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新卒1年目、上京の思い出

新卒で就職したときの思い出を書く。

関西勤務になると思い込んでいた僕にとって、東京勤務を告げられた時は衝撃だった。親元を離れて慣れない地で初めての一人暮らし。初めての労働。初めての家事。うまくやっていけるだろうかと心配になった。

いざ社会人生活が始まると、幸いにもほとんどのことはうまくいった。世の中の大半はなんとかなるということも学んだ。自由に家具の配置を変更したり、深夜まで音楽を楽しんだり、週末に料理をする楽しみも覚えた。

ただし、どうしても耐えられなかったことが2つあった。それはどこにいってもついて回る「アウェイ感」のようなもの、そして「孤独感」の2つだった。

自己紹介のときに出身地や現住所の話になることは珍しくない。しかし、東京の地理に疎かった僕は、地名を聞いても具体的なイメージを持つことができなかった。近いのか、遠いのか。有名な施設はあるのか。わからない。わからないことは恐怖だ。周囲が「ああ、錦糸町に住んでるんだ、会社に近いし買い物も便利でいいよね!」なんて話している時、全くついていくことができなかった。「自分は生まれ育った場所とは違うところにいる」ことを最も強く意識させられたのが自己紹介のタイミングだった。だから、上京してしばらくの間は、初対面の人と話すのが怖かった。

「孤独感」はもっと深刻だった。上京前に不安だったことは、実際には苦にならなかった。「想定できることはリスクにならない」「事前に想定できないことこそがリスクになり得る」という趣旨の言葉を聞いたことがあるが、まさにその通りだと思った。僕を苦しめたのは労働の疲労でもなく、料理や家計管理などの家事でもなかった。家に帰っても誰もいない。出発時と帰宅時で家の中の状態に全く変化がない。騒ごうが暴れようが指摘してくる人間が家の中にいない。ごく当たり前なのだけど、僕はその事実を、一人暮らしを始めてようやく気付いたのだった。


僕はゆっくりと、しかし確実に荒んでいった。

入社直後には毎週のように飲みに行った同期たちとも、入社半年も経てば疎遠になっていった。僕も同期たちも忙しくなったのだ。予定が合わなくなり、飲み会の回数は目に見えて減った。

無性に誰かと話したくなって、突然関西へ押しかけたこともあった。急な誘いにも関わらず、優しく迎えてくれた友人たちにはとても感謝している。ただ、悲しかったのは、仕事以外の話ができなくなったことだった。つい1年前まではくだらない共通の話題で盛り上がれたはずなのに、自分がとても遠くにいってしまったような気がした。寂しいから関西に行ったのに、余計に悲しくなって東京に戻るということがほとんどで、そのうち関西にも戻らなくなった。


2月。社会人生活も慣れてきたころ、部署で大きなトラブルが発生した。連日の深夜残業を強いられ、その日家に戻ったのは午前3時だった。家の中には灯りがついていた。出発時に消し忘れてしまった電灯を、代わりに消してくれる人は家にいない。風呂にも入らず、すぐに寝ることにした。もちろん、風呂に入らないことを不衛生だと指摘する人もいない。

自分の至らないところを指摘してくれる人が家にいる。以前はそれが鬱陶しいと感じていたけれど、実はとてもありがたいものだったのだと気づいた。このまま10年20年一人で生活していてもいいのだけど、そうしたら自分一人でしか生きられなくなってしまうのではないか。そして最期は寂しく死んでいくのではないだろうか。たった独りで?生まれ育ってもいない東京で?そんな恐怖に襲われた。寒い冬、残業終わりの深夜。その状況は、僕の思考を悪い方向へ向かわせるには十分すぎるものだった。


その後、僕は妻と出会い結婚することになるのだが、今思い返せば、新卒1年目のこの経験が、一つ大きな転機だったと思う。一人で生きていくことの難しさを知り、身近にフィードバックをくれる人がいないことの限界を知った。僕は一人で寂しく死にたくないと強く願った。自分が弱い人間であり、誰かに助けてもらわないと生きていけないと身をもって学んだ。

この時の経験以外でも、そのように感じたことはこれまでに幾度かあって、そのたびに大きな変化が訪れた。強烈な経験は押しても引いても人生を動かす。こうやって過去を振り返り、人生の振り返りをするのも、たまには悪くない。

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