新聞記者志望から一転、作業療法士へ!〜病院で学び、地域で感じた課題とは?〜
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新聞記者志望から一転、作業療法士へ!〜病院で学び、地域で感じた課題とは?〜

TRAPEマガジン

今回は、弊社社長の鎌田「TRAPEの創業ストーリー」を根掘り葉掘り聞いたので、それを記事にさせてもらっています。

事業の拡大に伴い、インターンの方や社員も増え、TRAPEと関わってもらえる人が多くなりました。関わる人が多くなればなるほど、会社について詳しく知れていない方々もいるのではないかと思い、社内イベントとして企画しました。参加メンバーで、社長を質問責めにして、赤裸々に語っていただいています。

記事をまとめていると、あまりにも長くなってしまったので、前編後編に分けての配信です。

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作業療法士(リハビリ専門職)になった経緯を教えてください。

-鎌田-
最初から作業療法士の学校へ行ったわけではなく、経済学部の大学に通っていて、ひたすら遊んでいたんですよ(笑)。でも、高校生の時に「社会に泥臭く訴えかける」のが格好いいと思っていて、新聞記者になりたかったんですよね。

大学で見つけた求人広告から、某新聞社の求人を見つけて応募しました。
新聞編集の補助という仕事内容だったんですね。新聞の仕事をするために、それまで働いていたバイト先に入社して3日で辞めるって言っちゃたんですよ(笑)。めっちゃ怒られたけど、理由を語ったら、「夢があるのは良い」っていうことで送り出してもらえました。

それで3年間くらい午後4時から午後10時まで、いろんな部署をまわって、朝刊を作るという仕事をずっとしていました。すごく良い経験をさせてもらってたんですね。

しかし、いざ、就職となり人生をかけることができるか?というと、自分の理想とするライフスタイル(家族や余暇時間など)は送れないかも... 社会に訴えかけるのに、自分のライフスタイルが充実していないと難しいかもと思って、キッパリ辞めたんですよね。そこで目指していたのいたもの(新聞記者)がなくなったんですよ...

どのタイミングで作業療法士という資格を知ったのですか?

-鎌田-
当時の大学同期がファイナンシャルプランナーという資格とってたんですね。その時まで、資格という存在は今までの人生で考えてこなくて、「資格ってあるんだな」って(笑)

その友達が資格をとっていて、一歩先に行ってると思い悔しくて、資格の分厚い本を買ったんすよ。その本の最後の方に医療系の方が載ってて、めちゃくちゃ面白かったんですよね。ヒトと向き合っていて、泥臭くないですか?その中で、一番、泥臭いって思ったのが作業療法士だったんですよね。

ヒトとか人生とか、障害を持っても終わりじゃない、QOL(クオリティオブライフ)ってなんだ?クオリティってなんだ?と衝撃を受けたんですよ。そこで決心したんですよ。

この職業の資格テスト受けとこ〜って、「いつテストあんのかな?」と思ったら、4年間学校を行かないといけないことを知り、「ふざけんなよ!」って思って分厚い本を閉じました...笑。

それで、普通に就活してたんですが、頭の片隅に作業なんちゃら(作業療法士のこと)が気になっていて、親に「作業なんちゃらになりたい」と言うと、「作業なんちゃらじゃなくて、もうちょっと調べてみたら?」と言われたんです。それで、夜間部のことを知り、働きながら学校に通い、作業療法士になる道を選んだんですよ。

そもそも、新聞記者になりたいという思うきっかけになった「ヒトに泥臭く向き合い社会に訴えかけたい!」という思いはどこからきているのですか?

-鎌田-
なんか...中学の時の卒業文集を最近みる機会があってね...「I love you精神が大事だ!」って書いてあったんですよ(笑)。ちょ〜恥ずかしいけど(笑)。

「I love you精神が大事だ」とはどういう意味ですか? 人が好きということですか?

-鎌田-
う〜〜ん... なんかね。自分に自信がなくて、自分一人じゃ何もできないって思ってるんですよ。今までの人生、たくさんの周りのヒトに助けてもらっているんですよ。助けられることが多い人生なんかもしれないですね。

作業療法士の資格をとって、最初の職場はどこにされたのですか?

