18才から20才

高校は商業科。これも母親の言いなり。父はいい意味で何も干渉してこないタイプです。ただとんでもなくワガママ理不尽。1分でコロコロと言う事が変わって、しかも挙句そんな事言った覚えわない!!!と逆ギレ。そんな訳で自営業をしていたのですが人を雇えばことごとく辞めてしまい、結局身内の私しかいなくなり手伝いをしていた感じです。大人になり思った事。多分どんなバイトで働くよりも理不尽過ぎて泣かされていました。

高校生になると、預けられていた祖父母の家が古くて夕食が16時30、起床は5時のような刑務所のような窮屈な生活が嫌になり無理矢理自宅に帰り通学していました。思い返すと、祖父母の方がよっぽど親のようでした。なので後に祖父母に感謝。色々してあげたいなと思うようなりました。

高校3年生。いよいよ進路を決める時。料理に少し興味があり調理師学校に進学。1年間と短く終わる所も魅力で入学しました。1年間の通学期間なので4月に入学して秋には就職活動をしなくてはいけませんでした。私は葉山にある某有名バー&レストランに内定が決まりました。一応バーテンダーを言う形で採用でした。当時やっと家の手伝いから離れられる嬉しさで未来にワクワクしていました。ところが、、、

内定を10月に貰ってすぐの事、小学校の時からお世話になっていた祖母の肺がんが判明。しかも今でも私は医療ミスだと思っていますがガンの見落としで治療が遅れ気づいた時には既に何も出来る状況ではありませんでした。その時の医師からは余命半年から1年と。そこで母は私にとんでもない発言を、、、、、

『20才で結婚してから苦労かけたおばあちゃんの看病をしたい』母

『今更いい人ぶってるわ、、』私

『就職辞めて家の手伝いをして貰いたい、、』母

『は???』私

自営業の父は私が学校終わった夕方や休日は手伝いが出来ましたけど平日などは父と母で切り盛り。母が祖母の看病をする=必然的に1人では出来ない仕事だったので私が家の仕事を手伝う事を意味していました。娘の就職を辞めさせてでも祖母の面倒をみたい、私を無理矢理預けた懺悔を今頃??と思ってしまいました。ただ祖母には恨みがないので泣く泣く内定辞退。

当時付き合っていた23才の彼氏優し過ぎたなー笑仕事休みの日は学校迎えに来てくれてデート代は全部払ってくれて笑あの時はその優しさにワガママになり過ぎて別れてしまいました。自分でもちょっとイケてると言う自負が良くなかった。昔の自分に言いたい事。そんな優しい塊の男性は大事にしとけよーです笑

次回に続く

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