見出し画像

むずむずと、文箱が欲しくなるお年頃。

父は早くに亡くなっているが、祖父母は卒寿を過ぎた今も健在である。
家財を整理するというので訪ねてみると、若い頃に父が遊び半分で吸っていたという煙管が出て来た。
父は重度のヘビースモーカーだったが、私は非喫煙者である。
それでも、なんとなく捨てがたくて、折角なので持ち帰って来た。とりあえず、文房具と一緒の箱に仕舞っていたら、妙に絵になる。
元々、「和」に対する憧れは強い。なんとはなしに煙管を眺めている日々が続く中で――なぜかだんだんと文箱が欲しくなってきた。
出来れば黒塗りで、表面が艶々としているヤツ。柄に桜か楓の枝が描かれている「いかにも」なヤツが欲しい。
ペーパーレスが叫ばれている世だというのに、私の部屋は紙で溢れている。そもそも文房具が好きなのだ。メモはもっぱら手書きだし、思いつきはノートに書く。たまに気分を変えて、原稿用紙に文字を綴って悦に入ったりしている。それらを放り込んでおく、適当な箱が欲しい。
そろそろ持っても良い年齢じゃないのか。大人の嗜み。悪くない…。
思いながらいそいそとネットショップを漁ってみた。
皇室御用達から紙で出来た文箱まで、実に色々な種類の文箱が世界には溢れている。実によろしい。目の保養だ。
ここは思い切って、五千円ぐらいのちょっと良いやつを購入してみようか……。いや、いっそのこと一万円? 待て待て。入れるものを考えると……なんてあれこれ考えながら、ショッピングカートに商品を放り込んだところで、「おい待てよ」と理性の声がする。

その文箱に似つかわしい部屋なのか、お前の部屋は。

ハッとして周囲を見回す。
とにかく、紙の本が多いので本を置くスペースの確保に重点を置いた部屋は、広さと安さ重視で選んでいる。アパートの一室は、なぜか二十一世紀末のような「廃墟感」が漂っている。
おかしい。
確かに、私が寝て起きて食事をして一日生活をしている筈なのに。
――まぁ、原因は分かっている。部屋の大半が本に埋もれて、ついには生活空間まで浸食し始めた書籍のせいだろう。
本棚から溢れて平積みになっている本の何と多いことか。ほとんど読み終わった本ばかりである。その危なげたっぷりに積み上げられた本の塔たちから、どことない哀愁がうっすらと漂っている。
おまけに書籍以外への愛着が薄いから、使っている家具や家電に統一感が無い。使えれば良い、というのが丸出しの微妙なバラバラ感。安いプラスチックケースの棚。薄く積もった埃……。食器も粗品か百均で購入したものばかりで、それが何とも言えない不協和音を奏でているし……。それらが重なり合って、なんとも言えない安っぽさと荒んだ雰囲気を醸し出している。全体的に統一感が無く、無頓着なのだ。
おかしい……。中学生の頃の人生設計では、この歳で縁側と日本酒のよく似合う余裕のある大人になっているはずだったのに……。
打ちひしがれていると「いや、待てよ」と、今度は衝動の声が言う。

発想を逆転させてみよう。

良い文箱を買ったら、私も、この部屋の改造に踏み切る気になるんじゃないのか? 文箱に恥じない大人になろうとしてみるんじゃないのか? どうだろう?
文箱を中心とした生活……。
なかなか悪く無いキャッチフレーズだ。しばらく夢想に浸ってから目を開く。そのままショッピングカートに入れた文箱を削除して(さらばまた会う日まで)現実に立ち戻る。

取りあえず、書籍の断捨離から始めよう。