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安心して崩れ落ちそうになったけど、生きてくために立ち上がった一日!

新しいクリニックへGO!

今日は「パーソナルヘルスクリニック」のトランスジェンダー外来に行ってきました。


実はずっと根づいてた深いこころの傷

私は性別適合手術後は東京家庭裁判所で戸籍の性別を変更するための「外性器が女性器に近似していること」を証明する書類を準備するために、ナ●モクリニックに診断書をもらいに行ったのですが、実はそこで事件に遭いました。

YDr.「こんなに腫れちゃって…うちでやればこんなに酷いことにはならなかったと思うけど」

そう言われまして。
それがずっと心の奥底に残ってて、知らず知らず自傷行為のように自分の心を傷つけていたんだなぁと。

徐々に…徐々に…回復するこころ

これまでお世話になっている東大出身で物腰の柔らかい皮膚科の先生からも、そして今日お会いしたトランスジェンダー外来の先生からも「綺麗な術部だね〜!」と言ってもらえて、本当に心から安心したと言うか、クリニックを出たらもうその場で崩れ落ちそうになる気持ちに見舞われました。(ただそれがなんでそういう心境になるのか、この時点では全く理解できずだったんです)

ただY Dr.から投げかけられた言葉の暴力によって、ずっと「私の体(女性器)は綺麗ではない」とか「性交渉をしたらきっと相手からは本物とは違う作り物な性器と思われてしまうんだ」といった呪縛に囚われ続けて生きてきたんだなと。

それがどんなに苦しい十数年だったか。
さっき母とこれまで感じてきたことや今日あったことを話してるうちに、病院を出た時のあの感覚がなんだったのか?がやっとわかってホッとしました。

頭ではわかっているんです。
タイのヤンヒー国際病院という権威ある病院で、300万円かけてやった手術。失敗なんてありえない。現にちゃんと裁判で性別を変更することができたじゃないか!って。ただその過程で酷い言われようをしたことが長いこと心の傷になっていたことを感じました。

私はこれでも日本はマシな方だと思ってます

いろんな手数を踏まないと性別を変えることのできない日本の法律にはうんざりしますが、私自身はずっと男性の体に違和感を持ち、2011年にタイで性別適合手術を叶えたことは後悔していませんし、やはり体が心に追いついてきたような、寄り添ってきた感覚は忘れることのない喜びです。

性同一性障害特例法がなかった時代が続いていたとして、戸籍の性別変更がまだできない日本が続いてたとしても、私はきっとタイに行って性別適合手術を受けていたことと思います。(実はタイで生まれ育った場合、体の性別は手術によって変更できるけど、ずっと性別表記は変えられないままなのは意外と知られてないんですよね。タイはトランスジェンダーフレンドリーとは言えないと思いますし、日本はこれでもだいぶ進んでいると私は思っています)

今時点では綺麗事に聞こえてしまうかもしれないけれども本音は…

けれど、どこの国で生まれても、どんな境遇で生まれても、どんな経済状況や身分で生まれても…自分らしく生きれることが先決だし、大事なことだと思っています。

私が20代の頃は「性別を変える手術は自分のお金でやるべきこと」という美談が蔓延った時代でした。なので私も自分で資金を整えるべくIT業界に進む決意をして、準備をして…でも体を壊して、全く異業種へ転職しました。

いろいろ見かねた実家の両親が結局手術費用を工面してくれて、(それでもまだ揉めていたので生前贈与という形で)手術代を出してくれました。

自分一人で追い詰めず、家族が協力してくれる可能性が少しでもあるならば、多少自分が折れたり、妥協して、家族に助けてもらったり、自分のお金とも合算して手術に行くことも大事だと思います。現代の子たちはそのあたりどうなっているかわからないけど、この手術は協力者がいることはとても大きいです。(手術と滞在費などの諸費で総計300万円…これだけで済むわけはなく、当然術後のリハビリ費用や裁判費もかかります…この辺りから現在までの治療費は完全に自分のお金ですね^^; )

私はクラインフェルター症候群もあった関係で、普通の術式が難しくS字結腸法という術式でのSRS(性別適合手術)を行いました。

(そういえば奨学金も完済したなぁ…)

やっぱ生きてないと損ですし、生きてるだけで丸儲けなのかもしれませんね。

(でも今日からはじめた新しいリハビリも痛いのなんの^^; 術式のおかげでダイレーションなどの大掛かりなリハビリは不要とのことだけど、入り口付近は念入りにマッサージしましょうとのことで落ち着きました!自分に自信をつけてくためのリハビリだと思って頑張っていきたいと思います!)

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