すというところは変わってないですけどね。

当時は現場にいたので、専門家の課題というのはもちろんありました。でも、それよりも利用者さんというユーザーと接していて、元気じゃない人が、たくさんいるわけですよ... 市の地域づくりもしていたので、介護保険前の元気じゃない人や地域住民がめっちゃ困ってるとか...つまり、フレイルという虚弱状態になる前の段階の高齢者にものすごく出会っているんですよね。結局、困ってることは閉じこもりとか孤独とか、人との繋がりでした。なので、その当時は「社会参加だ!」とずっと思っていましたね。今の枠組み(介護保険制度)以外で、社会参加する仕組みを作らないとってずっと思ってて、「家の外に出よう」というサービスを作ろうとしてました。

個人事業主の時は、どのような事業をされていたのですか?

-鎌田-
研修ですね。いろいろなところからお声がけいただいてました。あとは、知り合いの社会福祉法人さんから「うちをみて欲しい。」という声にお応えしたりしてました。その時に、子供から高齢者まで幅広くみさせてもらってました。子供は重症心身障害の方をみていて、どんどん障害が強くなっていって、お母さんは「うちの子に可能性がない」と言っているけど、できることはたくさんあるんですよね。そこを実際にお伝えしていくと、「おお〜〜」ってお母さんがなるんですよね。「今まではなんだったんだ」って。その他にも、教育委員会から依頼を受けて、学校へも介入させてもらったりしてましたね。

個人事業主から株式会社TRAPEを立ち上げた理由をお聞きしたいです。

-鎌田-
当初思い描いていたのは、「社会をデザインする」ということだったのに、自分がやってることは全然違うじゃないですか。研修とかを本当にやりたかったのかな?そこで改めて違うなと思って、個人事業主ではなく、自分にプレッシャーをかける意味でも、株式会社(TRAPE)という組織を作りました。

会社としてやっていくうちに、やっぱり専門職の力が必要だよね。という話になっていて、そこをどうやってアップデートするかというのが、課題となってきて、介護事業所にいる専門家をサポートしないといけないなと思ってきたんですね。それで、「介護事業所をなんとかしたいね」ってなって、そこに余裕が生まれたら、利用者さんにもより良くできるんじゃないかなと思ってたんですよね。

取締役である山崎さん(以下、ザキさん)とは、いつごろから一緒にやっていくことになったのですか?

-鎌田-
某企業から、国の生産性向上の事業を一緒にやろうというお声がけをいただいて、やっていたんですよね。その時に、専門家やその前の現場というところがアップデートできると思い、そんなことを繰り返してたんですよね。でも、もうちょっと仕組み化しないと、共倒れになっちゃうなと思って... やるならもっと覚悟を決めないとなって思ってたんですよね。

ザキさんのことはTRAPEの立ち上げ前から知っていました。ザキさんがシリコンバレーにいた時に、ザキさんが取りあげられていたネット記事をたまたま見つけたんですよね。バリバリの金融マンが、「これからの時代は介護だ」と言っていて、この人と話したい!と思って超絶長いメッセージを送ったんですよ。そしたら返信きて、ザキさんが東京に帰る時に会いました。それからは2年くらい、たまにお互いの近況報告をし合ってて...

TRAPEメンバーの一人が退社することになり、再出発だ!という時に、これはもうザキさんしかないと思って... 経営のプロ、ビジネスのプロ。そして、なにより世界観が2年間の中で、共有できてて、人として尊敬できる。自分よりも凄い人を会社に入ってもらわないと事業は伸ばせない。と思ったので、お願いにいったんですね。オッケーと言ってもらい、やるならファイナンスの部分をしっかりやるという意味でも、出資もしてもらって... 今までもTRAPEとしてやってきたけど、またここから共同創業者として、ゼロからともにやっていきましょう。本当に社会のwell-beingを作っていこうと動き出したんですね。

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※ザキさんと意気投合した時の写真

well-beingという言葉はいつくらいから使いはじめたのですか?

-鎌田-
海外調査へ行ったあたりくらいかな?ザキさんとやっていくようになってからですかね。それまでは社会参加みたいな言葉をよく使ってましたね。今までの医療職や介護職が使っていなかった言葉を使いたかったというのはありますよね。でも、なんとなくわかるというか... 「より良く生きる」とか「より良い状態」というのは、介護の仕事をしていれば、「だよね。」ってわかるじゃないですか。そういう教育を受けているから。介護とか今まで固定化しちゃった言葉を使うと、一気にみんなのマインドがネガティブなイメージにいっちゃうから、そうじゃない言葉で表現をしたかったのはありますね。

well-beingって一人じゃできないじゃないですか。well-being自体が多様なので、何が自分にとって良いのかというのは、その時々で変わるじゃないですか。医療経済学者の先生もwell-beingの話をした時に、明日の気持ちと今の気持ちって全然違うよね。あまりカチッと決めすぎちゃいけないよな〜。って話をしたんですよね。でも、医療職や介護職って決めちゃおうとしちゃうんですよね。これが正解という枠を。この瞬間にwell-beingとは対極にいっちゃうんですよね。今はwell-beingかもしれないけど、次は違うかもしれないのに... もっと自由度を持つということは大切なのかもしれないですよね。

TRAPEとしては、医療介護専門職の型にはまろうとしているところを、どう脱皮していくのか、well-beingという言葉でやっていきたいんですよね。

TRAPEはこれから大きくなっていくのですか?

-鎌田-
そうですね。上場というのは視野に入れていますね。そのためにもソシウェル(介護事業所向け組織開発サービス)で土台を作って、Club TRAPE(医療介護専門職の人材開発サービス)でエンドユーザー(利用者さんや地域の人)にwell-beingを届けていきたいですね。軸はClub TRAPEで、その前段階をソシウェルで現場の環境を作っていくというイメージです。

TRAPEは規模拡大型のビジネスモデルではないと思ってるんですよね。バーンって面をとっていくということではなくて、地方地方でヒトをつくっていかないと伸びないと思ってるんですよ。ヒトをしっかりつくって、ヒトとヒトが繋がると最終的には面になるじゃないですか。そういうことじゃないかなと思っています。ちゃんと世界観が広がって、一緒に価値を生み出すというカタチが一番強いんじゃないかなって思っています。それを泥臭く泥臭くチャレンジしていきたいですね。

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最後まで読んでいただきありがとうございました。どのような経緯でTRAPEができたのか、TRAPEが目指す未来はどのようなものなのかを、お伝えさせてもらいました。より一層、社会にwell-beingを届けることができるように邁進していきます。





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