【小説】みんなちがって

妻が手術室に入ってから1時間後、看護師がやって来て笑顔で告げた。
「おめでとうございます。元気な女の子ですよ。お母さんもお元気です」
身体中の力が抜け、どっとため息が出た。
「良かった……皆さんも本当にお疲れ様でした」
「ところで、池内さん」
「なんでしょう」
看護師がエコー写真を見ながら言った。
「エコー検査で分かっていました通り、お子さんは右眼と右腕に発生不良がありました。あとは、両足の膝から先の骨も発生していません」
「ということは、娘には右眼と右腕と両足の骨がないということですか?」
「そうです。いずれも正常範囲内の変性ですので、明日にでも人工人体の移植手術を行えば問題ないですよ。知的変性については、また後日の精密検査で分かります」
「そうですか、ありがとうございます」
僕は、はやる気持ちを抑えながら病室に向かった。

病室でそわそわしていると、看護師たちに囲まれて妻がやってきた。
「祐奈、本当にお疲れ様……」
妻は、まだ麻酔が少し残っているのか、疲れた様子で僕に微笑みかけた。
「赤ちゃんの顔見てあげて……」
「もちろんだよ。娘はどこにいるんですか?」
僕は看護師の一人に尋ねた。
「今は保育器の中にいるので、新生児室でご覧になれますよ。今から顔を見に行かれますか?」
「行きます。案内してください」
案内してもらって廊下を歩いていると、彼が僕に話しかけてきた。
「標準化手術を受ける前の赤ちゃんの姿は結構ショッキングですが……大丈夫ですか? 手術後に赤ちゃんと初めて会うという方も、最近は割と多いんですよ」
僕は、先ほど看護師に言われたことを思い出していた。片目片腕と、足の骨がない子ども。とはいえ、僕の娘であることに変わりはない。
「大丈夫です。会わせて下さい」
新生児室につき、ラベルに池内と書かれた保育器を見た。

娘の顔は、右眼があるはずの場所に向かって顔中の肉が吸い込まれているかのように、非対称な形をしていた。へそのように凸凹した肉で覆われたこの窪みに、本当は右眼が発生するはずだったのだろう。顔が歪んでいるせいで、唇を閉じることができず、心地悪そうにむにゃむにゃと口を動かしている。不自然に膨れ上がった右肩からは腕が伸びておらず、反対側の左腕も不自然に細いので、何かの拍子にぽきんと折れてしまうのではないかと不安に駆られた。足に目をやると、膝から先が明らかに奇妙な質感をしている。赤ん坊が力なく足を揺らすたび、水蛸のようにだらりとした肉がぷるぷると震え、とても人間の足を見ているとは思えない。よく見ると、足の指には爪がひとつも付いておらず、出来の悪いマネキンのように見える。

「顔色がお悪いようですね」
「いや……すみません。やはり、産まれたての赤ん坊はかなり違うんですね、その……見た目が」
「池内さんのお子さんはとても健康ですよ。標準化手術をすれば問題なく治るでしょう。赤ちゃんによっては、もっと変性の酷い子もいますので」
そう言われて、不意に僕は部屋中を見渡した。
「あ、あんまり見ないでくださいね」
しかし、僕は見てしまった。部屋の端にある、一際大きな保育器の中に入っていたものを。それは、歪なラグビーボール形をした巨大な肉塊だった。一瞬目に入っただけで詳しいことは何も分からなかったが、あれも赤ん坊だというのだろうか。
「あの腫瘍みたいなものも、誰かの赤ん坊なんですか?」
「……そうですね。あれほど重い変性だと、手術も少し難しいものになります。──ところで、あの子も人間ですから、『もの』と呼ぶのはやめてあげてください」

──20年後──

来週20歳になる私に、パパとママが神妙な顔で大事な話があると告げた。あまりにも定番だな。もしかして私は養子? パパの隠し子とか? 内心ちょっとドキドキしながら、平静を装って微笑を作ってから言った。
「え、何。もしかして私、橋の下で拾われた子?」
本当にそうだったら笑えないな、と思いつつ、パパもママも苦笑してくれたので少し安心した。
「そうじゃないわよ全く……あなたが大人になる節目に、知っておいてほしいことなの」
私は椅子に座り直した。少し間があってから、パパが口を開いた。
「お前の生まれてきた時の話だよ。お前はね、かなり重たい身体変性を持って生まれてきてね。母さんのお腹から出てきた瞬間は、ほとんど……人間の形をしていなかった」
完全に予想外の話が始まった。
「エコー検査の時にね、お腹の中のお前がそういう状態だということが分かって、堕ろすという選択肢もあったんだよ。でも、俺たちは長いこと子供ができなくて、待望の妊娠だったから、どんな子が生まれてきても愛情を持って育てようと思ってた」
「そうなんだ…………それは、ありがとう」
私があっけらかんとした様子でそう言うと、ママが口を開いた。
「まあ、私たちのことは良いのよ。ここからが大事な話ね。あなたも大人になって、これから結婚したり子供を持ったりするかも知れないけど、その時にね。あなたの変性のことを、相手の男の人には知っておいてもらわないといけなくてね」
「遺伝するから……?」
「俺と母さんも、少し重めの身体変性を持って生まれてきたんだよ。お前が産まれた時にお医者さんからも言われたけど、変性は遺伝するから、将来お前が子供を持った時、子供にも重い変性があるかも知れないと言われた」

