孔子的な「徳による学級経営」への挑戦
私はこんな学級経営がしてみたいんです!!(理想論ですが!)
この1年間で、心に決めていることがあります。
それは、
・理不尽なルールを学級に作らない
・怒鳴らない
の2つです。
私自身、この2つがすごく嫌いでした。この2つをコンボで使ってくる先生(怒鳴るけど良い先生は結構いました!)には例外なく不信感を募らせていました。
この2つに共通すること、それはこちらの自由を意味もなく奪ってくることです。
理不尽なルールによって、創意工夫をする自由が奪われます。何かを試したい、やってみたいという好奇心も奪われます。
「怒鳴る」という行為によって、主体性が奪われます。いつの間にか、自分の行動の判断基準が「怒鳴られないか」になっています。
おっそろしいですよね、マジで。
そして、実際に先生の立場になってみてわかったことがあります。
それは、
この2つをコンボで使ったら、先生としてはすっごい楽ってことです。
先生は大人ですから力で子どもを抑えることなんて、簡単にできちゃうんです。なので、自分に逆らえないように、自分が楽なように(面倒ごとが起こらないように)、理不尽なルールを作り、それを守らせ、守らない者を怒鳴るっていうコンボを使えば、見かけ上は”まとまった学級”を作り上げることはできるんです。
ですが、そんな学級で育てられる子どもは、自分で何も決められない、自分で自分を成長させられない、そんな子どもになってしまうのではいでしょうか?
それを証拠に、日本の大学生って本当に勉強しませんよね(私もそうでした)?
それは、「誰かに強制され続ける環境」で勉強をし続けた弊害だと思うんです。そこから解放された結果、どう勉強すればよいかわかんない状態になってしまうと思うんです。
指導要領には、「主体的に学べる子ども」、「創造性を発揮できる子ども」を育てるように書いてありますが、きっと「怒鳴る」と「理不尽なルール」のコンボではこんな子どもを育てることは不可能だと考えます。
そこで私が参考にしたいのが、孔子の主張する国の治め方です。
孔子は恐怖や政策で国を統治するのではなく、徳によって国を治めることができれば、国民は自然と正しい方向を向くようになると考えました。
これは学級経営にそのまま学級経営に応用できると考えます。
細かいルールや恐怖ではなく、「良い言葉」や「私の態度」でクラスをまとめることができれば、子どもたちは主体的に良いことをしようとするのではないでしょうか??
問題は、私に徳があるかどうかです。
まあ、間違いなく無いでしょう笑 自分のことだからよく分かります。
でも・・・、演じることはできるかもしれません。
キャプテン・アメリカを演じ、炭治郎を演じ、ネルソン・マンデラを演じ、ナイチンゲールを演じ、大塩平八郎を演じきることができれば、徳がある風に見せることができるのではないでしょうか笑
しんどいですが、自分の情熱が続く限り、理想が崩れるその時まで、せいぜい頑張ってみたいと思います。
それで死にたくなったりしたら・・・先生やめます笑笑
あくまでも、自分の幸せがあってこそですから!
まーーた、大口を叩いてしまいましたよ・・・。どんどん自分にプレッシャーかけて、引き返せなくなっちゃってます笑笑
でも、こうでもしないと楽な方に逃げちゃいそうなので・・・。読んでくれた皆さんで私を見張っててください!
そして、夢破れて落ち込んでたら思いっきり笑い飛ばしてください
「だっさ!!」
って笑
それを糧にまた頑張れます。
っていうーか、こんな大口を叩いてる暇があったら、研修行ったり、教材研究しろって感じですよね。まずは先生としての技術を磨かないと・・・。
土日を犠牲にしてまでも自己研鑽に努める先生方(大半の先生がそうです)には本当に頭が上がりません・・・。
僕も頑張らないと・・・。
でも、休日は遊びたいし、休みたい!!
どうすれば・・・!?
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