魂を鍛える 〜住職さんから学んだこと〜(前半)
○先日あった不思議なお話
昨日、友達と2人で未だかつていったことのなかった土地へ遊びに行ったんです。
予定していた場所は回り終え、「次どうしようか」ってネットを使って調べていると、あるお寺が見つかったんですね。
特に何も考えずに「なんか凄そうだから行ってみよう!!」っていうことになりました。
そこのお寺は結構な山の上にあって、たどり着くにはちょっとした山登りをしなくてはなりませんでした。
登ってくにつれて、霧が濃くなり、明らかに雰囲気が変わります。聴こえるのは鳥の鳴き声や風の音だけになりました。
そしてある程度高い場所に着くと・・・そこには圧巻の景色が広がっていました。高い山々に囲まれ、深い霧に包まれ、鳥がまるで竜のように見える隊列を組みながら空を飛ぶ様は、中国の風景画のようです。
私たちはきゃっきゃ言いながら写真を撮りまくっていました。
ついにお寺に辿り着きました。お寺も圧巻でした。
崖の側面が大きく抉れ、その抉れている部分を支えるような形でお寺が立っているんです。こんな地形、絶対に人間には作り出せません。
そこにいるだけで地球の凄さに圧倒される・・・、そんな場所でした。
私はテンションが上がり、「すごい動画とろーよー!!」とか言いながら、そのままのテンションでお寺の中に入ろうとした、その時でした。
「一礼をしてお入りください」
全く気づいていなかったのですが、お寺の中のカウンターのようなところに住職さんが座っていたんです。
今回の記事は、友達がこの住職さんに話しかけたことをきっかけに、2時間以上もお話しさせていただいて心に残ったことを自分なりに整理する記事です。
私は仏教に詳しくないので所々言葉を間違ったり、解釈を間違っていたりすると思いますが、そこはご愛嬌ということで笑
このお寺と私たちが暮らしている世界はあまりにも雰囲気が違っていました。また、住職さんも不思議な雰囲気を持った方で、まるでエンシェント・ワン(ドクター・ストレンジの師匠)と話しているかのようでした。起伏がない、植物のような穏やかな印象を受けました。
きっと、この体験は一生忘れることはないでしょう。それくらい、私にとって昨日の体験は不思議で非現実的な体験でした。
この体験の記憶がほやほやである今のうちに、記事を書き進めたいと思います!!
○魂を鍛える
住職さんが話の途中で「この寺では携帯を使ってはいけないんですよ」と言いました。
冷や汗が首筋を流れました。ついさっきまでスマホで写真撮りまくりながら登山してきたからです。知らなかったとはいえ、すごく後ろめたい気持ちになりました。
しかも、、、住職さんの横にあったのは監視モニター。そこにはさっきまで私たちがはしゃいでた場所が写っています。
「バレてるうう・・・」
私たちは全力で謝りました。
そして、そこからなぜ携帯を使ってはならないのかの説明をしていただきました。
結論から言うと、魂を鍛えるために、携帯は必要ないから。そしてここに来るなら、魂と向き合うべきであるから。ということでした。
魂を鍛えるとはどういうことでしょうか?
私たちは死ぬ時、あの世に何も持っていくことはできません。地位もお金も愛する人も例外なくです。魂1つであの世に行くことになるんです。
私はあの世の存在を信じていませんが(今は若干信じてます)、確かに死ぬ瞬間に私たちが感じられるのは自分自身だけでしょう。自分がこれまでの人生で経験したこと、感じたこと、それだけが最期に残るものなんです。
人生の中で経験したこと、感じたことを通して形成されるのが魂です。魂はその一瞬一瞬に向き合い、感動をすることで鍛えることができるものだといいます。
ということは、スマホやカメラで感動を収めることに夢中になり、その一瞬の感動を逃すことは、魂の成長を妨げることになるのです。
だから、「魂と向き合うことを目的とするお寺で携帯を使うことは非常に勿体無いことである」という住職の思いから、撮影や携帯の使用を禁止にしているようです。
住職曰く、現代人の魂はすごく薄いらしいです。スマホなどのハイテク機器に捉われ、一瞬一瞬の感動を身1つで感じ取る機会が少なくなっているからです。
そして、魂が薄いと本当の意味で「良い人生だった」と感じられないようです。そりゃ、人生全体を通して感動できることが少なければ「良い人生だった」なんて思えないですよね・・・。
思えば私も思い当たる節があります。感動する風景や出来事があっても、「うわあああ」という感動の気持ちが来る前に「カメラに収めてみんなに共有しないと」っていう意識ばかり先行して、結果的に心の底から感動できるチャンスを逃していたように思います。すごく勿体無いことをしていました。
仏教をはじめとした宗教ってすごいですね・・・。私の中で宗教は胡散臭い存在ってイメージがあったので、少し避けていた部分があったのですが、話を聞いてみればそこには「幸せになるための方法」がたくさん詰まっていました。
「魂」とか「神」とか非科学的に思えるワードも、きっと効果的に「幸せになるための方法」を効果的に伝えるためのものだったんですね。
宗教って人類の叡智そのものなんですね!!
「魂を鍛える」
「魂」の存在を100%信じることはまだできてないんですけど、この言葉はすごく大好きです。
私はこの言葉を胸に、人生を豊かに過ごせるよう生きていきたいなって思います!!
次回は住職に教えてもらった、「中道を生きる」ことについてまとめていきたいなって思います!
ここまで読んでくれてありがとうございました!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?