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「親ガチャ」って言葉が流行る社会ってやばくない??

 親ガチャって言葉を最近よく耳にします。その意味は以下のようなものです。

 生まれもった環境や能力によって人生が大きく左右されるという認識に立ち、「生まれてくる子供は親を選べない」ことをランダム要素の強い「ガチャ」になぞらえていた、ネットスラング。

 世の中の親に対して非常に失礼な言い方であることは一旦置いてくとして、今の日本社会の一面を表した、的確な表現だとも思います。

 この言葉が広がっていることから、世の中全体に努力だけではどうしようもないことがあるという認識が広がっていることが分かります。

 私達くらいの年齢になると遅かれ早かれ世の中には努力だけではどうしようもないことがあることに気づき始めるので、我々大人には「親ガチャ」という言葉が広がることはさほど問題はないかと思われます。親の立場からすると「イラっ」とするでしょうが!

 しかし、子どもたちの話となるとまた話は別です。子どもたちの間でこの言葉が広がり、努力ではどうしようもないことがあるという認識が広がっていること、これは非常に危険なことであると考えます。

 子どもは本来、より良い未来を目指し、自己実現のために努力していくべき存在です。

 そんな子どもの自己実現において重要な役割を果たすのが学校ですが、皮肉なことに学校に通うことによって努力だけではどうにもならないということがあることに気づいてしまう場合が多いのだと思います。

 これらの例を見てください。

・お金を持っている家庭の子どもは塾に通い、勉強ができる→みんなに認められる
・お金を持っている家庭の子どもはスポーツクラブに通え、運動ができる→みんなに認められる
・お金を持っている家庭の子どもはおしゃれができる→みんなに認められる
・お金を持っている家庭は余裕があるため、心にも余裕がある。子どもも健全に素直に育つ→みんなに認められる
・余裕がない家庭の子どもの中には家事等を担う子もいるため、勉強する時間がなく、勉強が遅れる→なかなか認められれない
・余裕のない家庭の子どもはスポーツクラブに通えない場合もあり、運動する機会が限られる→なかなか認められない
・余裕がない家庭の子どもの中には毎日同じ服を着て登校する子もいる→なかなか認められない
・余裕がない家庭の中には、経済的に余裕がないばかりに、家族みんなに余裕がなく、雰囲気がギスギスしている家庭もある。それによって、反社会的に育ってしまう子どももいる→なかなか認められない

 どうでしょうか。ある意味学校は社会の縮図だと言えます。だから学校の中にもこのような格差が確実に存在します。

 子どもたちは最初、より良い未来を目指して頑張ろうとします。しかし、後者のような子ども達は前者の子どもたちに比べて否定される機会が徐々に多くなります。

 それでも後者のような子どもたちは頑張ります。歯を食いしばりながら、みんなについていこうとします。しかし、いくら頑張っても前者のような子どもたちとの差は広がっていくばかりです。

 「なぜ自分(後者のような子ども)はできなくて彼ら(前者のような子ども)はできるんだろう。」当然そのような気持ちになります。

 本当は努力不足のせいではないのですが、子どもたちには経済格差がどうとかいう難しい話は分かりません。だから、「自分はダメなやつなんだ」って思うようになります。

 いくら頑張ってもなぜか追いつけないので、別のフィールドで目立とうとします。それが社会的に良いものだったら良いのですが、社会的に良いフィールドは裕福な子どもたちにほとんど支配されています。

 だから、反社会的な方向で目立とうとする子どもが出てきます。そしてそういった子どもたちが成長し、犯罪に手を染めてしまったりするわけです。

 この流れはこれまでも存在しました。今後はさらに格差が広がりこのような流れを踏む子ども達が増えることが懸念されます。

 いや、反社会的な行動をする子ども達はまだそのフィールドに居場所を見出している分マシなのかもしれません。エネルギーがある限り、手の打ちようがありますから。

 しかし「親ガチャ」という言葉が子どもの間でも広がり始め、子ども中でも一般認識となってしまったらどうでしょう。

 最初は「自分が認められないは自分のせいではない」と安心し、ある意味救いになるかもしれません。

 ですが自分が失敗するたびに「親のせいだ」と思うことを繰り返すことによって、努力することを諦め、親を恨み、自分の存在すらも恨み、無気力になってしまうのではないでしょうか。

 恵まれない環境というのは子どもから成長意欲すらも奪ってしまうことがあると思います。そして「親ガチャ」という言葉は、子どもの成長意欲の低下を助長する恐ろしい効果を秘めています。


 私たち大人は子ども達に常に明るい未来を示し、サポートしていく存在でなくてはなりません。子どもに「親ガチャ」なんて言葉、使わせちゃいけないんです。

 そもそも「親ガチャ」なんて言葉が流行る根本には、日本が格差社会に突入していることがあると思います。

 歴史が証明するように社会的不平等が広がる先にあるものは、抑圧されていたものによる革命です。そしてその革命には多くの場合、血が流れます。

 そして、その時血を流すのは私たちの子ども世代かもしれません。そんな悲劇が現実味を帯びています。

 だから私たちはベーシックインカム導入などの、格差是正に早急に動く必要があるのではないかと思います。

 私には「親ガチャ」という言葉が流行り始めたことが、先ほど述べたような革命の序章だと思えてなりません。

 考えすぎでしょうか・・・?

 

ここまで読んでくれてありがとうございました!! 

 

 

 

 

 

 

 


 

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