52.日本と言う国の生きづらさ

52.日本と言う国の生きづらさ

私が小さいことから感じていること。

「この国にいると、息が詰まる」。

もう何年も前のことだが、勤務先の社長(現会長)から「この会社で社会性を身につけなさい」と言われたことがある。
その社会性とは何なのかというか、常識と言うのはそれこそ人に拠っても異なるし地域性と言うものもある。この地域性には国際的なのもあるから実にややこしい。

ただその「社会性」とやら、言い換えれば社会正義もその一端であるが、
「子どもの人権派」を標榜しながら他人の子どもを苦しめる木村ウソツキ真実や谷口朋子という輩を知っている私からすると、この国の人権派とか活動家とか言われる連中には共通点がある。

木村ウソツキ真実や谷口のような人権派とやらに共通するのはその考え方の拙さ。国家的な話で言うと社会主義、マルクス・レーニン主義ってやつ。どういうことかというと、自由主義、資本主義に対する反意語みたいに思われるがそこは全く異なる。
人類の理想からすれば社会主義、マルクス主義は人に平等をもたらすがハッキリ言って実際に導入すれば真逆の結果をもたらす。
理想であるからこそ学生運動の全盛期には頭のいい大学ほど紛争が激化した。例えば、安田講堂の占拠などがある。

人は確かにわがままだ。だから他者との軋轢を起こす。早い話が幼児。ホント言う事なんて聞きやしない。友達と遊んでもオモチャなんかを勝手に使い始める。
それだけならいいが友達のオモチャも自分のもののように思い始める。それなのに自分のオモチャを自主的に貸すような事はない。
こんなものは「子どもだから」で済む事で、そのうち周囲から学んでいくものだ。ただ中にはそうした協調性や社会性が身につかない御仁がいる。
そして頭が良かったりして言う事自体は「正しい」のだとしても成長してからも周囲と軋轢を起こす。

そして周りとトラブルになるのだが、周囲からはいくら正しくても自分勝手としか見なされない。要は当事者の身勝手なところで周囲に迷惑をかけるのだから、結果として集団から排除されてしまう。その結果として学校や職場で孤立する。この辺は見事に木村ウソツキ真実が自分の経歴で語っている通りだ。いくらウソツキ真実とは言えこの辺は確かな事を書いているのであろう。

そうした連中の特性だが向く方向はまず過激な宗教だ。宗教と言っても様々だから一概には言えないがオウムや統一教会。孤立は自分勝手な部分から派生するのに過ぎないのだが、要は人間関係のわずらわしさからの解放だ。この辺はいわゆる現実逃避に近い。

そしてもう一つが社会的地位というか裏を返せば承認欲求の充足。言うならば自らの態様に起因して孤立しているにも関わらず「悪いのは自分じゃなくて社会の方だ」というすり替え。

実はこの部分、確かに私自身にも当てはまる。

個人が尊重されないこの国で生きていくのは、本当に大変だ。

岩手からの出稼ぎ労働者「小山田隆志」くんによって、10年前に誘拐されたままの我が子がただただ心配。

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