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私が再び走り始めた理由 vol.2 〜強くしなやかで、健やかな心身を保ち続けるために〜

走り切れなかった中学陸上部時代を経て、高校では一転、帰宅部に。

そこから数年、スポーツから離れることになりました。

鴨川沿いのランニングの楽しさ

大学では勉強をそれなりに頑張り、目標だったヨーロッパへの留学も実現。京都の老舗メーカーへ就職して、希望通り海外担当になりました。今振り返っても、まあ悪くないというか、比較的安定した道だったなと思います。

京都の社員寮での一人暮らし。

京都の街は小さい。ひとり自転車でカフェをめぐっては、本とノートを持ち込み、ゆったりとした時間を味わう日々。一人の時間が好きな私にとっては、結構楽しい時間でした。

そんな時、今となっては覚えてないのですが、なぜか「走ってみよう」と思っている自分がいました。直感に流されるように、気づいたときには京都シティハーフマラソンにエントリーしていたのでした。確か24歳のとき。

エントリーしたのは確か大会の半年ほど前。エントリーしたからには走らざるをえません。

こうして、中学卒業以降、初めてのランニング習慣ができたのでした。

鴨川から徒歩5分程度のところに居を構えていたので、基本ルートは一択。鴨川沿いを走ることに。

鴨川は、ちょうど好きなサイズの河川です。流れが早すぎるほど小さくはないし、せせらぎが聞こえないほど大きくもない。川沿いもよく整備されているので、気持ちよく安全に走れます。

川の中の生物たちと同じで、鴨川沿いの人たちも、多様性に溢れているのも面白いところ。ギターを弾いているお兄さんもいれば、サックスを練習するおじさんもいる。走り回る子供たちがいれば、肩を寄せ合って大福を食べながら川をぼんやりと眺めるカップルも。

鴨川沿いを走っていると、いろんなドラマが、すっと通り過ぎていきます。

初めてのハーフマラソン

脚を故障することもなく迎えたレース本番。

明治神宮を出発してペースを無理にあげず、順調なレース運び。15km地点までは楽に気持ちよく走れました。このまま気持ちよくゴールできる!

…そのとき眼前に飛び込んできたのは、普段は車の通る高架でした。

その坂道で一気に奪われた体力と脚の筋力。

最後の5kmは必死でゴールにたどり着きました。

結果は、1時間30分前後!

我ながら、目標通りのタイムでゴールすることができました。

そしてその翌日からどうなったかというと…

一切走らなくなりました。

目標を明確に定めいない走らないのが私の性質のようです…

仕事がそれなりに忙しかったこともあり、その後、ランニングのことを考えることはなくなりました。

しなやかな心身を保ちたい!

関東に拠点を移してからたまに走ることはあったものの、習慣と呼べるまでには走ることもなく。気づけば34歳。京都シティハーフマラソンから、10年が経過しようとしていました。

そんなある日の午前中。

仕事中にグーっと背中を伸ばしたとき、背中が「ピキッ」とわかりやすい音を立てたように感じました。スジがおかしくなると、こんなに何もできないんだと実感。

友人とのご飯や、家での料理、振り向くことすらもできない。明らかに背中のスジに感じる違和感は、翌日も変わらず、カイロプラクティックに行くことに。

「特に背中の筋肉がかなり固いですね。何度か通ってもらえれば、そのあとは運動を継続すれば柔らかさを維持できますよ」

ハッとしました。

ランニングはおろかなんの運動もしないまま仕事でPCに向き合っていた私の身体は、ガチガチなんだ。このまま行くと、自分はどうなるんだろう?年齢を重ねたときに寝たきりになるのはこういう身体が固い人ではないか?

走ろう。

心身ともに健やかであるために。
大切な人と長く健康に過ごすために。
何かにチャレンジしたいと思ったときにチャレンジできる身体をもつために。

私が再び走り始めたのは、強くしなやかで、健やかな心身を保ち続けるためでした。




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