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魂(たま)散歩17歩目。己の感情を作品作りで表現し続けた石職人の物語。

来ていただきありがとうございます!

とよみです。

では、本日はここから。
今回は「K様」からのご依頼となっておりました。

(ご依頼時のイニシャルで表記しておりますので、前回の方とは別の方です…)

では、のんびりとお付き合いくださいね。

●K様に現在一番影響を与えている過去世について

800~900年くらい前の中国の方ですね。
男性で、今視えているお姿としては、30代くらいの方でしょうか。
石を加工して、石像や柱に彫刻をするようなお仕事をされていた方のようです。

今回は便宜上「石職人」さんとお呼びすることにいたしましょう。

石職人さんは、お生まれは河北省で、小さい頃はソバや綿などの農作物を育てている農民のお宅にいたことを話されています。
父親は手先が器用な人で、農作物を育てている傍ら、枯木や小さな石などを使って動物だったり、神話や想像上の人物や動物?の姿などを彫って、石職人さんたち兄弟を楽しませたり、他の農民に物々交換で譲ったりしていた、と話されています。

そんな父親に習い、石職人さんも物心がつく頃には、枯木などを使い、小さな動物だったり思いついた形を彫ってみる、ということをされていたそうです。

子どもらしい伸び伸びとした発想力や元々持っていた才能が素晴らしかったのか、父親や家族から与えられた環境が良かったのか、石職人さんは次第に父親も自慢するほどの作品を作ることがしばしば出てまいります。
そして、少しずつ枯木や小石だけに飽き足らず、徐々に大きな素材を加工していくようになっていきます。

始めは、扱い慣れている木製の素材を扱った家具やちょっとした作業道具などに細工を彫っていたそうです。
それが、徐々に家の前の立ち木や、壁など、石職人さんの家族以外の方が見えるような場所にも細工する、ということが増えていったと話されています。

その細工の腕や才能を、偶々見かけた役人の方に認められて11~13歳くらいの時に、家族の元を離れ、都の石材を主に取り扱う工房に行くことになったそうです。

工房で見習いとなり、仕事をし始めてから、石職人さんはこの「見習い期間」というのが、とても大切で丁寧に行わなければいけないのに、他の工房の職人さんたちは「まるで見習いは自分達の召使いのように」粗雑に扱い、場合によっては暴言や暴力なども振るわれることがあった、と話されています。

その見習いの期間中に何度も逃げ出したくなったそうですが、自分に対して興味がない(仕事熱心な)職人さんや、工房の親方のような年配の職人さんたちの作品を見る度にため息が出るほど素晴らしかったため、自分もこのレベルまで上り詰めれば、きっと状況が改善していくだろう、と考え、自分自身のことを励ましながら必死で工房での仕事を続けて行ったそうです。

粗雑な扱いをしてくる先輩職人さんたちの心無い言葉や、暴力はとても石職人さんの心を苛むものではありましたが、自身の練習を兼ねた作品作りと向き合い、そこに没頭することで、心が折られることなく、目標となる人たちの後を追うことが出来たそうです。

…少し時を進めてみましょう。

見習いになってから、ちょうど干支が一回り…12年ほど過ぎた時に、工房の親方に呼ばれ、憧れていた職人さんの一人に助手として配属されることになったそうです。

そこから、しばらくは順調に憧れの職人さんとともに、お仕事の腕を磨き、作品作りに集中していく…という時期を過ごされたそうです。
その際に、始めこそ仕事で(憧れの職人さんとのやり取り不足からくる)小さなミスなどで叱られることがあったりしましたが、少しずつその失敗を修正したり、工夫していくことを覚えていくことで、徐々に憧れの職人さんからも信頼を得られるようになっていったようです。

その信頼関係が深まっていく中で、お二人は少しずつですが、先輩職人と助手職人、という関係性を超えるような親密さへと進んでいったようですね。

石職人さんは、あの頃から数年は、ともに仕事を通してお二人で作品を作っていくことが、生きる歓びであるというような状態になっていた、と話されています。

ただ、肉体関係のようなものはなく、二人で作った作品が「二人の思いの証である」というような考えであったため、その作品の質については、工房の親方を始め、周辺の貴族や偉い人々の間でも評判になるほどだったそうです。
(そして、愛の証として、婚礼の際の贈り物や、嫁入り道具の中の宝物の一つとしてお仕事の依頼が入ることも多かったそうです)

