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人生を変えたのは

一足の靴でした。

自分の人生に、生活に、行き詰まりを感じていた頃のことです。
当時、母の事業を手伝いながら実家で暮らしていました。
家もある、ある程度自由なお金も貰える、食事には困らない、親の仕事を継ぐ選択肢もある。生きていくのに困りはしませんでした。
月に何度か母とランチやディナーに出かけたり、仕事終わりに飲みにいくこともよくありました。側から見れば仲の良い母娘だったかもしれません。
ですが実際は、性格も趣味嗜好も全く違っていて、無理をして合わせることも多くありました。人と話すことが好きで、誇張して面白おかしく話す母。私のことも、有る事無い事面白おかしく周囲に吹聴するのが嫌でした。私はどちらかといえば黙って、物事を多角的に思慮深く考えたいタイプの人間です。黙っているので言われたい放題でした。身内であり仕事上の関係でもある、というのが他の従業員や関係者を含めた人間関係の中でストレスのタネでもありました。
仕事をしていると言っても身内の事業では、社会的にはニートと同然に見做され、転職先したくても容易には見つかりませんでした。

癒しを求めて植物を育ててみたり、部屋の中の全てのものを徹底的に選別して、半分以上処分するなどの大掛かりなお片付けもしました。

どこにも行けない。でもどこかに行きたい。

そんな想いで毎日過ごしていました。


ある時、通りかかった靴屋の店先にあったランニングシューズが目にとまりました。ピンクとブルーのカラーリングがすごく好みで、一目で脳にビンッと快楽物質が迸るほど好みでした。
当時の私は運動習慣は全くなく、健康やダイエットのためにも「運動しないとな」という意識は心の隅にはあったものの、苦手意識の方が圧倒的に大きく、ランニングなんて試したこともありませんでした。
それでも「こんなに可愛い靴なら履きたい。ランニング、してみようかな」と思い、その靴を買いました。
その翌日から早起きして、まずは近所の公園を走ってみました。最初の頃はほんの1キロ程度だったと思います。ほぼ散歩でした。ただ、朝早く起きて、早朝の空気を楽しむのが好きになりました。
そのうちに、ランニングに良さそうなのどかな道を見つけてそちらをランニングコースにしました。近所ではあるものの踏み入れたことのない地域だったので、その先に何があるのか、どこまで行けるか知りたくて、どんどん距離が伸びました。「行けるところまで行って疲れたら歩いて帰る」という楽しみ方で、気づけば3年近く、週に2〜3回ペースで朝ランを続けました。

走りながら、するともなしに色々と考え事をします。嫌なことを思い出したり、悩み事が頭をもたげたりします。でも不思議なことに、過ぎ去っていく景色と共に、ネガティブな感情も去っていくのです。そして昇っていく朝日と共に前向きな感情が湧いてきて、疲れ切った頃には無心になります。
この心の状態の変化が好きだったのも朝ランを続けた理由の一つです。

一年以上ランニングをしていると、ずいぶん距離も伸びるようになりました。
「こんなところに桜並木あったなんて」とか「冬の間もここには花が咲いている」と気付いたり、「台風の後折れてしまっていた木の断面から少しずつ枝が伸び、春には花が咲く様子」といった普段見落としていた風景に気づくのも好きでした。
そして私は「変わりたいけど、変われない」「どこかに行きたいけど、どこにも行けない」と思い込んでいただけかもしれない、と思うようになりました。

一年前には無理だった距離を、自分の足で移動できるようになったと気づいたから。

「もっと遠くに行きたい」「もっと違う景色が見たい」

だんだんその思いは強くなりました。

そしてその翌年、私はオーストラリアのワーキングホリデービザを取得し、渡豪しました。

もちろんオーストラリアでは様々な異文化体験、交流もありましたし、良いこと、悪いこと含め、価値観が再構築されるような特別な体験でした。youtubeやSNSなどで情報として知ることはできても、体験することほど大きな影響は受けないでしょう。
詳細は長くなるので省きますが私は渡豪してよかったと思っていますし、それによって自分が大きく変わったと実感しています。
「もっと自由でいていい」「もっと身軽でいい」そんな風に思うようになって過剰に他人の目を気にしたり、我慢して自分を何かの型にはめるのをやめました。
帰国後、「以前より生き生きしてる」「かつてはもっと自信なさそうだった」と言われました。自分でも、そう思います。
渡豪して心の持ちようが変化して、さらに帰国してからは1年ほど筋トレしてボディメイクに勤しんだことで、体型まで変わりました。
環境も、見た目も、考え方も、冒頭でお話しした「あの頃」から想像もしないくらい変わりました。

でも渡豪よりもボディメイクより何よりも、あの時、靴を買って、走り出さなければ何も変わっていなかったんじゃないかと思うのです。
「変わりたい」という気持ちと、「変われる」という「可能性を信じる気持ち」の両方を持ち続けていなければ、きっと計画だけで前に進めていなかったことでしょう。それまでの私はそうだったから。

私はもう、「変わりたいけど変われない」なんて思わないし、「どこかへ行きたいけどどこにも行けっこない」なんて思いません。
ずっと、親の敷いたレールの上で窮屈な思いをしていた「あの頃」と比べて、ささやかではあるけど自由と独立を手に入れて、未来を向いて生きています。それは「あの頃」叶わないと思いながら夢想した生き方です。
「出来ない」と思っていた頃には到底及ばなかったけれど、ちゃんとここまで来ることが出来ました。それは「変わりたい」と思い続け、「変われる」と信じ、「変わろう」という選択を繰り返しする事ができたからだと思います。

私はまだ、「叶えたい理想」があります。今だから思い描けるもので、今から向かうところです。どんな回り道をするかわかりませんが、きっと辿り着けるという自信があります。

一つ一つの変化は小さくても、積み重ねれば案外遠くまで行けることを、あのランニングシューズが教えてくれたから。


#あの選択をしたから

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