-鎌田-
最初は回復期病院に就職したんですが、1年で辞めてしまったんですよね。その後は、急性期病院に転職したんですよ。友人がその病院の作業療法室を開設していて、「一緒にやろう」ということで入ったんですよね。

そこで、6年勤めて感じたことがあって、それは「チームが大切だ」ということだったんですね。医療って作業療法士だけじゃ価値が出ないんですよ。看護や、ドクターや、栄養士などチームで成り立っているんですよね。脳外科のチームがとてもよくて、成績もよかったんですよ。良いオペがあり、良い看護があり、良いリハビリがあれば、ヒトってよくなるんですよ。そこには、対話とコミュニケーションがあったんですよね。カンファレンスで、専門職がお互いの意見を言ったり、違うんじゃないんですか?とドクターに対しても積極的にコミュニケーションをとってたんですよね。

そして、同じリハビリの理学療法士とも意見の食い違いもあり、この病院にいた6年間は、作業療法というものについて、これでもか!というくらい考えまくる時期だったんですね。その時は壁にぶつかってしんどかったけど、今考えると、作業療法を深める良い時期になってたんじゃないかと思いますよね。

6年勤めた後に、地域の分野に飛び込むことになるんですよ。それを最後に後押ししてくれたのは奥さんでした。実はその時期(急性期病院時代)は、少し鬱っぽくなってて、仕事が終わり家に帰ると「はあ、はあ」って言ってて、家で、はあはあおじさんになってたみたいなんですよ(笑)。

口では「地域に出たい!」って言っているのに、何も行動に移していないと思っていたみたいなんですよね。

自分では、徐々に給料も上がっていくから、これはこれで良いかなって思っていたんですけど、奥さんから、家で「はあ、はあ」言われる方がしんどい、地域って言うなら地域に行った方が良いと思う。給料のことは何も心配していない。お金なければ、ないなりに皆で働きゃいいんだ、と言ってもらい、地域分野へ行ったんですよ。

地域分野では、通所リハ(デイケア)で働かれたそうですね。

地域分野において、僕の師匠と思っている人がいるんですけど、その人に相談をしたんですよね。「訪問看護立ち上げたいんです。」と言ったら、師匠に「地域をとことん知らないのに!だめだ!」と止められて、その場で某診療所に電話をされたんですよね。そして、その週末に面接が決まり、面接に行ったらもう働くことになっちゃってたんですよね(笑)。

師匠からは、絶対3年以内に辞めんなよ!と言われてですね...わかりましたと。でも、3年経ったら絶対辞めさせてくださいよ?それだけは約束してください。というと「わかった」と了承してくれたんですよ。それで、通所リハビリの一職員として配属されたんです。

そうしてたら、半年くらい経って、法人の雲行きが怪しくなってきたんですよね...医療法人が診療所を運営しながら、介護保険事業も3つ運営していて、介護保険事業は赤字だったんですよね。その赤字を診療所の売り上げで補填していたんですよ。法人として、どうしたらいいか?という時期に、僕はこうしたらいいんじゃないか?とアイデアを事務長や理事長にずっと言っていたんですよね。そんなん言うなら、お前やってくれよという話になったんですよね。それで、僕の方からいくつか条件を出させてもらって、やることになったんですよね。

赤字の事業を担当されていたということですが、どのように運営したのですか?

-鎌田-
3つの介護保険事業をまとめてセンターを作って、そのセンター長として運営して、各管理者をまとめる役割でした。医療と介護を別に分けたんですよ。

半年後くらいには、単月黒字が出るようになって、1年半後には資金も回るようになって、黒字転換したんですよね。その間、営業ではなくて、他の事業所さんの困りごとを無料で一緒に解決してたんですよね。そうしてたら、利用者さんの紹介も増えるようになっていって介護事業の稼働率も上がっていったんですよね。地域からの評判もよくなり、いろんな方々から応援してもらえるような事業所になったんですよ。市には介護事業所の連合会ってのがあって、市と協議したり、いろんな会(業界団体)や市内の介護事業所と協業したり、地域住民と話をしたり...という立ち位置なんですよね。

その連合会の会長になれ!という指示をいただき、会長になったんですよ。

自治体、いろんな法人の経営者、地域住民と対話していて気づいたのが、一つの視点や専門性だけでは解決しないことばかりだったんですよね。お互いの課題をくっつけたらうまくいくんじゃないのかな?と。表裏一体の課題を言われていて、住民の課題と専門職をくっつけたりするとやっぱりうまくいくんですよね。

そこで、自分の事業所だけだと200~300人の方だけの話になりますが、全部をくっつけたら市全体の人口の数%になんかいいことができるんじゃないかなと思ってたんですよね。そっちの全体のデザインって誰もやってないんじゃないかなって思うようになったんですよね。

市全体をデザインしなければという課題感から独立されたのですか?

-鎌田-
介護事業の評判は良かったんですけど、介護報酬の改定や法人の方針で、通所リハビリを閉じることになっちゃたんですよね。

閉じるのであれば、違う事業を起こして、市に貢献できることをしませんか?と提案したのですが、受け入れてもらえなかったんですよね。それで、それなら自分でやりますけどいいですか?と言うと応援する。と言われたので、独立して自分でやりますね。ってなったんですよ。

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前編である今回の記事では、代表の鎌田が作業療法士の資格をとり、独立するまでの話をまとめております。
後編では、なぜTRAPEという会社が必要だったのか?TRAPEという会社で成し遂げたい未来を語っていただいています。
ぜひ、後編もまた、読んでいただけると嬉しいです。



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