親と子の顔が似ているなどという文化は、とうの昔に消え去った。今の時代、どんな子でも産まれたては五体不満足の醜い姿をしていて、その後で親の思うがままに整形される。その過程で、生まれつきの顔にはメスを入れることになるからだ。そもそも親の顔だって、生まれつきのものではないし。

──2年後──

大学に行く途中、今日も駅前でデモが行われていた。彼らの掲げるプラカードには、
「標準化手術反対!」
「身体変性は個性だ」
などといった文字が書かれている。リーダー格と思しき女性が一人、拡声器を持って広場に立っている。
「……そのようにして、長い歴史の中で親から子へと受け継がれてきた神聖な身体を、制度によって悪とみなし、手術室で切り刻む。これは明らかな冒涜ではないでしょうか? 自然の中で育まれてきた私たち人間にとって、生まれたままの姿で生きること、生きていて良いということ、これ以上に大事なことがあるでしょうか?……」
そう叫ぶ彼女の頭はすっかり禿げ上がっており、鼻も削ぎ落とされたように欠けている。あの程度の変性で済むのは幸運だ。私のように肉塊として生まれてみろよ。生まれたままの姿では生きることすらできない人だっているんだぞ。
「あるがままの姿を失って、人の心は狭くなっています。一部の金持ちは自分の子どもを美しく整形し、整形していない人たちを醜いと言って笑っています。親から受け継いだ身体を、誇りに思えない社会になっています」

夜、駅前でデモをしていた女についてネットで調べた。工藤凛。幼少期の貧困で標準化手術が受けられず、ガイコツとあだ名をつけられる。以後いじめを受け続け、親から頂いた身体に誇りを持てない社会を疑問視。標準化医療反対運動の第一人者にして、二児の母。Twitterのアカウントもあった。少し迷ってから、私は彼女にメッセージを書いた。
「今朝の駅前でのデモを見ました。私は生まれてきた時には心臓が動いておらず、手足も内臓もめちゃめちゃだったそうです。標準化医療のおかげで、普通の幸せな日々を過ごせています。両親も標準化医療に感謝しています。今日のデモを見てとても不愉快でした。私のような人もいると知ってください」
送信。こんなことをして何になるんだろう。 ベッドにどかっと身を投げてぼーっとしていると、ほどなくしてケータイが鳴った。意外なほど早く返事が来た。
「そうだったんですね、ごめんなさい。あなたが生きていて、本当に良かったと思います。生きるため、命を繋ぐための医療は、人が生み出した素晴らしい光です。でも、中には不必要な手術を行う人もいます。行き過ぎてしまった光は、闇と紙一重だと思うんです」

──4年後 ──

「……そうだとしても、俺はお前との子どもが欲しい」
彼の言葉を聞いて、私は心からほっとした。
「本当に? 良かった。私も亮の子が欲しいよ」
「当たり前だろ。俺はお前を愛してるんだから……」
亮は、そう言って私を抱きしめてくれた。
「今の医療は俺らも想像つかないくら進歩してるし、どんなに重い変性でもきっと治してくれるよ」
「でも……治らない可能性だってあるんだよ。私が手術で治ったのも、ほとんど奇跡みたいなものだったらしいし」
亮は、私の頭を撫でながら言ってくれた。
「そんなことでお前との結婚を諦めるわけないだろ。確かに子どもは欲しいけど、俺はもうお前と暮らすって決めたから。もし健康な子が生まれなくても、俺はお前のためなら頑張れるよ」

