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フランスでゴミ拾いをはじめることにしました

このところ犬の散歩道の道中にゴミが散乱するように。

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コロナ禍でフランスでもマスクの着用が普及し、マスクのポイ捨てが新たな社会問題になっています。

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私の住むノルマンディ―の田舎でも路上に誰かが捨てたマスクが1枚・・・2枚・・・と落ちているなあと思っているうちに、ゴミというのは落ちているところに集積してくるもので(すでに散らかっているから、まあいいかというように)雑誌、プラスチックからデオドラントの缶まで他のごみも捨てられるようになりました。

私たちが3年前に越してきたこのパリから電車で1時間のモネの家があるジヴェルニーを少し先へ行ったノルマンディ―の小さな村は、かつての印象派の画家たちが四季の移ろいや光の変化が生み出す美しい風景をとらえようとこぞって屋外へ出て行って絵を描いた気持ちがわかるような、毎日散歩していてもはっとさせられることの多い場所です。

こんな自然の美しさに囲まれた環境の中でもポイ捨てする人の気がしれませんが、"Les gens (people), les gens (people), les gens (people)"と世間の人のせいにしているだけでは、何も変わらないどころか、自分や周りも不快になるだけ(不平不満・批判を言っているだけでは - 残念ながらフランス人にありがちな傾向 - 散歩道はただ汚れたままで、最終的には自分たちのやる気まで失せてしまう)なので、まずは散歩がてら自分でごみを拾うことにしました。

以前、日本の実家の最寄りの駅に行く道中、サラリーマンの男性が通勤の道々、プラスチックの袋を片手に吸殻を拾っておられる姿を見かけたことがあります。フランスでもこうした日本の人たちの行動は、驚きと称賛をもって紹介されるようになりましたが、フランスではまず掃除はそうじを仕事とする人たちがするもので、自分たちが公共の場をそうじするものではないという意識(清掃することでまるで自分の地位が下がるか、損をするかのような)が根強く、エコロジーに関心が高まる今でもまだまだ抵抗があるようです。

それでも最近は環境問題に関連づけて子供たちの意識を高めるためにも村総出でゴミ拾いをしている村があると先日、フランス国内外を旅してその土地の魅力を伝える番組でも紹介されていました。

私たちの住むノルマンディ―のVEZILLON (ヴェジーヨン)村(人口290人)でも音楽祭や「隣人祭り(fete des voisins) 」にちなんだ「隣人たちの食卓 (repas des voisins)」などがコロナ以前は行われていて、その機会に私も新たな地で知り合いや少数でも友達(スコットランド出身のフランス滞在歴40年以上のクリスティーヌなど)ができたのは、心強くもあり、ありがたいことです。今はコロナで何もかもがスタンバイになっていますが、Ville-dortoir (ベットタウン「寝に帰るだけ」)になりがちな中、孤立化を和らげ、村の人たち同士の交流を深めるためにも新たな試みが求められています。

これといった特別な行事でなくても毎週土曜日に村の人たちがアペロ(グルメなおつまみを囲んで夕食前に楽しむフランスの「ちょい飲み」のこと)に集まる村も紹介されていましたが、月1回でも土曜日にそれぞれが何か持ち寄ってアペロをするアイデアには少し興味を惹かれています。ゴミ拾いもエコロジーと関連づければフランスの人たちにも理解されやすく、抵抗も和らぐのでは?また、ゴミ拾いとアペロなら、子供から大人まで世代に関係なく参加できるし、集まるきっかけとしても楽しそうではないですか???

コロナの1回目のロックダウンでは、村長をはじめ、数名の近所の人たちが村の1人暮らしのお年寄りのために、率先して買い物を代行していました。多くのお年寄りはただ喜んでおられましたが、それでも中には不平を言う人はいたそうです。

任期13年目の小さな村の村長さんは、これまでのこうした経験上(何かしても(公共工事、街頭や歩道の整備など)喜ぶより先に不平、要求、クレームだけを述べる人が多い)公共の場のおそうじを自分たちでやることなどに消極的ではありますが、私自身こうした考えに賛同はしても今まで実際にやったことはなかったので、まずはどうなのか、自分で行動してみたいと思います。

「Les gens(社会)、les gens (社会)、les gens (社会)」と社会や世間のせいにばかりするのではなく変化は自分の中にもあると信じて・・・

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