憧れの職人さんと石職人さんの作品が周囲に認められれば認められるほど、昔嫌がらせをして来ていた職人さんたちは、声を潜めたり、遠巻きに見るだけとなっていった、と話されています。

ただ、憧れの職人さんがご自身の生活の質を上げたいという希望のもと、工房から独立したい、と言い出したことで、工房の親方ととても揉めたそうです。
そこが原因で、憧れの職人さんは利き腕を大きく怪我してしまい、作品づくりはおろか、独立自体が出来なくなってしまいます。

石職人さんは、そんな憧れの職人さんを支えるために、一緒に作品を作ることを止めず、個人的に来た依頼をこなしながら必死に共同制作の方も行う…という過酷なスケジュールをこなす生活を送っていたそうです。

…また、少し時を進めてみましょう。

憧れの職人さんが腕を怪我されてから6~7年目くらいだったそうです。
とても寒い日の夜に、珍しく深酒をされているな、と思っていたら、朝方庭先でそのまま息を引き取られていたそうです。

その時、石職人さんは35歳くらいだった、と話されています。
冷たくなった大切な人の体を、庭先から部屋の中の寝台に移し、その姿をどうすれば残せるのか、必死で考え、葬儀中もずっと「この人が生きていた証拠を残すには、どんな作品が一番いいのか?」ということばかり考えていた、と話されています。

そこから、憧れの職人さんへの最大限の敬意や慈愛、様々な感情を込めて(憧れの職人さんの魂がそれぞれに分かれたと見立てて)「四霊(シレイ)」と「四凶(シキョウ)」の石像を10年近くかけて彫り上げて、それぞれを都の大きな寺院に納めた、と話されています。

…では、最後の時を視てみましょう。

50代のはじめ頃でしょうか。
「四霊」と「四凶」を彫っている最中から、石職人さんは少しずつ心のバランスを崩して行っていたのか、それとも目には視えない存在とのやり取りに没頭しすぎたのかはわからないですが…

時折何もないところに話しかけてみたり、何も視えなくても違う存在を感じたり、ということが増えて行ったようです。
そして、それを感じたままに作品にしていく…ということを繰り返されていたそうです。

その作品は、狂人の作品だとも言われてしましたが、一部ではとても評価が高く、高値で取引されていたようですね。

その日も石職人さんは、一人で工房の作業場にこもり、黙々と作品作りに没頭していたそうですが…完成間近のその作品を狙われてしまい、同じ工房の別の職人さんに背後から襲われて亡くなられています。

…というのが、K様に現在、一番影響を与えている過去世となっておりました。

人は常に「自分の心の支え」を求めていますし、それがあることで動けたり、考えたり、成長したりすることが出来ます。

石職人さんにとってその心の支えは「作品作り」であり、共に思いを(作品を通して)交わせあった先輩の職人さんの存在そのものだったのでしょう。

あまり「男性的な」とか「女性的な」とかそういった括りでお話するのは得意ではないですが…

過去世の中で同性の方々との恋愛をされていた…というものを時折視ます。

その中で(肉体の性別が)男性の場合、割と性的なことに積極的というか(様々な理由はあれど)奔放であったり、その肉体的な交流が「お互いの感情の確認」だったりというような意味合いを持たれている方が多いな…という印象があったので、今回の過去世はとても「感情の昇華」が肉体以外の交流で如実に行われていたな、と感じたものとなっておりました。

(肉体の性別が女性の場合、両極端です。すっごい積極的か全然そうでもないか、というのをよく視ます)

支えにしているものの一部を失った場合、人は正気だったり自分自身を保つためにもその部分を埋めたり、差し替えるために行動しますが…
彼の場合は、自分自身を保ててはいたでしょうが…正気は保てていたのでしょうか。

その辺も含めて、振り返りでは聞いていたりしていますが…
人の感情って、本当に答えがないものなんだな。
と改めて感じた過去世となっておりました。

今回はこの辺で。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

とよみ。

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