──7年後──

「……そもそもね、何でこんなことになったか知ってる? じゃあね、……宮下君どうよ」
「えーっと、福祉国家の成立が原因だと思ってます」
「あーなるほどね。それは正しいと思うよ。……要するにね、もう人間様は自然界の中にいない訳よ。人間は、種としての淘汰圧がかかってない状態にあるってことな。例えばさ、今の世の中どんどん不妊率が上がってるでしょ? 20代で既に40%近い人が妊娠できない、させられない身体になってる。でもさ、結局みんな子供が欲しくなったら人工授精に頼るでしょう。これが自然界の動物だったらどうよ。不妊のオス猿やメス猿なんて一生子供産めないぜ? でも、そのおかげで不妊の遺伝子は死んでさ、うまく妊娠できる遺伝子だけが生き残っていく訳よ。今の人間社会ではさ、その働きが全く死んでるよね。妊娠できない人でも子供を残せるし、腕も足もない状態で産まれてきた人でも子供作れるし。だから、その人の子供もとんでもない身体で産まれてくる」
「すみません、質問いいですか?」
「はいどうぞ」
「先生は、完璧な身体で産まれた人以外みんな死ねばいいと思ってるんですか?」
「いや違うよ。いいとか悪いとかは俺の守備範囲外だからさ。ただ、そうやってどんな人にでも平等に子供を残す権利を担保してきた結果、産まれてくる子どもが身体に変性を持っているのが当たり前な社会が生まれてしまった訳よ。そもそも、今は『変性』って言ってるけどさ、ほんの1世紀前までは『障害』って呼ばれてたんだぜ? つまり誰の目にも異常だっていう自覚があったんだよ。今はもう誰が見ても普通だと思ってるじゃない。変性なんて持って生まれない方が珍しいでしょ? 人間は完全に生物の進化から取り残されてしまってる訳ね。話を戻すけどさ、今の世の中こんな風になってるのは、自由平等主義のせいだね。動物なんてさ、生まれながらにして平等な訳ないじゃない?」

──5年後──

息子の寝顔を見ながら眠るのが好きだ。長男の沙和は、最近自分の部屋で寝るようになってしまった。次男の怜ももうじき小学生になるし、子どもの成長は早い。

今でも、最初の子のことをたまに夢に見る。お腹を割いて出てきた息子は、頭が肩の内側にめり込んで発生し、四肢はなく、皮膚のない体表には血が滲み出ていた。その様子を初めて見たとき、私は咄嗟に愛情を感じることが出来なかった。おぞましい、と思ってしまったのだ。さんざん覚悟は決めていたはずだったのに。私自身、産まれてきたときはもっと酷い肉塊のような姿をしていたはずなのに。

結局、標準化手術は失敗し息子は死んだ。あのときは、夫にも両親にも本当に迷惑をかけた。私はしばらくの間、頭がおかしくなっていたと思う。それでも、家族のおかげで私は何とか立ち直り、今はこうして2人の息子に囲まれている。ただ、2人の息子が産まれたときの姿を、私は見ていない。見る勇気はどうしても出なかった。

翌朝、出勤の準備をしながらコーヒーを啜っていると、テレビのニュースが聞こえてきた。
「息子に標準化医療を受けさせなかったとして、母親に慰謝料の支払いが命じられました。工藤凛被告は、昨年4月から実の息子に起訴されており……」
工藤凛、という響きにどこか聞き覚えを感じ、私はテレビの画面を見た。
「……標準化医療を受ける権利を奪われたとして、基本的人権が争点となりました。専門家の横山さんに話を伺ってみましょう」
「えー、全ての人には健常な身体で生きる権利がある訳ですけれども、産まれてきた赤ん坊にはその時点では意思がないので、手術を受けるかどうかは親が決めることになります。今回の難しい点はそこでして、まだ意思のない赤ん坊の人権をどう捉えるか、ということになる訳ですね。また、今回の判決は事実上、標準化手術反対運動を違法とした初めての事例で……」
実の息子に訴えられるとは、悲しいことだ。結局、工藤凛が誰なのかはよく思い出せなかった。息子が起きてきたので、私は行ってきますと声をかけて玄関の戸を開けた。

──130年後──

図書室で、金子みすずという女性作家の詩を読んだ。「私と小鳥と鈴と」という題名で、700年も前に書かれた詩だったのだが、「みんなちがってみんないい」という一節が面白くて印象に残った。この時代は、赤ん坊が皆ほとんど同じ姿で産まれてきていた時代だから、そんなことが言えたのだろう。今の世の中、産まれたての赤ん坊はみんな全然違った姿をしていて、すぐに標準化手術で同じ姿にされると法律で決まっている。つまり、「ちがい」は矯正されるべき悪なのだ。そして、私のように生まれつき変性を持たない、標準化手術を受ける必要がなかった人間こそが善なのだ。ほとんどの人が、私とは全然違う姿で産まれてきたあとで、私と同じ姿に整形される。私のような模範的な人間は、もう人口の0.1%もおらず、世界中で大事に守られている。

だいたい、700年前にだって一応法律はあったはずだ。法律を破った人に罰を与える仕組みがあったのなら、その時点で「ちがい」は悪でしかないと分かりそうなものじゃないか。変性を持って産まれてくることと、犯罪をはたらくこと、何が違うというのだろう。模範とちがえば罰を受ける、ただそれだけのことだ。実際、標準化医療が確立されてから犯罪なんてほとんど起きていない。700年前の世の中はさぞかし混沌としていただろう。

私は、世の中の人がみんな私のように生まれつき正しい姿をしていればいいと思う。そう親に話したら、その考え方は優生思想というんだよ、と教えられた。色々と調べてみたけど、難しくてまだよく分からない。近いうちにちゃんと調べてみたいと思う。


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