先生の仕事の目的が、油断すると「子どもをコントロールすること」になっている
先生の仕事とは何でしょう??
たっくさんありますが、大雑把にまとめちゃえば
「子どもを心身ともに成長させること」
ですよね???(違うかもしれませんが)。
先生になる前はそんなの当然だと思っていましたし、そんな自分の考えと行動が揺らぐわけがないと思っていました。
もちろん、今もこの考えは変わっていません。
でも・・・
揺らいじゃうんです😭。油断したら!!
揺らいじゃうのはこんな時です。
・授業時間が残り少ないのにも関わらず、子どもの行動が遅くて計画のところまで終わらなそうなとき
・うちのクラスの子が他のクラスの担任に叱られたとき
・やるべきことがたっくさんで、余裕がないとき
こんな時は、「子どもを成長させる」っていう大事な目的を忘れて、「子どもをコントロールすること」が目的になっちゃうんです。
そして、一目瞭然ですが、見事なまでに自分の都合です。
特に2つ目の「うちのクラスの子が他のクラスの担任に叱られたとき」なんて、
「後で自分が注意されたくない」
の一心から子どもをコントロールしようとしてしまいます。
最近、うちのクラスでは自発的に掃除をしたり、誰かの手伝いをしてあげたりと、「誰かのために自分の能力を使う」子が随分と増えてきました。
だから、給食当番が食器を直している少しの間の時間に、掃除をしたり配布物を配ってくれたりする子が結構いるんです。
みんながそんなことをしてくれるもんだから、教室内が結構わちゃわちゃしていました。
そんな状況を、偶然クラスの前を通り過ぎた他の先生が
「今、何する時間!!!💢」
って叱ったんです。そして私は・・・
「すいません・・・。みんな、席についてー」
と言いました。
なんて情けない奴でしょう。なんで、
「この子達は自発的に『良いこと』をやってくれてるんです😀」
って鼻高々に言えなかったのでしょう・・・。
学校は週間生活の場ですから、時には先生の言うことを聞いてもらわなくてはいけない場面はあります(この記事ではコントロールという表現を使います)。
例えば、みんなが集中して授業を受けるためは全員が席に座るようコントロールする必要があります。
でも、それはあくまでも「授業で子どもが成長する」ための”手段”ですよね。
そこを勘違いしちゃいけないなって、改めて肝に銘じなきゃいけないなあって思いました。
私の気のせいなのだと思うのですが、なんとなく「クラスを落ち着かせることができる先生が力のある先生」っていう風潮が、学校現場にあるような気がしてます。
もちろん、その通りな部分もあるとは思うんです。学級をうまくまとまめているってことですから。
でも、それが「恐怖」や「罰」によってそうなっているなら、それは問題なのではないかと考えます。そんなもので行動を正しくできたとしても、意味はないと思うからです。それは子どもの成長を促すクラス運営ではないでしょう。
まさに、「子どもをコントロールすること」が目的化したクラス運営と言えるのではないでしょうか。
先生はあまりにやることが多すぎて、心の余裕がなくなって、しかもホアkの先生の目も気になって、油断していると本当にそうなっちゃうってことをこの1ヶ月で学びました。
だから改めて、自分に言い聞かせないと・・・。
先生の仕事は
「子どもを成長させること!!!!!!」
ここまで読んでくれrて、ありがとうございました!!
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