承認欲求を小出しに解決する方法について考える
言いたいことのまとめを先に書いてみる、
①「さみしー、誰かかまってー僕の話を聞いてよー」ってのは全然かっこわるくない
② 自分のことを全部受け入れてくれるような存在は実際ほとんどいない
③「浅く広い付き合い」みたいなものをやって発散させるのがよさそう
④ただし承認欲求を小出しに解決させるにはある程度条件がある
以下、詳細
① 「さみしー、誰かかまってー僕の話を聞いてよー」ってのは全然かっこわるくない
人からどう見られているか?どう思われているかをいちいち気にしたり、人と話したがったり、自分の話を聞いてもらいたがったり、つるみたがるやつって「かまってちゃん」的な感じでウザがられるご時世じゃないですか?
あれ、そうでもないですか?
会社でも、同僚はあまりベタベタしないというか飲み会とか行きたがらないし、まぁどこか別に楽しい付き合いがあるのかもしれないけども。
ただ、誰かに認められたい、褒められたい、受け入れてもらいたいというような気持ち(=承認欲求)は原始的な欲求で、食欲・性欲・睡眠欲みたいなもので、満たしてあげないと命にかかわると私は思うのですよ。
(※ 深い関係の相手がいると困ったとき助けてくれるとかって話じゃなくて、コミュニケーション自体が心の栄養になっているイメージ)
だから、それを能動的満たそうとするというのは、全然かっこ悪いことじゃない。いい感じに愚痴を言ったり、聞いたりそういう関係の人が周りにいるのは精神衛生上大変良いことだと思います。
② 自分のことを全部受け入れてくれるような存在は実際ほとんどいない
家族とか恋人とか。「自分のことわかってほしい」「いつも自分の味方でいてほしい」ってついついハードルが上がってしまうよね。
それで、否定されて、拒絶されて、「誰も自分のことをわかってくれない!!」とか「私は不幸!!」とか思ってしまう。
ただ、まぁね。現実問題自分のこと全部わかってくれる人、どんなときも自分のこと受け入れてくれる人っていないもんだよね。
いくら恋人とか家族という間柄になったとしても、これはそうなんだよ。
これについては、いくら文章を読んでもだめで、自分で実際に「恋人同士だけど、全然わかり会えないな。さみしいなー実にさみしいなあ。ああー、こういうもんかぁ。」っていう経験を積み重ねないとわからないかもしれない。
③広く浅い付き合いみたいなものをやって発散させてみる
自分のすべての承認欲求を特定の一人の人間(家族、恋人、親友)、もしくはどこか一つの社会的役割(学校、会社、趣味のグループなど)で解決するのは、前述の通り危険なのである。
承認欲求って、自分自身のあり方とか、帰属とかに関わってくるから、重要、重大なものって印象があるんだけど、そんなに大げさなものじゃなくて「ねぇねぇ僕の話聞いてよー、部長のパワハラがひどくてさぁ」みたいな話するだけで、結構回復するものだと思うんだ。
ただ、自分が素直になれなかったり、相手にどう思われるか不安で言えなかったりするだけで。
今はインターネットの時代で、いくらでも人とつながりが持てる時代だから、いろいろな関係を能動的に作っていけばいいんじゃないかな。
例えば仕事の愚痴を言い合う仲間とか、趣味で書いている小説を読み合う仲間とかさ。
仕事の愚痴を言い合う仲間は、どんな時もあなたの全人格を肯定してくれるような存在にはなりえないと思うけどさ、でも、少なくとも仕事のストレスは解消されて、承認欲求も少し満たされるのさ。そういう集団にいくつか所属していれば、承認欲求も結構回復すると思うんだ。
あとは、そうやってゆるいつながりを続けていく上で、「この人とは波長が合う。この人は、本当に信頼できる人だ」みたいな感じで、親友的な友達ができるかもしれない。
ポイントは「どーせ、だれもボクの話なんか聞いてくれないんだ。。。」とか思ってないで、とにかく自分から能動的に行動していくことだと思う。
④ただし承認欲求を小出しに解決させるにはある程度条件がある
言うは易く行うは難しって私も思ってます。承認欲求を上手に分散させられるようになるために、私が感じることをメモしてみます。
条件その一. 誰か一人、もしくはどこかの社会的役割で、自分が欲している承認欲求の全体を100としたときに、30~40ぐらいを満たした経験があること
→→ これは、そうしないとダメというよりは「人からの承認とか、人との一体感なんて、自分が欲したとき、適当に周りにの顔色を窺って、こーやって、あーやって、えい!えい!ってやれば、まぁ得られるもんなんだよなあ」っていう経験値みたいなものだと思う。何ていうか「誰かを飲み会に誘って、断られたらどうしよう?」とか思っていると、結局誰も誘えない。でも、とりあえず声をかけまくって、10人中、2人来てくれたってなるとそれが経験値になって、「まぁ何とかなるもんだなぁ」っていう気持ちになるでしょ?? そんな感じ。
学生だったら、めちゃくちゃ勉強してみるとか。
社会人だったら、めちゃくちゃ仕事してみるとか。
それで結果を出すと、自信につながるし、周りからの見る目も変わるし、「俺イケてんじゃね?」って気持ちになるのが大事。
条件その二.自分の人生を全部自分の責任で生き抜くという覚悟
→→ すごく大げさになってしまった。例えば自分が重い病気になったとき、家族に面倒を見てもらおうと心のどこかで思っている人がいるとする。そうすると、この人は「彼は本当に自分のことを愛しているかな?」とか「自分の意見を尊重してもらえてるかな?」とか気にしてしまう。
何ていうか他人によって承認されている事が、ものすごく重要になってしまうイメージかな。こうなってくると、この人にとって承認はまさに死活問題で、軽々しく取り扱うことができないアイテムになってしまう。
『そんな重要なアイテムが、浅く広い上っ面だけの人間関係で手に入ると思うか?そんなわけない!承認というのは、親密になった恋人とか家族の間でのみ手に入る貴重なものなんだ!!』と、何ていうかこじらせてしまう感じかな。
これは「承認されること」と「安心安全」がごっちゃになっているんだ。自分のことを承認してくれる人は、きっと自分のことを守ってくれるだろうと。でも、実際には承認と安心安全って別の話だと思うんだ。
そして「安心安全」っていう部分を、人に委ねずに「オイラは自分で全部背負ってやるんだいっ!!」っていう気位でいられると、承認というのも割とライトに手に入れられるものなんだなって考えられるようになると思うんだ。
条件その三.年を重ねること
→→ これは人によって異なると思うけど、やっぱし10代、20代ぐらいの頃って、感性が強いから承認欲求について割り切った考え方するのが難しかった。30代になってから、まあこんなもんかあという考えができるようになってきた
以上です。
そういう私も全然至らないところばかりなのですが、うまいことやっていけたらいいなと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
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