台心心左月
やりたくないことについて怠惰であるのは言うまでもないが、僕はやりたいことについても怠惰である。「僕の人生を語る上で欠かせない形容詞ランキング」を作ったなら、かなり上位に「めんどくさい」がランクインするに違いない。
たとえば、朝ごはんの食パン。焼くのはめんどくさいし、バターを塗るのはもっとめんどくさい。そうしていつも、パサパサの食パンをほうばる。食後の苺だってそうだ。ボウルに移して水洗いをするのがめんどくさくて、一人で食べることは少ない。食欲だけじゃなく、睡眠欲にも抗うのだから困る。リビングで寝転ぶ23時。寝室に行くのがめんどくさいから、横画面のスマホで見たくもない動画を見てしまう。睡眠不足はここから始まる。
ていねいな暮らし、の対極にあるなあと思う。
好きなものが好きであればあるほど、触れるのが遅くなるジレンマを抱えているが、これもめんどくささに因るものだろう。たとえば、2020年夏に買った好きな歌手のアルバム。憧れのタワーレコード渋谷店で6枚もアルバムを買ったが、今日4枚目を聴いたばかりだ。過去作も新譜も、好きなほど聴くのが遅れる。
好きなカルチャー、好きな番組、聴きたい曲、読みたい本、いっぱいある。でも、聴き始めるまで、見始めるまでがめんどくさい。なんなら、聴いている途中も早く終われと思っている。小説が面白くても「30ページか、やっと十分の一が終わったな」と思っている。
情報が溢れるこの社会に、圧倒的に向いていない。
考えると小さなころから歩くのが嫌いだったし、抱っこを求めていた。ずぼらという言葉がよく似合う性格だ。「めんどくさい」に、一生付き合っていかなければいけない。
浪人生の平日夕方。自習室に座る。勉強したくない!!!とっても勉強したくない。テキストを鞄から出すのさえめんどくさくて、Spotifyで音楽を聴くことになる。あ、大事なことに気づけた。「大めんどくさいこと」を用意すれば、「小めんどくさいこと」を達成できる。それが趣味なら尚更だ。この一年は、色んな音楽をディグれそうだ。
勉強ってめんどくさい、と言ってみて、内在された矛盾に気づく。勉強ってめんどくさいことを楽にするためにするんじゃないのか?発明だって人間の怠惰さによって引き起こされたものじゃないのか?
楽を求めて楽じゃなくなるなんて、と悲しくなる。一生楽をしていたい。自由になるために勉強をするのだ。なのに、自由を得るために意識的に不自由を作り出さなきゃならない。悲しい。
「人生の岐路に立たされたなら、タフな方を選べ」と、アスリートはよく言う。ストイックさが素晴らしいもののように語られる。僕にはよく理解できない。自由が手に入るならまだしも、不自由に身を置いて何になるのだろう。ただひとつ言えるのは、自分に厳しい人はかっこいい、ということだ。何故かはわからない。
僕は楽をして生きたい。人間らしくていいじゃないか、と思っている。楽をするためにどれほど楽を捨てるか、その程度の問題なのでしょう。
生活する術が何も身に付かないまま、大人に近づいている。一人暮らしをしても、自炊なんてできないんだろうなあ。三日でやめてしまう気がする。社会に合わないであろうこの気質を持ちあわせたまま生きるなら、もう勉強するしかない。偏差値を上げて「実」の世界から逃れ、「実」からかけ離れたアカデミズムの世界に、一時的に足を踏み入れるしかない。
これは自分がやりたいことで、ワクワクすることで、現実味だってある。地に足のついた答えだなあと思う。
でもさ。ああ嫌だなあ。明日も勉強なんかしたくない。めんどくさい!
やりたいことについてさえも怠惰!!!
最後まで読んでくださってありがとう。相互フォローしてる方の文章は、とても面白くて、とても楽しみ。僕も、これからも書きたいことを書いていきます。めんどくさいけど。
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